先達
ティアナたちの元から離れた義利は、トワ、トワ、と思考がそればかりになっていた。
あれだけの怪我を見たのだから無理もない。そのまま放っておけば失血死すらもあり得るような大怪我だ。気休め程度に布で縛ってはいるが、すでに血で塗れている。それに加えて少し前に気を失っていたのだから、義利は心配で、いても立ってもいられなかった。
遠目にトワの姿を確認すれば、横たわったままでピクリともしない。
「おいおい、マズイんじゃねーか……?」
隣を走るアシュリーも気づいた。
「トワ!」
手が届くまでに近づくと、義利は乱暴にトワの体を揺さぶった。
反応は、返ってこない。触れた手に伝わる温度は低く、それが義利を焦らせる。
トワの顔の目の前に手をかざすことで、呼吸をしていることは確かめられた。しかし、そうしなければわからないほどに、浅く短く弱々しい呼吸だ。
「アシュリー、こっちでは大怪我をした時どうするの?!」
義利の言う「こっち」とはガイアのことである。
地球から来た彼の常識でならば、大怪我をした際には119番に通報し、救急隊の到着を待つのだが、ガイアにはそもそも自動車などない。荷車を、人や動物が引くだけが交通手段としては主流である。
今の義利たちに使えるのは馬車、もしくは魔人となった義利が抱えて移動するかのどちらかだ。
だがすでにトワは虫の息。病院に向かう間にも自身が抱きしめる小さな命が燃え尽きてしまうのではないか、と考えた義利は、縋るような気持ちでアシュリーに訊ねた。
「ここまでとなると、治療系統の能力を持つ聖人に治してもらうしかねえよ。ティアナに聞けば心当たりくらいはあるはずだ」
望みが潰えた訳ではない。義利の表情がわずかに和らぐ。
彼は融合することも忘れ、トワを抱えてティアナの元に駆け寄った。
「ティアナ、トワが!」
「……どうしたのよコレ!」
血染めの布で覆われた手を見たティアナは、そうっとした手つきで布を解き、顔を蒼くした。血液の不足によって肌から生気は失われており、しかし損傷部は紅々としている。その配色は死体を彷彿とさせ、彼女に生理的嫌悪感をもたらした。
「すまん。私がやった」
そこでスミレが口を開いた。
「ティアナが魔人に襲われていると勘違いしてな。まさか顔見知りで、しかも純粋な魔人だとは思わなかったんだ」
「……事情は、わかりました」
義利が苦しげな面持ちで答える。自分が、そしてトワがどのような扱いを受ける存在であるかを自覚しており、スミレの行動にはなんら咎められる点がないからだ。普通の人ならばそうすると納得できる。しかし、そのせいでやり場のなくなった怒りの矛先は自分に向けるしかなくなった。
義利にも非はない。むしろ良くやっていると評価されるのが当然だ。だが彼自身は、もっと上手くやれたはずだ、と後悔していた。
「ティアナ、回復系統の聖人!」
「ラクスにはいないわよ……。一番近くで隣街のオーアイルにしか……」
「隣街までどれくらい?!」
「馬を走らせれば四時間ってところかしら……」
馬で四時間。それは絶望的な距離だった。魔人になった義利だとしても、一時間はかかってしまう。
「……レパイル、やるぞ」
「りょーかーい」
スミレとレパイルが融合をした。
「スミレさん、レパイルの能力って」
と、ティアナがスミレの前に立つ。それを邪魔だとでも言いたげな目で見る。
「レパイルの能力は『修復』だ。人間だって治せる」
「そうじゃなくって!」
なおも食い下がるティアナを無視して、スミレはトワの傷口に手を添えた。
「今回は完全に私が悪いんだ。それに、これくらいなら問題ない」
「スミレさん……」
傷はじわじわと修復されつつある。
それを見ながら、義利は訊ねた。
「ティアナ、さっき回復系統の聖人はいないって、言ってたよね?」
言葉に棘が感じられる。
「そ、それは……」
ティアナはしどろもどろになりながらも続けた。
「スミレさんの能力は修復だから……。回復にも使えるけれど、回復とは違うわ」
「でも、トワの命は救えるよね」
「けど……」
そこで彼女は口をこもらせた。
そして目線を泳がせ、助けを求めるようにスミレを見る。
「レパイルの対価は年齢だ。使えば使うほど、私は若返る」
他人事のようにスミレが言った。
「それは……、いいことなんじゃないですか?」
義利にはそう思えた。
不思議だった。彼の想像では女性という生き物は、若さに強い執着を抱く生き物なのだ。いつまでも若くあるためにあれこれと手を尽くし、そうして年を重ねることを恐れているのだと。そんな中で苦労をせずに若返る方法のあるのならば、なぜそれをすぐに使おうとせず、そしてなぜティアナはそれをさせまいとしているのだろう、と。
「あのねぇ……。若返るにも限界があるでしょう?」
先ほどとは一転。ティアナが怒りを見せ始めた。
