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出立

「た、ただいま……」


 息を切らせた義利が崩れるように玄関で座り込む。額から零れる大粒の汗は彼の疲労具合をまざまざと表していた。


「おかえりなさい。……ずいぶん疲れてるみたいね?」


 リビングから顔を覗かせるティアナが義利を心配そうに見る。


「水が……、重くて……」


「それだけで……?」


 その視線に力なく手を振って応えると、彼女から向けられるモノが憐れむようなそれに変わる。


 たったそれだけで?


 そう言いたいのだ。


「いやいや……、体感だけど、全部で二十キロ近くあるでしょ、この重さ」


 言外の真意に気づいた義利が、背中に背負った大きな樽と両手に抱えていた紙袋を見せて弁明をはかる。


「そう……」


 が、憐れみがさらに強くなるだけだった。


「……もしかしてこれって軽い方?」


 不安を感じた義利が荷物を指差しながらつぶやく。彼からすれば、それはとてつもない重労働だったのである。腕に足腰、腹筋や背筋はすでに悲鳴をあげている状態だ。にもかかわらず、ティアナは義利の問いに無言で頷いた。


「いーんだよ。どうせヘーゲンで補給するんだから、馬の負担を減らさねーと」


 悪舌ながらもアシュリーがフォローを入れる。そこに置かれている食料は、なるほど確かに五人の三日分と考えれば足りない。せいぜいが一日半、といったところだろう。眠りっぱなしのストックを頭数から除いたとしても、やはり不足は埋まらない。


「精霊たちが断食する手もあるけど、それで戦いに支障が出たら元も子もないじゃない」


「大丈夫だっつの。アタシの場合はな」


 天使と違い、悪魔であるアシュリーがエネルギー不足に悩まされるとしたら、それは義利が命を落とした時のみだ。彼女は天使のように食事や自然界からもエネルギーを摂取しなければならないという縛りがない。いざとなれば、義利の命を消費することもできるのだ。


「言っておくけど、アシュリー。あなたはアダチさんの指示に一応は従っているから、尚且つ『人間に危害を加えない間は』っていう前提の元、私は保護してるのよ。例え契約者でも、人を殺せばその瞬間にあなたへの無害認定は無くすからね」


「それをアタシに言うあたり、テメーは甘ぇんだよ」


 それはティアナがアシュリーを悪く思っていないからこそ口を滑らせたことだが、アシュリーはそれを甘さだと言う。


 事実、殺意を抱いていたはずのフレアを義利からの懇願で見逃したのも、それが大きい。


「……そうね。確かにそうかも」


 指摘され、ティアナは少しばかり陰鬱な表情になる。


「違うよ、二人とも」


 呼吸を整え終えた義利が二人の会話に割り込む。いつもの弱気な表情は何処へやら、確信を抱いたような男らしい顔で、彼は言い切った。


「ティアナのそれは、甘さじゃなくて優しさって言うんだ」


 それを救いと取るか、綺麗事と取るか。それは人それぞれだろう。


 少なくともそれを聞いた二人にとって義利の言葉は--。


「誰より甘いお前がそれを言うか」


「アダチさんに言われても……」


 --戯れ言でしかなった。


「あれぇ?!」


 意気揚々と放った言葉をあっさりと受け流された少年の困惑は、小さな叫びと共に空気に溶かされる。



 玄関でのやり取りを終えてリビングへと戻ると、そこには既に出発の支度を整えたスミレが待っていた。首、胸、肩、肘、手首、腰周り、膝、と要所のみに飾りも遊びもない革製の防具を着け、そして二本の刀を腰から下げている。機動性を優先した軽装は、彼女の戦闘スタイルに依るものだ。重量によって予測した危機が避けられなくなっては意味がないのだから、必然的にそうなる。そんな彼女の装いはどこか仮装めいていて、義利にはとてもこれから命の奪い合いの場に向かおうとしているようには思えなかった。


