原島スミレ
アダチ・ヨシトシ。その名前はガイアでは聞きなれない物だった。そもそも姓と名が逆だ。そこでまず、スミレの疑念は生じた。続いてその容姿だ。黒髪、黒目、淡黄色の肌。どれをとってもガイアにおいては珍しい。魔力の性質が少なからず見た目に影響を及ぼすために、黒の毛色が現れることは滅多にないのだ。
瞳と頭髪の双方にそれを見せる義利。それだけであれば、多少珍しい程度で済んだだろう。
だがスミレは、そんな些細な取っ掛かりから思案を広げ、夜中の彼の言葉を思い出した。
輸血だ。
血液型の概念が浅いガイアではあるが、他者の血液を体内に入れれば死に至ることなどは解明されている。血液を、他者から補給するなどという発想は浮かぶ余地もない。
それを彼は真っ先に提案したのだ。
疑いをかけるには充分な材料が、そこには揃っていた。
「異邦人……、それも同郷に会うとは」
スミレは無表情のままそう言った。しかし内心の動揺を、声音は隠しきれずにいる。
「でもスミレさん。あなたの名前は……」
「スミレ・F・アイランド。これはこっちに来て考えた名前だ」
「じゃあ本当は?」
「原島スミレ」
「ああ……」
それだけで義利は理解した。
「原をフィールド、島をアイランドって訳して、Fはイニシャルを使ったんですね……」
「ふぃーるど、あいらんど? いにしゃる?」
事情の通じる二人の会話に、置いてけぼりをくらった形になるアシュリーが口を挟む。
「同郷ってこたぁ、ダッチのいた国の生まれか?」
その問いかけに、スミレは顎を引いて応える。
「にしてはオマエは強かったな。ダッチなんて、素のアタシにも負けるぜ?」
「それはコレのせいだ」
と、スミレは襟首を引っ張って胸元を露わにした。
慌ててティアナが両手を使って義利の目を覆う。
「スミレさん! 男の子もいるんですから、もう少し気を付けてください!」
「男の子って歳でもないだろ……」
慌てるティアナに、アシュリーが冷静な指摘をする。義利の外見につられて、ティアナは度々義利の正しい年齢を忘れてしまう。
「別に、見られたって減りはしないだろ」
スミレは何とも思っていないように言う。
「減りますよ、羞恥心とかいろいろ!」
襟首から手を離して、はだけたシャツを直したのを確認すると、義利から目隠しは外された。ティアナは行儀悪く、ドカッ、と音を立てて椅子に腰を下ろすと、テーブルに肘を置き頬杖をつく。そして唇を尖らせながら、いいですか、と前置きしてから言った。
「こう見えて、アダチさんは十七歳なんですよ? 子供でもない相手に素肌を晒すなんてーー」
「おう、それをアタシの前で言うか」
相部屋のみならず、混浴までしている。尤も、義利はアシュリーの素肌をチラリとしか見ていないが。
「……とにかく、アダチさんの年齢をしっかり認識した上で行動に気をつけてください!」
思わぬ横やりに語勢がわずかに弱まるが、後半では持ち直すことに成功した。
ティアナは、スミレが義利の年齢を十代半ばにも達しない子供と誤認していたために先ほどのような破廉恥な行動をとった物だと考えていた。ゆえに、その間違った認識を正そうとしたのだ。
--が。
「歳くらい、見ればわかる」
「わかってるならどうして?!」
「そうか、ティアナにも見せてなかったな」
呟き、スミレは再び胸元をさらけ出した。義利は自ら体ごと目を逸らす。
「別に痴態に走ろうとしたわけじゃない。コレを見せようとしただけだ」
アシュリーとティアナが、スミレの襟から中を覗き込む。
スミレの二つの乳房、その間には魔法陣が描かれていた。直径二センチほどの、小さな魔法陣だ。
「人体強化の魔法陣。これがあるから、私は魔人相手にも遅れを取らない」
「インクか何かですか?」
そう言って、ティアナは指でその陣に触れる。しかし滲みもしなければ薄れもしない。
「ちょっと失礼しますね」
今度はキッチンへと向かい、小皿に水を入れてきた。それで指先を濡らし再び触れる。が、結果は変わらず。
「水に溶けないインク……?」
「入れ墨だ」
「イレズミ?」
「肌の下にインクを刺して入れてるから、滅多なことじゃあ消えない」
「……病気とかは大丈夫なんですか?」
「コッチに来る前のだから、何とも言えないな」
それまで不干渉を貫いていた義利が、急に振り向く。とっさのことでティアナが視界を遮る暇すらなかった。
「ちょっとアダチさん!」
「スミレさん」
怒るティアナを無視して、彼は言葉を続ける。
「コッチに来る前、って言いました?」
「ああ」
「つまり、地球で魔法の知識があったってことですか?!」
「そうだが?」
義利はその言葉に希望を見ていた。
異世界に呼び出されたと知り、彼は帰る方法がないと勝手に諦めて、それを考えないようにしていたのだ。しかし目の前にある魔法陣によってそれが崩される。
地球にいながら魔法陣を描いた。つまり何らかの方法でガイアの知識を地球に持ち込んだことになる。それは帰る方法にも繋がり得るのだ。
「地球に帰る方法が……、あるんですか?」
「ない」
彼の抱いた希望は、あっさりと打ち砕かれた。
「一人の人間が召喚陣を使えるのは、人生に一回だけだ。行って戻ることは不可能」
「じゃあどうして」
「どうして日本で魔法陣を、か? 少し考えればわかりそうなものだがな。単に、ガイアから来た人間に教わっただけだ」
義利はそこで、ふと召喚陣の原理を思い出した。
