報せ
「ダメなのー……」
唐突にキャロが弱音を吐いた。
「いくら言っても、トワはスミレのことを敵だって言って、聞いてくれないのー……」
義利たちが会話をしている間もずっとトワの説得を試みていたキャロだったが、とうとう匙を投げたのだ。
危うく殺されそうになった相手を、味方だと言われただけで「はい、そうですか」などと言える人間がいるはずがない。
義利に関しては例外中の例外だ。ティアナの知り合いで同郷だというだけで心を許しているが、それは異常な行いなのである。一見、敵愾心の無いように振舞っているアシュリーであるが、その内心でスミレへの警戒は常に怠っていない。
「だいたいなんで今スミレが帰ってきたの? 時期が悪すぎるにも程があるの」
トワのキャロに対する信頼がもっと厚くなってからならば、あるいはまだマシな状況にすることができていたかもしれない。
しかし今は出会って一日しか経過していない。そんな人物からの無害認定などあてにできる訳がなく、結果として説明を聞き終えても、トワは義利の腕を引いてその場を立ち去ろうと必死になっていた。
「イグナロ・ヘユ・ラリキハ」
「危ないから逃げよう、って言ってるの」
困ったように笑みを浮かべて、義利はスミレを見る。
相変わらずの無表情がそこにはあった。
「私が帰って来たのは、もうじき用事ができるからだ」
「訳のわかんねー言い方だな。お前には人への配慮ってモンがねーのか?」
アシュリーの苦言は尤もなことで、スミレの返答には誰一人として理解が及ばなかった。しかし同時に、アシュリーとスミレ、そして公用語の通じていないトワ以外の三人は全く同じ内容のことを思っていた。
それをアシュリーが言うのか、と。
「すまないな。私は数学のテストで途中式を書かない派なんだ」
スミレが簡潔に自身の性格をまとめる。すると。
「あ、その例え、わかりやすいです」
義利は納得顏で頷き。
「いや、アタシにゃあサッパリだぞ……」
アシュリーが呆れたように肩を竦め。
「同じく」
ティアナが諦めたように首を横に振り。
「なの」
キャロは首を縦に振ってティアナに同意した。
公用語であるために、そもそも会話に参加できないトワは、スミレの一挙手一投足に警戒を払い続けている。
さすがのスミレも、徐々に心傷が顔に現れ始めるほどだ。
「起承転結で結だけ言っちゃうみたいな感じだよ」
そんなスミレの些細な変化には気づかず、義利がスミレの例えをガイアでも伝わるようにと言い直す。それが正しく伝わるかどうかは不明だったのだが、なるほど、とアシュリーとティアナが頷いたことにより、通じたのだと義利に安堵をもたらした。
「最初っからそう言えばいいじゃねぇか」
「そういう性格なんだ」
「……めんどくせぇな」
と吐き捨てるようにアシュリーは言った。
その後も雑談は続き、互いに一線は引きながらも徐々にわだかまりは薄れていった。
だが、スミレに対するトワの態度だけは一行に好転しなかった。
「スミレさん、出来るだけ笑顔を意識してみてはどうですか?」
小さな女の子に気を張らせ続けていることと、警戒され続けているスミレがわずかに表情を曇らせていることに気づいた義利が、見かねて提案した。
通訳を立てずに会話が成立するのならば、彼はトワの誤解を解くために言葉を尽くしただろう。しかしヌネグ語を話すことのできないために、スミレから歩みよることを請う。
「……私が笑うと、大抵の子供はなくぞ?」
「どんな笑顔ですか……」
顔を引きつらせながらも笑顔を作る義利の疑問を晴らすために、スミレはふぅと短く息を吐いて、口角を上げて見せた。
「ヒッ……!!」
それを偶然にも目にしたトワが涙を浮かべながら悲鳴を出す。
「ほらな」
スミレの笑顔は、喜びや楽しさよりも狂気が強く感じ取れるそれだった。
悪人が悪事を達成する時に見せるような、快楽殺人者が犯行時に見せるような。
ただでさえ子供の恐怖心を煽る笑顔であるのだから、スミレに対してトラウマを抱いているトワからすれば、死を意識せずにはいられない。
「わかっただろ? 私は笑顔が苦手なんだよ」
「……何だか申し訳ないです」
「謝るな。余計みじめになる」
スミレの言葉で思わず全員が口を噤んだ。
スミレは際立って明眸皓歯な顔をしているわけではないが、不細工でもない。しかし睨むように細めている瞳と、それを縁取るメガネをどうにかすれば、十二分に異性の視線を惹きつけることができるだろう。
だがスミレは『可愛い』と称される容貌をしていない。『綺麗』の方が適している。そのため彼女の見せた凶悪な笑みが余計に威圧感を増していたのだ。
もっと上手に笑えばいいのに。そう思いながらも、それを言うのは失礼だと、口にはしない義利とティアナ。
もうどうしようもないと呆れ気味のアシュリーとキャロ。
