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確信

「おかしい」


 馬を走らせて数刻、代わり映えのしない平原を走る中でアシュリーがポツリと呟いた。それと合わせて手綱を手繰り寄せることで馬の歩みを止めさせる。馬は小さく嘶くと、その場で数歩の足踏みをしつつ呼吸を整え始めた。


 スミレの愛馬はよく躾けられており、アシュリーからの手綱による指示にも従順だった。そのためここまでの道のりは危う気なく無事に踏破することができている。


 単騎乗馬、それも長距離ともなれば騎手は相当な体力を消費することになるのだが、未だ魔人化している義利の表情に疲れの色はない。身体能力が高い魔人と言えど、持久力では一般人の二倍や三倍程度でしかない。にも関わらずここまで余裕綽々で走り続けていられるのは、やはり馬のおかげである。騎手への負担を少なくするように走っているのだ。


『……何が?』


 アシュリーの疑問の意味が分からなかったために数秒の間を空けてから義利が問う。そんな義利の疑問に対する疑問は融合状態にあるためにアシュリーにしか届かなかった。


 そもそも、ここには彼ら以外の人間がいないのだから、例え融合状態でいなくとも彼女にしか届きはしないのだが。


「お前なぁ……。周りを見てみろよ」


 呆れの色が濃いため息混じりにアシュリーが言う。義利はその言葉を受けて意識を視界に集中させた。肉体の支配権がアシュリーにある間は見ることのできる範囲はアシュリーの見ている景色と同じなために、彼女が目線を動かさなければ周囲は見ることができない。そんなことは承知している彼女は、彼に異変を気づかせるためにも視線を巡らせた。


 左側には道から少し離れた位置に森が、その他は野原が続いており、遠く向こうの正面にはテーレ大樹林にある巨大木の先端が霞んで見えている。


『…………長閑だね』


 異変らしい異変を見つけることができなかった義利が間を繋ぐためにとりあえずとばかりにその景色に対する感想を述べる。


「ちっげーよバカ。もっと視野を広げろ」


『って言われても……』


 視野を広げろ。その言葉に従って、というわけではないが彼はより細密に周囲から情報を読み取った。


『……お日様も高いし、気温もほどほど、過ごしやすい一日になりそうだね』


 が、まるで気象予報士のようなコメントしか提示することができなかった。


「そこだよ」


『どこ?』


「……はぁー」


 これ以上続けても成果が上がらないと判断したアシュリーが深いため息を吐いた。


「アタシらがヘーゲン出てからどれくらい経った?」


 しかし答えをそのまま口にはしない。あくまで彼に気づかせたい様子だ。


 そのヒントを元に、義利は思考を巡らせつつ彼女の問いに返す。


『四時間くらい?』


「んで、そん時の太陽は?」


『真上にあったと思う--。あ!』


 ここでようやく彼も異変に気づくことができた。


 異変、というよりも、異常、だが。


「ようやく気づいたか」


 不出来な生徒を正解に導くことのできた教師にも似た心境なのだろう。披露と達成感がありありと顔に現れている。


『なんでまだあんなところに……』


 現在の太陽は頂点よりもかすかに西寄りの位置にある。それを元に時刻を予測するのならば、概ね十三時。四時間というのは体感時間でしかないが、そこには差がありすぎた。


「幻覚かなにかをかけられてるんだろうよ」


 そうでなければ説明が付かない。


『どうすれば解けるの?』


「普通は幻覚だって気づけば解けるんだ。もしかして融合してたから、ダッチも気づかねーとなのかと思ったんだが……」


 本人による気づき。それがアシュリーの知る限りでは唯一の幻覚を解く術なのだ。彼女が直接義利に異常を伝えなかった理由はそこにある。


「思ったよりも早かったわねぇ」


「…………ッ!!」


 鼓膜にまとわりつくような女の声に、思わずアシュリーが馬から飛び降りて身構える。


 声のした方向を見るも、そこに予測していた姿はない。


 だがアシュリーにはその声の主が瞬時にわかった。


「エッダだな……!」


 そう口にした途端、地面が隆起する。砂――、ではない。色からして、それは灰だ。灰が寄り集まって、頭頂部から徐々にその姿を取り戻していく。発生からわずか数秒で、灰は人間の形へと変わった。


