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夜襲

 夜風になびく雑草を踏みしめながら丘を上がり、その上に建つ家を目指す。丸太組みで二階建ての、まだ新しい家だ。それを建築した者のこだわりである物見台と警鐘は、今は使われていないのか梯子にツタが巻き付き始めている。女性陣の強い要望で離れに建てた浴場は、つい最近に使われた形跡があり、かすかに火が燻っていた。


 空は晴れ渡っていて、星や月の明かりを遮る物は一切ない。ガイアの夜は完全な闇に包まれるが、満月の夜だけはランタンを持たずとも出歩くことができるほどに明るい。


 家に向かう道すがら、地面のぬかるみに車輪の通った跡を見つけてそれを注視する。

 

「四人――、いや五人か」


 車輪の跡の陥没具合から馬車に乗っていたであろう人数を割り出す。


 そして小さく呟くと腰に下げている刀の頭に手を置いた。二本あるそれらは漆塗りの細い鞘に納められており、三日月を思わせるような独特の反りをしている。


 もしも足立義利が見れば、それをこう呼んだであろう。


 日本刀、と。


 顔を上げ、丘の上を見る。一軒の家があるが、灯りがついていないためにその輪郭以外を捉えることはできない。


 睨むような目を家に注ぐ。瞳の色は黒。感情の一切を伺わせない無機質な目だ。


 扇状に広がった長い髪を一つに縛り上げると、彼女はメガネをくいっと持ち上げた。


「なになにスミレ、ヤル気なのかしら?」


 桃色の光が彼女の周囲を淡く照らし出した。精霊は、今まではスミレと呼ばれた女性のポーチに潜んでいたのだが、彼女の闘気を感じて姿を見せた。


 そして桃色の光に続いて黄緑色の光がゆったりとポーチから浮かび上がる。


「僕の出番は……、ないよねぇー……。おやすみぃ……」


 いったいなぜ顔を出したのか不明だが、黄緑色の光はすぐにポーチに戻ってしまった。


「あんの寝坊助……!」


 桃色の光が追うようにポーチに向かおうとしたのを、スミレが左手で妨げる。


「放っておけ」


「でも!」


「行くぞ、レパイル」


「…………はーい」


 精霊レパイル。契約者スミレ。そしてもう一体、黄緑色の精霊。


 彼女らは寝静まったティアナの家に襲撃を仕掛けた。



 敵の存在に真っ先に気がついたのは、トワだった。敵意に敏感な彼女は寝ていたにもかかわらず、それを感じ取って目を覚ました。まだ敵意の元までは距離があったために冷静に、まずは敵の数を把握しようと意識を集中させる。目を瞑り、ゆっくりと深く呼吸をする。おそらく一人、そして精霊も動向しているのだろうと予測を立てた。


 トワは考える。義利、ティアナ、キャロ、アシュリー、その四人の内でまず起こすべきは誰だろうかと。義利はまず選択肢から外す。どうやら疲れている様子だったのでゆっくり休ませてあげたいというのがその最たる理由だ。それに状況を伝えるためにもここはヌネグ語が伝わる者を選ぶべきだろう。結果、トワはキャロの元へと向かことにした。


「ホトツ・ツト」


 人形の着るような衣服で身を包んだまま眠るキャロの肩を軽く叩いて覚醒を促すが、反応は返ってこなかった。寝返りを打って、穏やかな寝息を立てている。身体を小さく丸めて眠る姿は小動物のようで可愛らしくあるが、今はそれを見て和んでいる場合ではない。


 トワはキャロを頼るのを止めて、その隣で眠っているティアナに手を伸ばそうとした。彼女もまた、ヌネグ語を介することができるためだ。それに精霊無しでも兵士ならば少しは対応できるだろうと、淡い期待をしながら起こそうとする。


――が。


 肩に手が触れるその直前に、第三者によってトワの体は突き飛ばされた。硬い何かで鳩尾を突かれ、その勢いで窓際にあるベッドとは正反対のドアに背を打ち付け息を詰まらせる。


「魔人の接近に気づかず居眠りとは、なんて暢気なヤツだ……」


 木で出来た窓を無音で切り裂いたその女は、長い刃物を片手に眉間を抑えていた。一本に縛り上げた髪が馬の尾のように踊る。その女の肩には桃色の光が浮かんでいた。


「ティアナのヤツ、ずいぶん不抜けたみたいね。鍛え方が足りないんじゃない?」


「……そうだな。朝になったらお仕置きだ」


「朝まで待つあたり、スミレは甘いのよ」


 トワは会話の内容を知ることはできないが、それを好機だと察する。子供だからと油断しているのだろう。警戒をしている様子もない。ならばその隙を突いてドアから廊下に逃げよう、と機会を窺っていた。幸い外開きのドアだ。ノブに手を掛けて体重を乗せれば簡単に開く。視線を外したその瞬間に行動できるようにと身構えた。