そうして生まれた短い沈黙に、真っ先に音を上げたのはティアナだった。
「す、スミレさん。今回の任務はどうでした?」
スミレはティアナよりもずいぶんと長く国務兵としての日々を送っている。当然、階級はティアナより上だ。
階級とは、すなわち国からの信用である。
上級職になれば、同時に幾つかの任務を請け負うこともある。
「三体もの悪魔を一週間足らずで倒すなんて、流石に疲れたんじゃありませんか?」
今回のスミレの場合は、三件の悪魔討滅の任務を同時に遂行していた。悪魔も殺されると分かれば抵抗もするし、勝てないと分かれば逃げもする。普通は一件の悪魔討滅でも数日間かかるのだが、彼女はそれを三件、移動含め一週間以内で済ませたのだ。
「……そのことなんだがな、私は二体しか悪魔を倒していない」
「……どういうことですか?」
ティアナの表情に明らかな動揺が浮かび上がる。
理由のない任務放棄は重罪だ。遂行に支障のないスミレが、なぜ放棄をしたのか。ティアナは一人の兵士として問う。
「横取りされた--、だと語弊があるな。私の獲物が、発見と同時に殺されたんだ」
獲物、とスミレは悪魔のことをそう言った。その悪魔であるアシュリーからすればあまり気分のいいことではない。少しだけムッとする。
「横取りって……、まさか二重受注ですか?」
アシュリーが何かを言う前にティアナが発言する。そのせいでタイミングを逸したアシュリーは、不機嫌そうな顔のまま頬杖をついて、話に耳を傾けた。
「まさか。あのマナがそんなミスをする訳がないだろう」
「そうですけど……。それじゃあいったい……」
二重受注とは、一つの依頼を二人の者に言い渡してしまうことだ。滅多に起こることではないが、他方では稀に発生する事案である。が、ここ数年間、ラクスでは一度も起きたことがない。それは偏にマナと呼ばれた事務作業員の功績であるが、それはまた別の話。
「正体不明の炎を操る魔人が、悪魔を焼き払った」
スミレの言った内容に、ティアナと義利は顔を見合わせた。
「それって……」
「フレアだ」
ティアナが気づき、義利が断言する。
「フレアが、人間を守ろうとしてるんだ」
それは希望的観測にすぎない。偶々、同じく炎を操る魔人の意を、スミレの標的である別の悪魔が害しただけかもしれない。
しかし義利は確信していた。
「知り合いか?」
スミレが問う。
「さっき言った、殺されかけたのに逃がした悪魔ってのがフレアだ」
問いにはアシュリーが答えた。
「ほう。面白いことになってるみたいだな」
「ダッチのやるこたぁ、だいたいオモシレーぞ」
「まぁ、異邦人の考えは、ガイアからすれば奇異だろうな」
別の常識を元に行動する別の世界の人間がすることだ。数百以上の年月を過ごしてきた精霊からすれば、より興味深いことだろう。
義利やスミレのように、出身が同じ異邦人など滅多に現れることはないし、その二者に出会えることなど、より希少である。
アシュリーも、地球から来た異邦人と出会うのは初めてなのだろう。
これが二人目であれば、いったいどんな接し方になっていたのか。
それを知る術はない。
「さて、そろそろだな」
唐突に、スミレの口が動いた。
それから数秒ほどで、激しいノック音が室内に届いた。
「何かしら……?」
不審感を抱きながらもティアナが来客に応じる。
その背を見送った義利は、スミレに向き直ると疑問を投げかけた。
「……どこまで知ってるんですか?」
「さぁ?」
「さぁ、って……」
スミレの投げやりな返答を苦笑いで流し、それ以上の追求は無意味だと察した義利はティアナが戻るのを待った。
「お願いします……、殺してください……」
酷くやつれた女が、虚ろな瞳でティアナの顔を見るのと同時に言った。
年齢は、おそらく二十代半ばだろう。服装からティアナは判断する。
だがその女性は、四十代も後半に差し掛かると言われても何ら違和感のない見た目をしていた。頬に色濃く残る涙の跡や、眉間と口元のみに深く刻まれたシワがそうさせているのだ。豊麗線や目尻、小鼻にシワがないことからも、女性の顔にできたそれが、つい最近に、加齢以外の要因で生まれたことが伺える。
「何が、あったんですか……?」
女性が相当な悲惨な事態に遭っていたことを物語っていた。
砂や埃で薄汚れた服には所々に血が滲んでおり、それが女性の身に起きたことの壮絶さを示している。
「殺してって……、悪魔の討滅の依頼ですか?」
「……それもですけど」
女性はその場に跪き、地面に額がつくほどに頭を低くした。
「私を、殺してください」
「ちょ、ちょっと待てください。何が何だか……」
ティアナは困惑を示す。
「私を殺して、それからあの悪魔を殺して欲しいんです」
女性は低い姿勢のまま、静かに語り出した。
「あの悪魔のせいで、私はこの手で主人を--」




