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空虚

「――私の討滅した、ヘーゲンを壊滅させた悪魔の名前は『エッダ・ヴィジョン』。雌型であり、紫色の髪が特徴でした」


 三人の記録官を前に、ティアナは慣れた様子で報告をする。それを受けた彼らは羊皮紙に羽ペンを走らせていた。


 国務兵は悪魔を討滅するたびに、こうして報告をする義務がある。どこで、どのような悪魔が出現しているのか、その統計を測るためでもあり、被害報告のあった悪魔であれば被害各所へ討滅が完了したことを報告するためだ。


 中には虚偽の報告をすることで報酬を得ようとする者もいるが、そういった場合に備えて、記録官の真向い、報告者の背後には必ず『ある能力』の使える聖人が立っている。


「ウソはありません」


 彼女――、マナ・ジャッジマンの能力は『五感の鋭敏化』だ。嘘を吐く際に人は微細な変化が現れる。心拍数の上昇、緊張からの発汗、瞬きの増加、手足の力み等々。その微細な変化を読み取るのが、彼女に与えられている中で最も重大な職務である。マナの場合、少々特殊な活用方法だが、そのものそのまま『嘘を見抜く』という能力の聖人が立つこともしばしばだ。他には体温変化や、記憶を読み取るなど、真偽を確かめることに特化した能力を持つ者は、遠征や訓練には参加せず、報告の立会いなどの命に危険のない仕事を中心に活動させられる。


 そのため、そういった特殊な能力を持つ天使の現れやすいラクスには、他方から人が集まるのだ。


「他に報告することはありますか?」


 記録官の一人が問う。


 それを受けてティアナは報告すべきか否かを迷いながらも言った。


「……エッダは、多数の能力を行使していました」


 するとティアナから見て右に位置する初老の記録官が、椅子を蹴り倒すほどの勢いで立ち上がった。


「馬鹿な! 一精霊が使える能力は一つだけだ! 今までその常識が覆されたことはないのだぞ!」


「ジャッジマン。真偽の程は?」


 息巻く記録官を静かな声で制したのは、その隣に座る男だった。年齢は二十代半ばであろうその青年の言葉に、初老の記録官は圧倒されたのだ。それだけの重さが、彼からは感じられた。


 マナは、ためつすがめつティアナを見て、動揺を隠しきれない様子で口を開いた。


「嘘は……、言っていません」


 体臭や瞬きの回数に僅かに変化はあった。しかしそれは嘘をついている時のそれではなく、緊張によるものであることが、マナには経験上、言い切れる。


「なんという……。今まで悪魔との契約が減少していたのは、国務兵を上回る可能性が限りなく低かったから……。それを、多数の能力を行使する悪魔が現れたとなれば、現体制に不満を持つ者が魔人になりかねないではないか……」


 左の記録官が、ブツブツと懸念を口にし。


「ならば貴様の見間違いであろう! 多数の能力だと? それを貴様一人で制したというのか?!」


 右の記録官がさらに語調を強め。


「お二方、冷静に」


 中央の記録官が制する。


 三人の記録官の性格がこうもバラバラなのには、もちろん理由がある。例えば全員が左の記録官のような性格であれば、あれもこれもと疑問や不安ばかりが浮かび、報告の遅延につながる。例えば全員が右の記録官のような性格であれば、報告者が萎縮してしまい、仔細な報告にならない。例えば全員が中央の記録官のような性格であれば、報告が作業的になってしまう。


 一見すると三人体制での報告は非効率に見えるが、適度な緊張感を生み、綿密で冷静な報告をさせるには効果的であった。


「それで、キミ一人で討滅を完遂した、ということでよいか?」


 中央の記録官がティアナに確認を取る。


 ティアナは一度、唇をギュッと一文字に結び、思考した。


 アダチ・ヨシトシという協力者がいたことを告げるべきなのだろうか。


 報告をすれば、直ちに彼へ使者が遣わされるだろう。そこでその能力を確認され、本来であれば感謝状と謝礼金が支払われる。しかし、彼は魔人なのだ。能力を披露するには融合せねばならず、そうした結果、魔人であることが判明してしまう。魔人である彼は、たとえ協力者であったとしても討滅対象だ。そこで戦闘になることは明確であり、その際の被害は想像を絶するものになるだろう。


