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支度

 全てを語り終えたユネスは、糸が切れたように机に倒れ伏すと、そのまま眠りについた。極限状態から解放された安心感からか、ヘーゲンからラクスまでの道のりでの肉体的疲労が限界に達したからか、あるいはそのどちらもか、意識はずいぶんと深くに沈んでいるらしい。ベッドへ運ぶためにスミレが抱きかかえても、目覚める気配を微塵も見せなかった。


 ティアナの家は元が隊舎だったために空き部屋がまだあり、現在ユネスはその中の一室に寝かせている。


「………………」


 語り聞かされた出来事の衝撃があまりにも大きかったために、ティアナは口を閉ざした。


 親しい者との殺し合い、それがどれだけ壮絶なものなのかは想像もできない。単独で魔人討伐の任務を請け負うことのできる身分に登り詰めるために数々の死地を通ってきた彼女だが、ヘーゲンのような現場には流石に出くわしたことがなかった。魔人に荒らされた街や、殺された人々。それらを見ることで普段ならば闘志を燃やすところだが、ヘーゲンの様子を思い描いたティアナは、意気消沈としてしまっている。


 近しい者の死がどれほどの苦痛を伴うものなのかを知っているのだ。それを自らの手で行ったとなれば、心が正常でいられるはずがないと、わかってしまう。


 だから彼女は励ましや気休めの言葉をかけることもなく、黙していることしかできなかった。


「アシュリー、行くよ」


 ユネスへの応対にティアナが頭を悩ませていると、不意に義利が立ち上がった。彼にしては珍しく、覇気のある声である。


「お、なんだなんだ?」


 そんな些細な変化ではあるが、アシュリーは『これは何かオモシロイことをしようとしているな』と直感した。


 彼が積極性を見せて何かをするときは大抵の場合で彼女の好奇心を満たす何かをするときなのだ。


 決して長くない付き合いだが、既に彼女の脳内ではそういう条件付けが完了してしまっている。


「アダチさん、あなたは魔人だけど、一般人よ。今回の件に関わる必要はないわ」


 そう。人外の力を得た彼ではあるが、それを他人のために行使しなければならないという義務はない。


 今回の、ヘーゲンで起こったことに彼が関与しなければならない理由はどこにもないのだ。確かに魔人の力を借りられるのであれば、より安全に任務を全うできる。ましてや魔人絡みの任務ともなれば、その助力は天の恵みにも思えるほど大きなものとなる。


 普通なら頭を下げてでも助太刀を乞うところだが、彼は率先して動こうとしているのだ。これほど望まくも喜ばしいことはない。


 しかしティアナはそれを好ましく思っていなかった。


「あなたはここで待っているといいわ。ヘーゲンの魔人は、私とスミレさんでなんとかするから」


 先程までの阻喪具合が嘘のように、ティアナはきっぱりと彼の参戦を拒もうとしている。


 彼女の、これまで接してきた義利の印象では、これだけ言えば「なら、僕は待ってるね」などと折れてくれるはずだった。


「いや、僕も行く」


 が、どうやら義利に譲る気はないらしい。


「……手伝おうっていうその気持ちだけはありがたく受け取っておくわ。けど、無用よ」


 ティアナはあえてきつい言葉を選んで使う。大きな力を得たことで、義利の気持ちが一時的に高ぶっているものだと思ったからだ。それならば、強い言葉で押さえつければ良いと。


「悪いけど、置いて行く気なら僕は勝手にヘーゲンを目指すよ」


 しかし彼の意志はその程度で揺らぐものではなかった。


 むしろ、より強固になっている。


「あのねぇ……。遊びじゃないの。行きたいから行く、なんて、そんな覚悟でついてこられる事が迷惑なの」


 義利の戦力的価値はスミレと比肩するほどだ。しかし、実際の戦闘となれば話は変わる。


 彼には命を奪う覚悟がないのだ。


 それは時として彼だけでなく、その周りにいる者の命までも危険にさらすことになる。


 今回の場合で言えば、ティアナやスミレを始めとし、ヘーゲンに残っているかもしれない生き残りの町人が、その対象になり得るのだ。前の二人はまだ良い。兵士であるために命を投げ打つ覚悟ができているのだから。しかし巻き込まれただけの町人たちの命が脅かされる可能性は少しでも減らさなければならない。それが兵士としての務めだ。その務めを全うするために、ティアナは頑なに義利の参戦を拒んでいる。


「ケンカを売るわけじゃないけど、アシュリーの力を借りなくても平気なの?」


 ここでティアナは少しばかり驚く。『僕の力』ではなく『アシュリーの力』という表現を義利が使ったからだ。ここでもしも『僕の力』などと言っていれば、彼の主張は力に酔った子どもの駄々で済んだのだが、どうやらそうではないらしい。


「身をもって経験したでしょう、スミレさんの強さ」


 何か考えあっての行動なのだろうが、ティアナにとってそれは問題ではない。


 アダチ・ヨシトシを同行させるという選択肢は端から彼女の中には存在しないのだ。


「はっきり言うわ。あなたの手助けは必要ない」


「スミレさんはどう思いますか?」


 このままではどれだけ話し合っても無駄だと悟ったのだろう。義利は我関せずを貫いていたスミレに話を振った。


「あー……」


 何も考えずに二人の問答を眺めていたスミレは、平素通りの無表情で間延びした声を出す。


 会話は耳に入っていたのだが、その内容にまでは頭を回していなかったために、すぐには答えを返せず、沈黙が生まれる。


「義利、ついてこい」


「なっ」


 スミレの出した結論にティアナが意表を突かれて言葉を失う。


「で、ティアナ。お前が残れ」


「なぁッ――!!」


 さらに続いた言葉で、その顔を年頃の女の子が浮かべるべきではないほどに歪める。


「ティアナ、酷い顔をしてるの」


 キャロがそれを指摘するも、直る様子はない。


 大きく開いた口を戦慄かせ、そこから声にできなかった息を漏らす。


 ティアナにとってスミレの決定は絶対だ。きっと何か考えがあるのだろうと、義利の動向だけであれば、渋々ながらも飲み込むことができただろう。しかし、自身の待機だけは納得することができなかった。