 そんな義利からの視線を受けていたスミレは、小さな金属を彼に向けて放った。


 不意を突かれたためにそれを受けそこねて上に弾き、慌てて両手を使い取り直す。


「レパイルが世話になったみたいだな」


 合掌の形で手に収めたそれを見る。翼を広げた鳥の絵が刻まれている銀色の小さなコイン、銀貨だった。


「あの、スミレさん。僕がレパイルさんに貸したのって真銅貨一枚だけですよ?」


「買い出しの駄賃も入れてるんだよ」


「それにしたって多すぎますよ」


「気にせず受け取れ。年上が少し見栄を張りたいだけだ」


「でも……」


 と、義利は渋る。おおよその計算ではあるが、それには日本円にして十四万円の価値があるのだ。小市民である義利は恐縮してしまい受け取れなかった。


「貰っとけって。返す方が失礼ってもんじゃあねーの?」


 そんな彼の様子を見て、アシュリーが口を挟む。


「そうだけどさ……」


「多くもらった分は体で返せばいいじゃあねーか」


「カラダで?!」


 労働を以て、という意味で放ったアシュリーの言葉を曲解した義利が狼狽する。


「……オマエってヤツは」


 やや呆れの色が強いアシュリーの顔を見て、ようやく本来の意味に気づいた彼はさらに慌てた。


「ち、違う! 誤解だよ!」


「何がどう違うんだよ」


「それッ……は……」


 言い訳すらも浮かばずに、彼はがっくりと項垂れる。


「お前ら……。気を抜くのはここまでにしておけよ」


 そんな二人のやり取りを、スミレが小さく戒めた。


「義利の仕度が済み次第、出るぞ」


 彼女の瞳に一瞬だけ殺意が宿る。それを受けた義利は思わず怯み、アシュリーは融合を開始しそうになった。それほどまでの凄みを、緩み切った空気から即座に生み出したのだ。


 そこにいるのは異邦人の女性ではなく、一人の戦士だった。


 いつでもどこでも、どんな時にでも殺しを行える。それが彼女、スミレ=F=アイランドの強さだった。





「とりあえずこれ、置いて行くから。困ったら気にせず使ってくれていいよ」


 旅支度を済ませた義利がテーブルの上に硬化の入った麻袋を乗せて言う。


 彼の装いは、防具の一つもない軽装だ。白のシャツに黒いスラックス。日本の学生には最も相応しい服装であると、彼自身が選んだ物だ。さらに言うならば、魔人となってしまえばその再生能力により防御が必要ないのだから動きやすい方がいいと、アシュリーからも了承を得ている。


 そんな彼からの贈り物を確認し、ティアナは目を見開いた。


「どうしたのよ、こんなお金……」


 そこにあるのはティアナの給料の一年分以上の金額だ。おいそれと、それも短期間に稼げるような物ではない。


 導き出される結論は--。


「まさか……、強盗?!」


「ちっげーよ。ダッチの持ってた硬貨を売ったんだ」


 それもそうか、とティアナは遅れて納得する。義利の性格上、たとえアシュリーが犯罪行為を強行していたのなら、こういった風には差し出さないだろうという信頼の表れだ。


 どころか、おそらく自首してここに戻っては来れなかっただろう。


「異世界のお金だから、それなりに価値があったみたい」


『それなりに』などと彼は控えめな言い方をしているが、それは彼の店主が後に大地主になることなど知る由もないからだ。


「そこを前面に押し出して売ればもう少し金にできたんだがな」


 知った風なアシュリーも、異世界の硬貨の価値を正確には測れていない。本来であれば街の小さな店で引き取れるような価値ではないのだ。


「これ以上は持ちたくないよ……」


「ってこと」


 だが、今の彼らにはそれで十分なのだった。過ぎたるは猶及ばざるが如し。まさしくその通りであり、現時点ですら持て余している物をわざわざ増やす必要もなかろう。


「じゃあ、行ってくるから」


 最後の用事を済ませた義利がそう言って腰を上げた。そんな彼に即座にトワがしがみつく。


「あー……、キャロ。説明してくれる?」


 自身の不調を圧したうえで心配されているために、それ以前に彼の性格からして強く振り払うことはできず。穏便に済ませるための手段を持ち合わせていないために、彼はキャロを頼った。


「もうしたの。トワはお留守番って。何回も」


 その『何回も』は一回や二回ではないのだろう。幼女の顔には諦観の色が伺える。


「私がスミレさんと話してる間、ずぅっと説明してくれてたのよ?」


「アダチに似て、変なところで頑固なの」


 二人からの言葉を受けて、どうしたものかと義利は目を瞑って考えた。


 連れて行くなどという選択肢はもちろん始めからない。彼はトワをこの件に関わらせたくないのだ。今まで殺伐とした日々を過ごしてきた少女に、これからは平和で暮らして欲しいと願っている。


 しかし振り払うという行為がこの娘にどのような印象を与えるのだろうかと考えると、実行に移すことができなかった。


「うりゃ」


 そうして思考を巡らせている時に、アシュリーが小さく発し、同時にバヂンッと破裂音が響く。


 それは彼女が電撃を放った余波だ。


 直後にトワが膝から崩れ落ちる。その首筋には微かな火傷の痕があった。


「アシュリー?!」


 何が起きたのかを理解し、義利が叫ぶ。


 アシュリーが電撃によってトワの意識を刈り取ったのだ。


「居ても足手まといだろ。こーすんのが一番だ」


 腰に手を当て、怒られているのに胸を張る。アシュリーは自身の行動に一点の迷いも抱いていないのだ。


「そうかもしれないけど……」


 義利も、それが間違いだと言い切ることはできない。説得がダメだったのだから強硬手段に移っただけだ。戦場からトワを遠ざけるという目的も、義利が振り払わずに置いていくという条件も達成している。手傷を負わせた以外に文句のつけ所がないのだ。


 しかし言葉にできない不満が彼の腹の底でもやくやとする。


「こいつが悪魔に殺されるところを見たいってんなら起きるまで待てばいい」


 アシュリーが冷たい目線でトワを示す。そういう選択を、義利は迫られているのだ。連れて行くか、死なせてしまうか。


「……わかった。ティアナ、お願い」


 彼女の一言でようやく踏ん切りを付けた義利は、それだけ言うと外へ出た。


 悪魔討滅を目的としたヘーゲンへの進行はようやく始まった。


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