 彼の契約精霊であるアシュリーの性格と、その強大な能力を考慮し、ティアナは記録官に答えた。


「私一人の力ではありません」


「……協力者がいたのか?」


「はい。現在私の管理下にある純粋な魔人、トワの力も借りて討滅しました」


「『も』ということは、他にも協力者が?」


「ええ。私の精霊、キャルロットの力が無ければ、今の私はここにいなかったと思われます」


 他にはいない、と言えば嘘と嗅ぎ分けられてしまう。そのためティアナは言うまでもないことを報告し、記録官の目を、そしてマナの五感を欺いた。


「……なるほど、わかった。ダンデリオン、ジャッジマン。下がって良いぞ。報酬は各自隊舎に後ほど届ける」


「失礼します」


 ティアナは三人の記録官に向けて敬礼をすると、部屋を後にした。彼女は振り返ることなく颯爽とその場を去ろうとしていたが、そんな彼女の背を追う姿があった。


「ダンデリオン指長、お待ちください」


 声は聞こえないことにして、早く義利たちの元へ向かおうとさらに歩調を早くする。


「ダンデリオン指長!」


 だが、ティアナは追跡者により肩を掴まれ強引に振り向かせられた。


「……マナ。悪いけど、急いでるの」


 するとマナは一度周囲を見回した後に、ティアナの手を引き手近な部屋に侵入した。


 その部屋は、おそらく倉庫になる予定なのだろう。幾つかの木箱が置かれているだけで、他には何もない。


 部屋の中で再び周囲を確認したマナは、ティアナの顔を真剣な眼差しで見て言った。


「ティアナ指長、何か隠していますよね?」


「いいえ」


 図星を指されたにも関わらず、ティアナは平然と答える。


「嘘です。私には隠し事が通用しないことぐらい、知っていますよね?」


 しかし、どれほど平静を装おうとも、マナの能力の前には無意味である。


 報告の際に、ティアナは嘘にならないようにと真実で義利の存在を隠し通したのだが、その緊張による変化を、マナは嗅ぎつけたのだ。嘘はない。だが何かある、と。


 それを厄介に思いつつ、ティアナはこの状況を打破する方法を考える。といっても黙っているわけにはいかない。沈黙は是、軽口だろうと何だろうと会話を途切れさせては疑惑を強めてしまう。


「………………別に、報告する必要がないことだと思ったから」


「それも嘘ですね」


 努めて変化を体に現さぬようにとしても、マナの目を誤魔化すことはできない。解ってはいたが、万が一があるかもというティアナの淡い期待は儚くも散った。


 このままでは問い詰められていずれボロを出しかねない。そう思い、ティアナは話題をすり替えた。


「……あなた、友達いないでしょう?」


 すると突然、マナの顔色に変化が現れる。


「いっ、今は私の交友関係は関係ありません!」


 図星、なのだろう。まるで熱病にかかったかのように顔は上気していた。それまで優位に立っていたマナが激しく動揺を示す。ティアナはここが勝負の賭けどころだと、静かに闘志を燃やした。


「真実はね、時に人を傷つけるものなの。それを口にしないことは、むしろ善行じゃあない?」


「誤魔化そうとしても無駄です」


「そうやって自分の意見を押し通そうとするから友達ができないのよ」


「でーすーかーらー!! 私の友達がいないことは今、どーでもいいんです!」


「えっ……、本当にいないの? 一人も?」


「いっ、いますよ! 友達の一人や二人くらい!」


「一人や二人しかいないの……?」


「その憐れむような目を辞めてください」


「いえ……、その、ごめんなさい」


「謝られたら余計に惨めになるじゃないですかぁ!」


 話題の転換は、思いのほか効果的だった。顔を真っ赤にしているマナは、おそらく先ほどまでよりは五感を鈍らせているだろう。少なくとも判断力にはなんらかの支障をきたしているはずだ。そしてこの密室内にはティアナの体臭のみならず、興奮と動揺によって分泌されたマナの体臭が充満しているだろう。手を打つにはここしかない、とティアナは今までとは一転、真面目な顔を作る。


「……隠し事っていうのはね、スミレさんに関係することなの。だからあんまり詮索しないでくれると嬉しいのだけど……」


 スミレと義利は同郷だ。だから、スミレの関係だということも嘘ではない。


「嘘ではないようですね」


 故に、ティアナの言葉はマナの探知を逃れた。


「このことを報告するつもりなら、するといいわ。ただし私は誰からどんな脅しを受けようと、これ以上何も語る気は無いから」


「嘘では……、ないようですね」


 彼女が義利の存在を隠すのは、決して保身のためではない。彼という少年の人間性を僅かではあるが理解し、そして人間に害なす存在ではないと判断した為に、様子を見、あわよくばその力を人のために使わせようとしているのだ。悪く言えば、足立義利という少年を利用しようとしているのだった。


「悪いけど急いでるから! またね」


 そうしてティアナはマナを振り切り、逃げるように去って行った。


「はい、また後ほど」


 その背に向けられる疑惑の眼差しには、気付くこともなく。







 ティアナが報告の義務を全うしている頃、足立義利とアシュリー、そしてトワの三人は、隊舎のある丘のふもとの宿屋にて休息していた。宿代は、先日義利が質屋で手に入れた物を使っている。これで隊舎が建て直されるまでの間は、宿暮らしを保てるだろう。


「すかー……」


 義利の左にあるベッドではアシュリーが寝息を立てていた。寝相が悪く、そのため毛布を蹴飛ばしてしまっている。そんな彼女を優しい眼差しで見て、風邪を引いてしまわぬようにと毛布をかけ直した。


 そして彼は反対を向く。


「スー……、クゥ」


 と、こちらではトワが眠っている。トワは睡眠時にはあまり動かないらしく、布団に乱れは少ない。


 なんとも微笑ましい光景に頬を緩める義利だが、そこでふと、気付く。


――なんで僕、笑えるんだ……?