「だいたい、これだけ騒いでるのに起きないって、どういうことよ」


 精霊の言葉を受けた女がティアナの顔を覗き込む。


――今だ! とばかりにトワが右手でノブを倒す。


 その手を刃物が貫いた。


「~~~~~~ッぁあ!」


 先程まで女が握っていた物の半分以下の長さしかないが、同じ作りをしている。それが手の甲からトワの手を貫通し、ドアに縫い付けたのだ。狙ってのことなのかは定かではないが、人差し指と中指の筋の間を通すように。


 痛みに涙がにじむ。歯を食いしばり、意識の手綱を懸命に握り続けた。ここで倒れてしまえば、この家の全員が殺されてしまうとトワは真剣に思っているのだ。


 それだけは避けたかった。


 自分の安心できる環境を守りたいと思う気持ちも確かにあるが、それ以上に心優しい人たちのことを守りたいと、強く願っている。


 流れ出た血液に手を触れ、トワは襲撃者を睨んだ。トワの能力は液体の操作。それは一度手を触れた液体でなければならない。触手のようにうねらせながら目潰しを狙う。軌道を読ませぬようにと幼いなりに考え込んだ奇襲だったが、スミレはそれを上着を脱いで広げ、布に吸わせることで防いだ。その状態にされてはトワには操ることができない。


「睡眠系の能力ではないようだ」


 決死の攻撃を受けてスミレが思うのはそれだけだった。


「そもそもそんなことが出来たら私たちだって寝ちゃってるでしょうに」


 勝ち目がないとわかるやいなや、トワは自身に刺さっている刃物を引き抜こうとした。しかし痛みによって実力を発揮することができず、ただでさえ非力な彼女には動かすことすらも叶わない。


「~~~~~~!!」


 せめて敵の存在を知らせなければと、声を張り上げようとしたが、恐怖によって喉が引き締められ、思うように発声することができなかった。


 涙で視界がにじむ。刃物は微動だにしない。このままでは、全員が殺される。トワの目には、焦りの色が強く現れていた。この最悪の状況下で、せめて自分以外が助かる方法を懸命に模索しているのだ。


 叫んで知らせることも、刃物を抜いて逃げ出すこともできない。


 だったら。彼女は一つの決断をする。


 トワは肺いっぱいに空気を吸い込んだ。


「ホラ、放っておくと仲間を呼ぶかもよ」


 それに気づいた精霊が知らせる。


「それは面倒だな」


 スミレが窓を離れトワに歩み寄る。身動きの取れない幼子相手に余裕なのか、躊躇いがあるのか、ゆっくりと。


 迷っている暇はない。トワは目と口を硬く閉じ――。


 刺さった刃物によって自らの手を切り裂いた。


 噴出した血液に一瞬だけ手を触れさせ、無数の粒として飛ばした。同じように脱いだ上着で防がれるが、それで一瞬だけでも視界を塞ぐことに成功する。今度こそ、トワは部屋を出た。


 痛みに悶える素振りも見せずに廊下に飛び出し、階段を転がるように降りる。


 そして階段の裏に周り、そこにある扉を開いた。


 それは、義利に与えられた部屋だ。


 ノックをしている場合ではない。一気に開け放ち、トワは義利の肩を精一杯揺さぶった。


 彼はすぐに目を覚まし、トワの顔を見て、手を見て、事態を察する。


「アシュリー!!」



 寝起きの悪いアシュリーであったが、戦闘とあれば話は別だ。


 義利の叫びによる目覚めと同時に血の臭いを嗅ぎ取ると、即座に霊態となり融合をする。身体を明け渡す用意をしていたために、変化はすぐに完了した。


「っしゃあ! 行くぜ!」


 拳を打ち合わせて気合を入れるように声を張る。義利の声でアシュリーの口調というのはトワに不自然さを抱かせるが、それもすぐに気にならなくなる。元から中性的な顔立ちの義利が、毛髪が延びたことによって女性寄りになり、魔人化の影響で鋭くなった目つきもあって、成長したアシュリーのようにも見えるためだ。


