貨幣価値
「結構なお金になった……、のかな?」
手のひらに三つの小さな麻袋を乗せて、義利が実感のない声を出す。
一つは銅貨が八枚収められており、一つは真銅貨が十一枚収められており、一つは銀貨が十枚収められている。そして、ポケットの財布の中には金貨が一枚だ。
彼の財布に入っていた小銭は、五百円玉が一枚、百円玉が二枚、五十円玉が一枚、十円玉が四枚、五円玉が一枚、一円玉が三枚の、計七百九十八円だ。それらを売った結果、枚数が元より増えたので、彼はなんとなく得をした気持ちになっていた。
手の上で麻袋を軽く跳ねさせ、その重量を感じてみる。
「そんな風に持ってちゃ盗まれんぞ」
まるで見せびらかすようにしていた義利にアシュリーが注意を促す。ラクスは治安がいいとは言え、その中にだって悪人は確かに存在する。あまりに堂々と持っていれば、手ごと掻っ攫われることだって起こり得るのだ。
金を盗まれる分には、アシュリーからすれば大した問題ではない。しかし手を盗まれては大事になる。
魔人化すれば元通りにはなるが、騒ぎで顔を覚えられるのが好ましくないのだ。
魔人化した際に容姿は変質するが、それでも面影は残るものだ。何処かで魔人化した義利の顔を目撃され、そこから正体を探られれば面倒なことになる。
そこまでを危惧しての発言だ。アシュリーにとっても、今の平穏は進んで崩したいものではない。国務兵とのコネがあれば魔人と戦う機会を多く得られる、という打算あってのことだが……。
「ああ、うん。しまっておくよ」
残念ながらこちらに来たばかりの義利にはそんなことが起こるなどとは想像すらもできないために、単純に金銭管理がなっていないと注意されたものと承知した。
「……このお金ってどれくらい?」
麻袋をポケットにまとめてしまい込み、ふとその重さが気にかかる。ずっしりと来る重さではないが、その存在を確かに感じさせる程度には重量がある。そのためその価値が知りたくなったのだ。
「んー……、小金持ちくらい?」
「ごめん、ちょっとよくわかんない」
アシュリーのざっくばらんとした表現では、義利の理解は得られなかった。
「盗人だったら絶対に見逃さないくらい」
「それって僕がカモっぽいからじゃ……」
表現を変えてみたものの、やはり通じず。
「ちょっとそこの」
「まさか?!」
噂をすれば影がさす。――ではないが、後ろからの呼びかけに義利はつい悪い想像を浮かべた。
――若い女の声だ。きっと道を尋ねようとしているだけに違いない。
と、自身に言い聞かせるも、振り向く勇気が義利にはなかった。
「えーっと、なんて言ったかしら……。そうそう、アダッチ」
逃げる準備を整えているうちに届いた、耳慣れない、しかし聞き覚えのある呼称を受けてようやく振り向けば、そこには見知った顔があった。
桃色の髪に勝気な瞳。『へ』の字に曲がった唇など。その他幾つかの共通点を見て、最後にツヤのある額に焦点を合わせ、その露出度により確信に至る。
「あ……。レパイル、さん?」
「どういう認識してんのよ……」
げんなりとした声と表情を作り、レパイルが義利を睨む。
「あは、あはは……」
それを苦笑いで誤魔化して、「こほん」と咳払いをして流す。そして話題を変えるための言葉を発した。
「レパイルさん、何か用?」
「……用って言うか、なにしてんのかなー、って思って声をかけたのよ」
少しだけ不満さを垣間見せながらも、レパイルは答えた。
その様子に不審感を覚えるも、義利は質問への回答を優先する。
「何って、買い物だけど?」
義利からの返答に何か思うところがあるのか、彼女は苦虫を噛み潰したような顔になった。
彼としては、何故このタイミングでその表情? と疑問符が浮かぶばかりだが、その謎は続くレパイルの言葉で解決された。
「……あのさ、余裕あったら貸して欲しいんだけど。家に戻ったらすぐ返すから」
レパイルは右手の親指と人差し指を使い円を作って義利に見せた。つまり、金を貸して欲しい、という意味だ。
「別にいいけど、何を買うの?」
別段レパイルの購入品に興味があるわけではないが、貸す側の立場としてその使途を知りたいと思うのは当然のことだろう。くだらない物を買うのであれば貸さない、などという狭量から出た質問では、決してない。
「肉と魚」
そしてレパイルも後ろ暗い事に使うつもりがないためにすんなりと用途を教える。
「……肉食系なんだね」
肉に魚、とあまりにも実質的な品物だったために、義利からは気の利いた返答ができなかった。これが化粧品や衣服であれば『おしゃれさんなんだね』や『着飾らなくても十分だと思うよ』などと言えたのだが、どうやらレパイルはそういったことには無頓着らしい。