「召喚陣は、全く同じ物がないとダメなんですよね?」
「そうだが?」
「じゃあ日本に召喚陣があるのは不自然じゃないですか。魔法のない世界なんですから」
「ああ、そのことか」
スミレは小さくつぶやくと、腕を組んだ。そのため胸が強調されることとなり、普段の義利ならば顔を赤く染めていただろう。だが、今はそれどころではない。
背もたれに体重をかけ、これは私の見解なんだがな、と前置きしてから、スミレは語りだした。
「元々、ガイアと地球は一つだったんだ。それが何らかの原因で二つに分かれ、科学が発展したのが地球、魔法が発展したのがガイアになった。二つの世界になる前からあった召喚陣は、世界の分裂に合わせて二つになり、それがゲートになっている。んじゃないかってな」
そんな荒唐無稽な、と笑い飛ばすことが義利にはできなかった。決してスミレの憶測が理にかなっていると思ったわけではない。彼女の表情が冗談の類ではないと主張していたのだ。無表情でいても、義利には些細な変化が読み取れるようになり始めている。
「テーレ大樹林、見覚えないか?」
「いえ……。僕にはさっぱり」
「あれは富士の樹海と、かなりの部分が一致している。人の手が加わらなければ、日本でもあれくらいの森になってたんだろうな」
義利は言葉を失った。
「よくわかんねーけど、ダッチは元の国に戻りたいのか?」
「そりゃ、誰だってそうでしょうよ」
アシュリーが首を捻ると、それにティアナが答えた。失意の中にいる義利に気を効かせたのだ。
「アシュリーだって、突然ペイルズに飛ばされたら、帰りたいって思うでしょう?」
「あそこは寒いからな……」
「…………」
噛み合っているようですれ違っている二人の会話すら、義利の耳には入っていなかった。
力なくうなだれて、深いため息を吐く。
「何となく、そうなんじゃないかって思ってましたけど、改めて言われるとくる物がありますね……」
フン、とアシュリーが鼻を鳴らした。
「いいじゃねーか。お前の故郷がどんなのかは知らねーけど、コッチはコッチで楽しいぜ?」
後ろに体重をかけて椅子を傾けながら、他人事のように言う。
「アシュリー。精霊のあなたには分からないかもしれないけど、家族と何の前触れもなく別れるのって、とっても辛いのよ……」
ティアナの言葉には重みがあった。彼女もその昔、家族と突然の別れを経験しているからだ。
別れの挨拶も心の整理をつける間もなく、急に当たり前にあったものが失われるのだ。半身の喪失にも近い精神的なダメージ。それを今、義利は受けているのだ。
「んだよ。アタシら、もう家族みたいなもんだろ」
アシュリーはつまらなさそうに言う。
契約者と精霊は一心同体。一つの体を二人で使うのだ。恋人よりも、家族よりも、その繋がりは深くなる。もちろん、両者の合意があればの話だが。
本来、それは天使のみの場合でしか発生しない。
その点を――契約者の意向を――無視できるはずのアシュリーは、悪魔にしては奇異なことにも義利の意志を尊重している。
そして義利も、悪魔の力を意のままに操ることもできるのに、それをしようとはしない。
短い期間ではあるが、そこには強固な絆が生まれていた。
……少なくともアシュリーはそう思っていたのだ。
「アシュリー。あなたが新しい家族になったとしても、アダチさんが家族を失ったことに変わりはないのよ」
「……そりゃそーだけどよ」
理屈は分かる。それでも納得はできなかった。
「……悔しいじゃねーか」
--今までの家族に負けているようで。
過ごした時間が圧倒的に少ないのだから、それも当然のことなのだが、釈然としない。
胸に生まれたモヤモヤとした感覚によって、アシュリーはムッツリと黙ってしまった
「そっかぁ……。僕、帰れないんだ……」
ふと、義利が顔を上げる。その口は緩やかな弧を描いていた。
「なぜ笑う?」
「え? 僕、笑ってます?」
スミレの問いにもにこやかに応じる。彼の笑顔は諦めだとか絶望からくるものではなく、嬉しさのあまりついついこぼれ出たそれだった。
「いやぁ、家族や友達に会えないのは辛いし悲しいですけど、ガイアでは生きてるって感じが実感できるから、もしかしたらそれが嬉しいのかもしれません」
「……分からなくはない。が、飲み込むのが早すぎないか?」
真実との直面からたったの数分。それだけの時間で立ち直れるほど軽い衝撃ではないはずだ。
「そういう性格なんです」
「……気味が悪いな、お前」
蔑むようにスミレが言う。
「自分に対しても他人に対しても、情が薄いのか」
情が薄い。友情、愛情、感情。確かに足立義利という少年はそれらの激情とは対極に位置している。自らを死に至らしめようとした相手を助け、自らの命を握る相手に恋心を抱き、家族との離別からものの数分で立ち直った。
そんな彼を情に厚いなどと称することはできようはずがない。
「そうですね。一度は命を狙った私と一つ屋根の下で生活してますし」
「だな。殺されそうになった相手を逃がすしな」
打ち合わせをしたかのように、ティアナとアシュリーから言葉の矢が飛んでくる。
「ひどいなぁ……」
おどける義利だったが、一度認識された印象はそうそう覆ることはない。スミレは彼に対しての信用を一段階下げた。
――こいつは必要とあらば、自分以外のすべてを迷わず切り捨てることのできる人間だ。
それがスミレの思い描いた義利の人柄だった。