 灰で出来たそれではあるが、輪郭は人間のモノとなり、その状態でエッダはニヤリと笑って見せる。


「はあーい、エッダちゃんでーす。どぉ? ビックリした?」


 旧知の仲の者にでもする如く、軽く手を振り煽るようにエッダは言った。


「テメェ、なんで生きてやがる!」


 平時でも鋭い眼差しをさらに研ぎ澄ませ、アシュリーが睨みつける。


「生きてるって言えるのかしら、コレ?」


 それも全く意に介さず。エッダはヘラヘラと受け流した。


「御託はいいんだよ」


 エッダは確かに殺害した。そのことに間違いはない。義利の操る肉体越しに心臓を握りつぶした感触は今でも鮮明に思い出せるほどなのだ。


 殺したものが生きている――かは定かではないが、間違いなく当人と意思疎通ができている――などという状況に相対したことがないために、アシュリーから普段の余裕は消えていた。


「ま、そうねぇ。私に勝ったご褒美として、三つだけ。なんでも質問に答えてあげる」


「また殺されてぇのか……?」


「こわいこわい。でも残念。コレは死なないわ」


「どういう意味だ……?」


「それが最初の質問かしら?」


 その言葉によりアシュリーの怒りは沸点を通り越した。


 一度魔力を行使したために体内の魔力の流れが認識できるようになった義利が、アシュリーが戦闘を開始しようとしていることに気づく。


『アシュリー、代わって』


 それを止める意味も兼ねて、どうしても聞きたいことのある義利が口を開いた。


「…………」


 渋々、といった様子でアシュリーは肉体の支配権を譲り渡す。


 その変化にエッダが気づいた様子はない。


「最初の質問は、エッダ・ヴィジョンが生きているのかどうかを教えて」


 それだけは確かめずにはいられなかったのだ。彼にとってエッダの生死はそれほどまでに重要な問題であった。


――自分が人殺しになってしまったのか、そうでないのかは。


 一瞬の沈黙。そしてその問いに、エッダは首を傾げつつ答えた。


「生きてるわよ?」


「ありがとう」


 いったいどうして感謝の言葉を述べたのか、彼自身疑問だった。回答に対するものでは、当然ない。かと言って交代してくれたアシュリーへ向けたものでもない。ただただ自然と、彼はその五文字を声にしていたのだった。


『ダッチ、交代だ。少しは頭の血も降りた』


 釈然としない何かを抱えていると、義利の肉体は再びアシュリーの手に渡った。


「次の質問だ。テメーの能力を教えろ」


 なんでも答える、と言ってはいたが、その質問に対してはエッダは困ったような表情をまず返した。


「ええー……」


 と、声にまで出している。


「なんでも、って言ってたよな」


 彼女の目的はエッダを探ることではない。その顔から余裕という皮を剥がしたかっただけだ。そのためにまともであれば答えることを躊躇う質問を選んだのだった。


 その目標が達成でき、アシュリーは笑みを浮かべる。


 しかしそれも次のエッダの言葉で崩された。


「私も覚えきれてないのよねぇ……。アナタに使った能力だけでいいかしら?」


「……それでいいから教えろ」


「一つ目、分身を作る能力。これもその一種ね」


 と、エッダが灰の体を指し示しながら言う。それから次々と自身の使った能力を明かした。


「二つ目、視認による爆破。三つ目、光の爆弾。四つ目、幻覚。五つ目、遠くの人と意思疎通をする能力。ちなみに今もそれを使ってホンモノと交信中。あとは感情の増幅ね。冷静さを奪って優位に立ちたかったけど、裏目に出たみたい。……これくらいよ」