尤も、精霊は衣服を買わずとも、自身の思うままの服装に替わることができるのだ。その場面を彼は目にしたことがあるのだから、少し考えればそれらを買う必要性のないことにも気づくことはできただろう。
「違うわよ」
と、義利から受けた評価を不名誉だとでも言うように、レパイルは即座に否定を入れる。
「私が食べるんじゃなくて、あのチビッコのため」
あのチビッコがどのチビッコなのか、一瞬だけ迷ったが思い当たるのは一人しかいなかった。
「ああ、トワか」
「そ。血が足りないなら肉を食べなきゃ」
腕を組み、首を縦に振る。
血が足りないなら肉。安直な発想ではあるものの、貧血への対応としては間違えてはいない。今回のトワの場合、単なる貧血ではなく大量出血による貧血なので、完治までにかかる時間と、それに必要な量を考えていない点を除けば、完璧な対応だった。
「買い物目当てで出かけといて財布忘れるなんて、アホだな」
自分のことは棚に上げて、アシュリーがレパイルをからかう。
「うっさいわね!」
二人の精霊による軽い口論をぼんやりと眺めながら、義利は小さな疑問に脳の活動を割いていた。
--買い物ってどれくらいお金がかかるものなんだろう……。
金銭の価値がわからないのだから当然のことだが、彼には買い物の必要経費がいくらなのかがわからなかった。
そうして悩んでいるうちに、舌戦を終えたらしいレパイルが義利に歩み寄る。
「それで、アダッチ。貸してもらう側からこんなことを言うと図々しいようだけど、貸して貰えるのかしら?」
お互いに好感の持てる出会い方をしていないために、断られると半ば諦めているのだ。可能な限り時間の浪費を避けるために、義利からの返事を催促した。貸し受けられなくともティアナの住まう隊舎に戻ってスミレから受け取ればいいだけの話なのだが、どうせならその手間を省きたいという物臭から、彼女は義利に声をかけたのだった。
そんな気だるげな声を不安からきたものと勘違いした義利は、とっさに銀貨を一枚摘まんで渡した。
「とりあえず、これだけあれば足りるかな?」
するとレパイルは、信じられないものを見るように義利を見つめた。そしてアシュリーに耳打つ。
「……ねえ、コイツって頭おかしいの?」
丸聞こえだった。
「金の価値がわかってねえんだよ」
「ああ、そういえばそうだったわね」
すかさずアシュリーがフォローを入れる。その一言で彼女もおおよその事情を察した。
「何か変だった?」
しかしながら義利には通じず。
会話について行けなくなった義利は二人の精霊の顔を交互に見て、それからまゆをしかめた。
「もしかして足りなかった……?」
真っ先に浮かんだのはそれだった。『肉と魚を買いに行くのにたったこれだけ?』そんな風に思われたのだろうか、と。
「逆よ、逆。こんなにいらないわ。真銅貨を一枚貸してくれれば十分よ」
「あれ、そうなんだ」
レパイルから差し出された銀貨を受け取り、代わりに真銅貨を渡す。
「アリガト。じゃあ、またウチでね」
ピッ、とウインクに交えてこめかみの横で二本指を振る所作で別れを告げると、レパイルは街の雑踏へと消えていった。
「僕たちも買い物に行こうか」
その姿を見送った後に、義利は本来の目的を果たそうと動き出した。
「買うのは水と携行食、干物とかの日持ちする食べ物とかだな」
それに続くアシュリーが確認のために目当てのモノを口にする。
◆
「あれっていくら?」
買い物の途中、ふと目に付いたそれを指差して義利が問う。
赤くツヤのある果実。義利の知っているそれであれば、割れば中身は白く、その味はほのかな酸味と確かな甘味を携えているだろう。
一言で言えばリンゴだった。
「そうだなー……。リンゴは一つ鉄銭四枚。鉄銭二十五枚で銅貨一枚。銅貨五枚で真銅貨、真銅貨五枚で銀貨、銀貨五枚で真銀貨、真銀貨五枚で準金貨、準金貨十枚で金貨。あとはテキトーに辻褄合わせてくれ」
露店で買った串焼きを頬張りながら、アシュリーが義利の疑問に答える。
こっちでもリンゴはリンゴなのか、と思いつつも、義利は計算を開始した。
鉄銭四枚が百円に相当すると仮定し、銅貨はおよそ六百二十五百円。それが五枚で真銅貨なのだから……。と黙々と繰り返し、そして驚愕に目を見開く。
「えっ!! 二百万?!」
四捨五入をすれば、概ねその金額になる。
小金持ちどころの騒ぎではなかったことにようやく気づき、急にポケットが重くなったような錯覚に陥る。
大金を携えたカモである自覚が、周囲の視線に過剰な反応を示す。咄嗟に懐を押さえればさらに注目が集まり、義利はストレスに胃痛を覚える。
「アシュリー、僕、こんな大金持ち歩きたくない!」
「さーて、買い出し続けんぞー」
「聞いてってば!」