「私は戦闘では邪魔になるってことですか……?」


 見えない壁を作り出す。それが戦闘においてどの程度の価値しかないかを自覚してるつもりだ。守りに特化している能力は補助に徹することしかできない。足を引っ張ることはないが、手を引くこともできないのだ。


 守るだけ。だが、そんな能力だからこそ、彼女はキャロと契約をした。


 それを無用だと切られるのであれば仕方がないと諦めよう。そんな思いからの問いかけだ。


「そうじゃない」


 しかし、そうではなかったらしい。


「私が言うのも変な話だが、トワの状態が万全じゃないんだ。だからトワをここに置いて行く。そしてトワ一人で残すわけにはいかないから、ヌネグ語の分かるキャロを残したい。つまり、ティアナもここに残ってもらう」


「あのガキならお前が治したじゃねーか」


 スミレが示した待機の理由に、アシュリーが反応する。


 トワの怪我は、確かにスミレが既に治しているのだ。傷跡一つ残っていない。


「『直し』はした。だが『治し』た訳じゃない」


「だーかーらー、分かり難いっつってんの!」


 直した、と治した。文字にすれば違いがはっきりとするそれだが、日本語にて発声すると区別のつかなくなるそれは、どうやらガイアでも同じらしい。


「ふっ」


 アシュリーからの苦言を受けて、スミレが小さく笑う。


「すまないな。傷は修復したんだが、失った血液までは戻ってないという意味だ」


「最初っからそう言えよ」


「平然としてはいるが、今だって相当キツイはずだぞ」


 義利はチラリと自身にしがみついているトワを見やる。出会った時から顔色が良いとは言い難かったが、指摘された上で見れば確かに、より血色が薄くなっていることに気づかされる。


「そうなのか?」


 アシュリーがトワの顔を覗き込む。だが、彼女にはその違いは見分けられないようだ。視線をそのままキャロに向ける。


 するとキャロがヌネグ語で訪ね、トワが答える。それをキャロが全員にわかるように、伝えた。


「きついけど、アダチが心配だからって」


 義利の身を案じる理由はここにはひとつしかない。


 それを、本人以外の五対の瞳が射抜く。


 そう、スミレだ。


「…………まあ、そういうことだ」


「き、気にしないでくださいスミレさん! 誤解なんですから!」


 慌ててティアナがフォローに入る。確かにスミレが危険人物であるというのは誤解だ。


「スミレがコイツを殺しかけたのは誤解じゃねーだろ」


「アシュリーッ」


 アシュリーの茶化しにティアナが声を大きくするが、そこにはわずかばかりも怒りの感情は含まれていない。


 かつては、ただ悪魔というだけで憎しみの対象としていたティアナだが、ここ数日で随分と変化したものだ。多くの時を共に過ごしてきたキャロは、その変化に何か思うところもあるのだろう。珍しくも口数が少ない。


「さて、行くか。ティアナ、留守番は頼んだぞ」


 スミレが立ち上がる。初めの呼びかけはティアナではなく義利に向けてだ。


 そんなスミレに対し。


「分かりました」


 義利はいつもどおりのモチベーションで答え。


「……はーい」


 ティアナは細々と答えた。


「なーに拗ねてんだよ」


 そこへすかさずアシュリーが、ニヤニヤとしながら突っかかる。


「……拗ねてないわよ」


 むくれながらティアナが返せば、アシュリーはさらに笑みを濃くした。


「拗ねてるじゃねーか」


「別に。せっかくスミレさんが帰ってきたのにあんまり話ができなくても、それから別行動でも、仕方のないことだもの。ええ、そうよ。仕方ないの。慣れてるわ、だから、どうってことないわ」


 完全に、拗ねていた。


 ティアナの普段の振る舞いから鑑みれば不相応の態度であるが、それも十四歳の少女と思えば相応しくなる。


 義利はそんな彼女を見て、心境を察した。


「スミレさん、ヘーゲンまでの往復で必要なモノを書き出してください。できれば日本語で」


「……いいのか?」


 彼の気遣いに気づいたスミレが確認をする。


「ええ、任せてください」


「すまないな」


 言うと、スミレは紙にペンを走らせ始めた。


 ガイアでの主流は、主に羽根ペンだ。スミレもそれを使っている。紙は和紙のような物がティアナによって用意された。


 そして書き終えた紙を義利は受け取る。


「じゃあ、行って来ます」


 彼の買い出しには、当然の如くアシュリーが同行する。トワも追いて行きたがったが、迷子になったところを狙われる危険を考え、それを踏まえてキャロを介して説得をすることでどうにか納得を得ることができた。


 履き古し、数度の戦闘を経てずいぶんとボロボロになったスニーカーを履き、義利は玄関から外へ踏み出す。


「いってらっしゃい」


 先ほどとは一転。満面の笑みを浮かべたティアナに送り出されて、義利とアシュリーは商店街を目指した。




 

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