「じゃあ次の質問だ。本物のテメーはどこにいる」


 どうにかして鼻を明かしたいアシュリーは最後の質問としてそう言った。


「それだけは教えられないわぁ。だって、私があなたたちと戦うのは損のが大きいってわかったもの」


 さすがのエッダもそれには答えず。微笑みとともにそう返した。自身の能力を明かしたのも、次に会う機会がないと思ってのことだったのだろう。


「回答できなかったから、あと一個だけね」


『じゃあ僕から質問だ』


 暗に代われ、と義利が伝えると、彼女は大人しく従った。


「任せたダッチ。もーコイツと話すのヤだ」


 もはや手が浮かばなくなったアシュリーは投げやり気味に言うと義利と交代した。


「これには肯定か否定してくれればいいよ」


 義利は最後の質問の前に一度クッションを挟んだ。


「あら、私は構わないけれども」


 エッダからすれば開示する情報量が減ろうとも構うことではないために、彼の言葉を軽く流した。


 義利は確信を持った目で彼女を見据え、そして自身の推理の答え合わせとしての問を投げかける。


「君のアクター――」


 ピクリ、とエッダの肩が反応を示す。


 義利は一瞬だけ躊躇うように口を閉ざすが、言葉を続けた。

 

「――ディーゼルって名前だろ?」


 ディーゼル。ディーゼル・ヘーゲン。


 それは義利が知る数少ないヘーゲンの住人の名のうちの一つだ。


 当てずっぽう、ではなかろうことはその態度からも分かる。何らかの確信があって、彼と断定しているのだ。


 だが。


「ざあんねんハズレ」


 クスリ、と砂塵の集合体でありながらもエッダは妖艶に笑う。


「それじゃあ私はこれでおさらばするわ。さようなら。マヌケな国務兵サン」


 最後にそれだけを言い残すと、灰の塊は支えを失ったように一瞬で崩れ去った。同時に幻覚が解かれ、空が橙色に変わる。


 その直後、義利は周囲を警戒しながら声を潜めて言った。


「急ごうアシュリー。ティアナが危ない」


 そして身体の支配権をアシュリーへと返した。


「うおっと!」


 急な交代にアシュリーはわずかに体勢を崩し、そう小さく発した。そして姿勢を直し、義利に言葉の意味を問う。


「アイツが危ないって、どういうことだよ」


『進みながら話すよ。アシュリー、ラクスの位置は分かるよね?』


 どうやら急を要するらしい彼の態度に、アシュリーは自身の抱いている疑問を一度保留にした。これは彼女がティアナのことを悪しからず思っているからのことだ。もしもこれが面識の浅いスミレであったなら、疑問への解答を優先しただろう。しかし一度とはいえ力を合わせて死地をくぐり抜け、食卓を同じくした仲であったからこそ、自身の疑問点を後回しにされることを良しとしたのだ。


「ああ。もともとあの辺を根城にしてたし、来た道を辿れば行けるぞ」


 彼女の根城、テーレ大樹林からラクスまでの道のりはそう長くはない。少なくとも朝方に出発すれば日が朱く染まる前には到着することができる。しかし、現在地がすでにテーレ大樹林から離れているのだ。そこから森に着き、森を抜けてラクスへ向かうとなれば、日付が変わる前にたどり着けるかどうか、といったところだろう。