「例えばスミレさんの使ってる剣、あれって見た目以上に重いのよ。あんまり若くなると、あの武器がまともに使えなくなるわ。それに、筋力だって鍛えても戻っちゃうんだから……」
「……今回ので、どれくらい若返るか、ティアナわかる?」
「さぁ……。前に折れた剣を直した時は三ヶ月分くらいって言ってたわ」
刀の修復でそれなら、人体の修復には、いったいどれほどの年齢が対価として必要なのだろう。義利は背筋が寒くなった。使えば使うほど若返る。確かに魅力的なものではあるが、若返りとは同時に弱体化も意味するのだ。安全の保証されていないガイアでは、より顕著である。
それを思えば、ティアナが真っ先にレパイルの能力を頼ろうとしなかったのも頷ける。見知ったばかりの他人同然であるトワよりは、縁も所縁もあるスミレを大事にすることに違和感はない。
「……怒ってる?」
ティアナは恐る恐るといった具合に義利の顔色をうかがった。
「いや……、そういう事情があったんなら、仕方ないよ」
足立義利というのはそういう少年だった。自分の感情よりも常識を優先する。そして自分の心を抑え込むのだ。
ジリッ、とアシュリーのこめかみ当たりで小さく電撃が散った。義利の態度が気に食わず、苛立ちが電撃として現れてしまったのだ。
その場の誰も--、アシュリーすらもそのことには気づかなかった。
「終わったぞ」
程なくしてスミレが立ち上がった。
トワの手は血の跡が残ってはいるものの、裂け目の深くなっていた中指と薬指のあいだは、元通りの長さになっている。
義利はひとまず胸を撫で下ろした。これで失血死は避けられるだろう。
「あとは血だね……。輸血ってある?」
「ユケツ? なんだそりゃ?」
聞きなれない言葉にアシュリーが眉を歪める。
「足りなくなった血を他の誰かから貰うことなんだけど、その反応じゃなさそうだね……」
「そんなことしたら病気になるだろ」
「とにかく」
そこで義利は仕切り直した。
「足りなくなった血はどうすればいい?」
「今回は、食事療法で十分だ」
それに対してスミレが答えた。
「しばらくは鉄分の多い食事を作ってやれ」
「それで助かる保証はあるんですか?」
「大事な血管は傷つけてないから、死にはしない」
「けど」
「それに、その娘は運命の子の一人だ。少なくとも、あと二ヶ月は絶対に死なない」
「どういうことですか?」
「いずれ分かる」
話は終わり、とでも言わんばかりに踵を返すと、スミレは隊舎へ向かって歩き出した。
「ティアナ、スミレさんっていつも『ああ』なの?」
余計なことも、必要なことすらも伝えずに、自分の中で完結させる。
交友関係を築くのに苦労しそうな性格である。
「うーん、今日は本当に疲れてるみたい。普段はもう少し優しい人よ」
「少しだけかよ」
呆れたように鼻を鳴らすアシュリーは、どこか眠そうにしていた。
それもそのはず。夜半に叩き起こされて、あれだけ騒いだのだ。
張り詰めた緊張が緩み、その分、一気に睡魔に襲われていた。
「アタシらも、もう寝ようぜ……。話は起きてからでいいだろ」
「そうだね」
こっちに来てから本当にゆっくりできる時間がないな。そう思いながら義利は床に就いた。
◆
足立義利の目覚めは、契約精霊であるアシュリーとは真逆で、非常に良い。
寝る時はスイッチを切り、起きる時にはスイッチが入る。そんな感覚で彼は寝起きをする。
たとえそれが小用の時でもだ。
くあぁ、と大きくあくびをすると、義利は布団を抜け出した。
「トイレトイレ……」
小声で呟きながら、彼はアシュリーを起こさぬようにと部屋を出る。
抜き足差し足で廊下を進み、目的のドアを目指した。
「--ッ……」
その途中、リビングを通過している時に、彼はすすり泣くような声を聞いた。
女の声だ。
「……まさか、幽霊?」
そう思うと何故か興味が湧いてきた。精霊のいる世界だ。幽霊がいたとしてもおかしくはないだろう。
好奇心に身を委ね、彼は声を探しに行く。
「……あれは」
残念ながら、幽霊はいなかった。
そこにいたのは、手帳のような物を片手に涙を流しているスミレだった。
「どうかしましたか?」
などと声をかける勇気が、義利にはなかった。まだあまり言葉数を交わした訳ではないが、それでもスミレが感情らしい感情を露わにしたのはこれが初めてのことだったからだ。それも、悲しみという感情だったために、より近寄り難い。
何かをしたいと思う反面、どうすればいいのかと足を踏み出せずにいた。
そして最終的に、彼は元々の目的を達すると、何も見なかったように部屋へと戻り、再び眠りに就いた。
◆
「キャロが寝てる間に、色々あったみたいなの?」
テーブルに着いた面子を見回し、キャロが小鳥のように首を傾げた。
普段と変わらぬ義利とアシュリー、眠そうなティアナ、無表情のままでいるスミレ、スミレに対して強い警戒心を見せているトワ、というキャロを含めて六人が、そこにはいる。