『アシュリー、まずは止血から』


「おっと、そうだ」


 義利からの指摘を受けて踏みとどまる。そして明日の着替え用にと渡された服を裂いて、小さなトワの手を包み、少し強めに結んだ。


「今はこんなモンだろ」


 その当て布もすぐに血に染まる。だが魔人の修復能力は他人には作用しないために、これ以上の手当てはできない。


 アシュリーはトワを抱えたまま、窓から外へ出た。室内での戦闘はティアナに迷惑がかかると考えたのが一割で、残りは単に広い場所で暴れたかったからだ。


 裸足のままで夜露に濡れた草を踏みしめ、彼女は歓喜に顔を歪ませる。そして傷ついた幼女を自分の背後に置くと、アシュリーは家に向かって叫んだ。


「誰だか知らねーけど出てこい! アタシが相手してやんよォッ!」


 襲撃者はトワの血痕を追って義利の部屋にたどり着いていたのか、彼らと同じ場所から外へ出た。地に足を着けると刀を両手に持ち、身体の中心に構える。その姿に、やる気に満ち溢れていたアシュリーがピタリと静止した。


 正中線上に刀身があるために横や後ろは無警戒となっているが、鎧等でその弱点を補っているわけでもない。前後に浅く開いている足によって方向転換は楽に行えるように見えるが、到底魔人となったアシュリーの速度についてこれるとは思えなかった。


「なんだありゃ、隙だらけじゃねぇか」


『違う、あれは……!』


 義利は知っている。学校の授業で習った浅い知識っではあるが、その構えが攻防一体の完全に隙のない構えであることを。


 正眼の構え。身体の中心に刀を置くことで攻撃にも防御にも即座に移ることのできる構えだ。


『気をつけて、あれは隙じゃないよ!』


「あん? どー見てもがら空きじゃねーか」


 義利の注意も聞かずに、アシュリーは突進を開始した。だがいくらアシュリーでも正面から突っ込むような馬鹿はしない。相手の間合いを読んでギリギリまで接近し、直前で停止。そして横に回ってから拳を叩き込む。


 頭の中で十分にシミュレーションをしたアシュリーが行動に移した。


 足元の土が弾けるほどの力で第一歩を踏み出す。その一歩で十馬身はあった間合いを埋め、踵を地面に刺して停止する。図らずも、その際に飛散した土が目潰しとしての機能をはたした。襲撃者はそれを躱すように右足を半歩引き、剣先を後方に下げる。


――もらったッ!!


 勝利を確信した。頭部を狙って拳を構え、殺さぬ程度に力を調整する。


『アシュリー、下がって!!』


 義利が言い切るよりも早く、刀は振るわれた。風を裂く音と共に鼻頭を浅く斬られる。鮮血が舞い上がり、アシュリーはそこで自分が攻撃されたことに気づく。もしももう一歩踏み込んで拳を振り抜いていたら……。そんな余計なことを想像してしまい、行動が一瞬遅れてしまう。


 我に返ったアシュリーはあらん限りの力を使って後退する。しかしトワより後方へは下がらない。


 アシュリーは鼻に触れ、その指を見る。そうやって本当に傷つけられたのかを確かめた。


――あり得ない。


 長年の戦歴から、間合いを見誤ることなどまずない。武器と体格を見れば正確に計ることができる。ついさっきまで立っていたのは、確実に間合いの外だった。切先が寸前で届かないだけのかなり危ういところまで接近をしたが、それでも斬られるほどには近づかなかった。つまり、伸びるはずのない間合いが延びたのだ。アシュリーにはそれ以外の可能性が見当たらなかった。


 しかし、違う。


 アシュリーは間合いを見誤っていたのだ。


 日本刀を両手で持った状態でなら、アシュリーの目測通りの間合いで間違いない。だが、相手は土を躱す動作の中で脇構えになっており、そこから左手一本で刀を振り抜いたのだ。


 間合いが延びたように感じるのはその所為である。


 正眼の構えと脇構えでは拳三つほどだが間合いに差が生まれる。その誤差がアシュリーの間合い取りを狂わせていた。


「おい、ダッチ。ありゃ何だ?」


 傷は浅い。しかしその一撃をもってしてアシュリーは認識を改めた。


 彼女の知る刺突を中心とした剣術とは全くの別物だ。そのため少しでも情報を得るために、何かを知っている風である義利を頼った。敵の戦法を知っているか否かで勝敗は大きく左右される。