『馬と全力疾走だとどっちが速い?』


「そりゃあ、走った方が速いけど……」


 ただし、このまま馬で進み続ければ、の話だ。


 魔人状態での全力疾走、つまりは超速拳使用時に見せた音速である。馬が相手では比べるまでもない。


 だが前述の通り、魔人といえどスタミナには際限がある。それを考慮に入れたとしても、馬よりは速いだろうことは明白だが。


『馬を捨てよう。アシュリー、全力でラクスまでお願い』


「テメェの命が削れるってことを少しは考えねーのかよ」


 先ほどのアシュリーがあまり乗り気でなかったのはそれが原因だ。音速での長距離移動にはそれなりに魔力を消耗することとなる。速力の向上と、その際に生じる肉体の損傷を修復するために、だ。ヘーゲン近辺からラクスまでともなれば、使う魔力の量は対フレアでのそれを超えるだろう。


『いいから、急いで!』


「……あとで後悔しても知らねえからな」


『先にできたら後悔じゃないでしょ』


「ッハ! そりゃそうだ!!」


 グッと力を溜め込むように屈み、彼らはラクスへ向けての第一歩を踏み出した。矢のように駆ける彼らの足跡は、血によって染められている。


「そんで、なんでティアナが危ないって?」


 周囲に土埃を巻き上げながら走りつつアシュリーが言う。道中で数体の獣とすれ違っているが、それらでは到底アシュリーを追うことができず、戦闘は起こらなかった。


 問われた義利は、少し考え、重々しくその口を開く。


『……エッダのアクターが分かった』


「ディーゼル、だっけ? アイツはどう見ても女だったじゃねーか。魔神化しても性別は変えられねえぞ?」


 すでに本人からも彼の推理は否定されている。……もっとも、エッダが虚偽の回答をしていることも考えられるが。


 それを踏まえてもアシュリーの言うように、エッダの魔人化状態の性別は女であったのだ。いくら魔人化が肉体を変化させるといっても、そのアクターの性別を変えるほどには至らない。義利の魔人状態は、彼の幼い顔立ちに加え長髪であるために少女に見間違えられることもあるかもしれないが、エッダの場合はそうではない。発育した乳房や臀部、それに体格からして間違いなく女性である。その姿が幻覚でない限りは。


『エッダが僕らを何て呼んだか、覚えてる?』


 義利は先程の意趣返しではないが、アシュリーに対してそう返した。


「ん? マヌケな国務兵ってヤツか?」


『そう。それ』


 別れ際の捨て台詞だ。砂の身体が消え去る直前に、エッダは確かに彼をそう呼んでいた。


「それで何がわかるのさ」


 考える素振りも見せずにアシュリーは聞いた。


『僕らは国務兵じゃない』


 間髪入れずに義利が答える。


「そりゃな」


『なら彼女は何で僕らを国務兵って勘違いしたんだろうね?』


「そりゃあ……、何でだ?」


 彼らの装備は一般人のそれと大差ない。国務兵の装備の類は、当然持っていないわけだが、しかしエッダは彼らのことを「マヌケな国務兵」と呼んでいったのだ。悪魔退治を行っているからと、そこから推察したとしても、その彼ら自身が魔人なのだから、その線は薄いだろう。


『スミレさんと話していたところを見られたのしれない。けど、それで国務兵だとは普通は思わないよね。だって僕らは魔人なんだから』


 討滅対象である魔人を入隊させるほど逼迫した人員不足であるならば、易々とそれを見抜かれ攻め入られるはずだが、ラクスにその様子はなく、そんな噂も流れていない。


「……確かにな」


 アシュリーはそれまでの行動を思い返し、自身らが国務兵と間違えらても不思議ではない理由を探したが、どこにもそんなモノはなかった。


『現状で僕らを国務兵だと勘違いできる人がひとりだけいる。その人は僕らが隊舎にいたところを見ているから、勘違いしても不思議じゃない』


 アシュリーは、その条件に当てはまる人物を記憶の海から探し出す。隊舎、ラクスにあるティアナの家のことだ。そこで出会い、そして魔人になり得る人物――、それは。


『エッダ・ヴィジョンのアクターは――。ユネス・コクスコウムだ』


 彼らにヘーゲンの危機を知らせた人物こそが、ヘーゲンに死を振りまいた張本人だったのだ。

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