 つい一日前にエッダの作り出したニセモノを殺した時には自ら命を断ちたくなるほどの後悔をしたというのに、今はこうして普通にすることができている。確かにアシュリーの励ましを受け、それに応えるためにもと、立ち直りを心に決めてはいたが、それだけでこうも落ち着けるものだろうか。


 今も、疲れたからと十分な睡眠をとることができた。両隣の様子から、うなされることもなかったのだろう。


 そうっと、二人を起こさないように部屋から抜け出す。そして、まずは隣の部屋のドアをノックした。


「ティアナ、いる?」


 時刻は夕方。そろそろ戻ってきていてもおかしくない頃合いだが、返事はなかった。


「……開けるよ?」


 ノブを回し、ドアを開く。すると中に人の気配はなかった。ベッドに乱れもなく、ティアナの匂いを感じることもできなかった。


「まだ、なのか……」


 さらに隣の部屋はスミレのために抑えた部屋なのだが、こちらはまだ戻っていないだろうと扉を開けずとも分かる。ヘーゲンの調査をしてから戻ると言っていたのだから、それなりの時間を要するだろう。それに、馬の足では一日では足りない。


「………………」


 少し考え、彼は受付に向かった。


 階段を下り廊下を進んでいる間、誰ともすれ違わず、そして人の気配を感じられないことに違和感を覚えるも、昼間の旅館なのだから出かけているのだろうと納得した。


 ぼうっと、時折窓の外を眺めたりとしながら、ようやく一階の受付にたどり着く。


 そこでは目当ての、ステイム・オーテルが暇そうにしていた。


 彼女は義利に気づくと、ハッと顔を上げた。


「おや、ティアナちゃんの友達のーー」


「足立義利です」


「ああ、アダチくんね。何か用さね?」


「あの、あなたはティアナとずいぶん仲がいいですよね?」


「小さい頃はあの子もここで働いていたからねえ」


 懐かしむようにステイムは目を細める。


「小さい頃?」


「まだ言葉を覚えたてくらいの頃さね。スミレさんから預かってくれって、頼まれたさね」


「……そんな小さい子に仕事ができるんですか?」


「と言っても忙しい時の客案内だけさね。ちょっと大きくなってからは、あの子から色々手伝ってくれたし」


 律儀なティアナらしさは子供の頃からのことのようだ。きっと、素晴らしい両親だったのだろう。そう思い、彼はどこか嬉しかった。


「それで、何が聞きたいのさね?」


 ここで、ステイムの方から本題へ流れを変える。元より何か聞きたそうなのは分かっていたのだ。だがそれを声に出し切れない彼のために、促している。


 問われて、少し彼は考えた。


「あなたに聞いていいのか、本人から聞くべきなのか……」


「とりあえず聞いてみるさね。ダメそうならアタシャ黙るさね」


 豪快に笑いながらステイムは言う。義利が言葉を出しやすいように雰囲気を作っているのだろうが、そんな雰囲気も彼の言葉で砕かれた


「……ティアナが初めて魔人を殺した時、どうだったのかと」


 一瞬でステイムは真剣な顔になる。話題の重さもそうだが、その質問から彼の真意を読み取ろうとしているのだ。


「……君も、経験が?」


「はい……」


 彼女は顎に手を当てて、少しの間黙り込んだ。そして品定めをするように義利のことを見る。この少年が今、何を思いそんなことを聞きにきたのかを。


「………………」


 本来であれば、このことは口外すべきではないのだろう。他人に過去のことを言いふらされていい気のする者などいようはずがない。しかしステイムは、この少年がティアナの友人であり、そして彼女の過去から救いを見いだそうとしていることから、それを語った。


「……あれは、酷かったさね。一日中泣きながら、『ごめんなさい、ごめんなさい』って、アタシャ心が壊れちまうって、あの子を辞めさせようとしたんだけど、それでもみんなを守るって。次の日も死にそうな顔をしながら戦いに向かったさね」


 語るだけでもステイムは辛そうである。あまり思い出したい過去ではないのだろう。


 彼女の口からそれを聞き、義利は俯いてしまう。


――それが普通だ。やっぱり僕は、人として大切な何かが欠けているんだ……。


「そんなことを聞いてどうするさね?」


「いえ、ありがとうございました……」


 フラフラと魂の抜け落ちたように立ち去る義利の背中を見て、ステイムは声をかけた。


「アダチくん、君はもしかして人を殺したって考えてるかもしれないけど、君が殺したのは『人』じゃなく『人でなし』さね! それと困ったらいつでもアタシを頼るさね!」


 ぴたり、とその場で立ち止まり、彼は向き直って深々と頭を下げて再び歩き出す。


「なるほど、ああいう子さね……」


 憐れむような呟きは、彼の耳には届かない。

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