レパイルとストック。スミレの契約精霊である二人は、今は各々ベッドで寝ている。
「スミレはお帰りなさいなの」
「ただいま」
ビクッ、とスミレの声を聞いただけでトワの肩は激しい反応を見せる。
ひどく怯えた様子のトワは、馬宿の時と同じように、義利の腕にしがみついていた。
公用語での会話を、トワは理解することができない。スミレが来る前までは、表情や状況からおおよその内容を把握し、時折キャロからの説明を受けることでコミュニケーションをとっていた。しかし深夜の襲撃により精神に多大な傷を負ってしまい、その傷を付けた張本人のスミレを前に、冷静さを失っていた。
手の傷が修復されていたその時に意識を失っていたために、トワの中でスミレは脅威でしかない。スミレの一挙手一投足が、すべて命の危機に繋がる。トワの中でスミレはそういう位置づけになったのだ。
その原因の一端は、やはりスミレが無表情なせいである。
表情は良好な対人関係を築く上で、言葉の次に重要な物だ。言葉の通じない相手には、せめて表情の変化で感情だけでも伝えるべきだろう。義利たちも、夕食の際の雑談では、意図して大げさに表情を作っていた。そうすることでトワが不安にならないようにという配慮だ。
スミレはそれを一切していない。
冷たい仮面の下では様々な感情が渦巻いているのかもしれないが、それを知る術は、本人であるスミレ以外にはない。
「……キャロはトワとお話するから、スミレはアダチとお話するの」
「すまない、と伝えておいてくれ」
無表情ではあっても、無感情ではない。
スミレも自身が感情表現の下手なことを自覚していた。故に、キャロへ言葉を託した。
「……さて、ヨシトシ。話をしよう」
「僕としては、話をする前に自己紹介をしたいですね」
彼はスミレの本名と、そして出身地を特に知りたいと思っている。
「名前。スミレ・F・アイランド。職業。兵士。趣味は特にない」
「……僕は足立義利です。職業は……無職。趣味は料理だったり読書だったり」
「アシュリー。悪魔。以上」
三者三様に自己紹介を済ませると、すぐにアシュリーは口を開いた。
「あんた、ティアナがアタシの名前を呼ぶ前に、アタシのことを呼んだな。ありゃどういうことだ?」
アシュリーは床に就いてから意識が薄れるまで、そのことばかりを考えていた。
本来であればその場で聞きたかったのだが、疲れとトワの治療の騒動で失念していたのだ。それを、枕に頭を乗せた時に思い出し、煩悶としたままどうにか眠った。
「あん時はたしか、すぐにわかる、とか言ってたよな? わかんねーから教えろ」
とても教わる側の態度とは言い難いアシュリーの物言いに、義利は苦笑いを浮かべる。
「ああ、わからなかったのか」
「バカにしてんな? もう一回ヤルか?」
「止せ止せ。お互い損失しかない」
アシュリーの短い導火線に火が灯ったが、すぐにスミレがその火を消す。
確かに彼らが戦うことで得る物は何もない。腹いせという目的は達成できたとしても、義利は寿命を失い、スミレは対価を失う。それだけだ。
「私は二人の精霊と契約してる。デコの方がレパイル。ずっと寝てる方がストックだ」
デコの方、と説明を受けて義利はクスリと笑った。
レパイルは前髪を中央で分け、それをヘアピンで止めているため、セットしている時は常に額が露わになっているのだ。本人が聞けば、きっとぷりぷりと怒るのだろうと想像し、笑った。
「レパイルの能力は、見せたように修復だ。ストックの能力は、予知。未来を見ることができる」
「未来を見る? それとアタシの名前がどう関係すんのさ」
「あの時は、すぐにティアナがアシュリーの名前を呼びながら止めに来たでしょ。それをスミレさんは見たんじゃないかな?」
スミレの言葉数の少ない説明を聞き、それでも理解できなかったアシュリーに、義利が補足する。
「っはーん。なるほどねぇ。未来を見るってなぁ、そういうことか。だから『超速拳』も『降雷』も避けられたわけだ」
「降雷? って、あの雷を落とすヤツ?」
「それ以外に何があるんだよ」
「……相変わらずのネーミングセンスだね」
「ねーみんぐせんす?」
「名付けの感性って言うのかな?」
「おう、じゃあ今度新しい技考えたら、ダッチが名前つけろよ。笑ってやるから」
二人の雑談をぼんやりと聞きながら、スミレは違和感を払拭しきれずにいた。悪魔と人間が良好な関係を築けていることは、別にどうでもいい。彼の発した言葉や、彼の名前に、違和感を覚えていたのだ。
「……アダチ、ヨシトシ」
ふと、口をついて出たのは彼の名前だった。
「はい?」
「まさか……。お前、日本人か?」
「それは僕も聞こうと思ってました」
その返事は、答えたも同義だった。