『あれ、僕の世界の剣術だよ。昔から続けられてるものだから、たぶん殺人に特化してると思う』


 義利の推察に大きな間違いはない。殺しのための術を武道という形で残したのがあの形なのだ。一対一の戦闘であれば正眼の構えほど有効な物はない。


「あらあら? スミレぇ、自慢の剣術躱されちゃったわよん?」


 レパイルが煽る。スミレは少しムッとすると構えを元に戻した。


「次は仕留める」


 二人のやり取りはアシュリーの耳にも届いており、それは挑発としての効果も発揮した。


「あんにゃろう、舐めやがって……!」


 頭に熱が入る。しかしそれではダメだと怒りを噛み殺した。


『詳しくはわからないけど、とにかく接近戦はダメだ。どうにか遠くから攻撃して、極力距離をおいて戦って!』


 義利は戦闘に関して詳しいわけではない。そのため対日本刀での素手の対処法など知るはずもなく、敵の武器が日本刀一つであることを念頭に戦略を立てた。日本刀の間合いはスミレの体格からしておよそ二メートル後半。その中にさえ入らなければ傷つけられることはまずないだろうと。


 アシュリーは遠距離からの攻撃方法を探した。手頃な石は転がっていない。土ではとても攻撃とは呼べない代物となってしまう。そこで、飛び道具の発想を一度捨て、単に間合いの長さを考える。目だけを動かし辺りを見回す。そして見つけた。


 物見台の梯子だ。


 決定してからの行動は早く、アシュリーはトワを抱えて物見台まで駆け抜けると手刀で梯子の根元を切り、それを横薙ぎに振った。ただの木で出来た梯子とはいえ魔人の膂力で振るえばその威力は測り知れるものではない。ただの人間であれば無事ではすまないだろう。骨の数本、当たり所が悪ければ内蔵の損傷すらある一撃だ。


 当然それをただ受けるような間抜けはいない。


 身体を回転させつつ梯子に袈裟斬りをする。切断された先端部が遠心力によって彼方へと飛んで行き、残された部位も空を切るだけに終わった。


 アシュリーは舌を打つと棒キレを捨て去りトワを抱え直した。


「もう少し我慢してろ!」


 珍しく、アシュリーが義利以外の他人を気遣う。しかし残念なことにトワには伝わらなかった。共通語で言ったから――、ではない。その時既にトワは意識を失っていたのだ。手からの出血はおびただしく、呼吸も浅くなり始めている。


 治療を優先すべきであることはわかっているが、それをしている余裕がないのだ。


 戦闘狂のアシュリーではあるが、スミレに対しては楽しむことを忘れ始めていた。数手交えただけでも分かるほどに強い。フレアなど目ではない。あの時のように笑うことが、今のアシュリーにはできなかった。


 アシュリーの目的は戦うことから生きることに切り替わっていた。


 義利からのアドバイスを元に、適切な距離を保ち続ける。木材での攻撃は不可能であることが判明したために、半ば手詰まりの状態だった。


 直後にスミレは刀を投擲した。円盤と見間違うほどの回転数で迫る刃物を寸でのところでしゃがみ、回避する。頭上を通過する際に猛烈な風切り音が響いたために義利は恐怖を覚えた。アシュリーはさらに刀の行方を目で追い、それが木々をなぎ倒す様を目撃して冷や汗を流す。


 魔人の修復能力があればその一撃で命を落とす事はないだろう。しかし上半身と下半身が分断され移動ができなくなったのなら、スミレはすぐに自分の間合いにまで距離を詰めて、確実に仕留めに来るはずだ。


――どうする、どうすればいい。


 方法が全く無い訳ではない。しかしそれはあくまで奥の手、アシュリーとしてはあまり気の進まない、できれば使いたくない手段だった。


 声にはせずとも義利がそんな気配を察した。


 何かしらの手を持っていながらも出し惜しんでいる気配を。


『アシュリー、やって!』


 義利が指示を出す。それが何かもわからぬままに。


「……魔力の消費が激しいんだよ」


 それは義利の命を削って作り出されるものだ。多くを使えばそれだけ義利の寿命を早めることとなる。


 アシュリーはフレアと戦った際にも、もっと楽に勝つことはできたのだ。しかし極力魔力の消費を抑えていたために一度は窮地に立たされてしまった。もちろん、単に彼女が戦闘を楽しみたかったということもあるが、最たる理由は魔力の節約にあったのだ。


 悪魔と契約を結ぶ人間が少ない今、次にまたアクターを手に入れられるのがいつになるかなど誰にも分かりはしない。もしや二度と叶わないかもしれないのだ。


 それに、たったの二日と少しの付き合いだが、アシュリーは義利のことを気に入っている。簡単に使い捨てられるようなつまらない人間ではないのだ。


「お前だってその意味が分かるだろ」


 義利は魔力の出処を知っている。人間の命を変換して生み出されるものだと、ティアナから聞かされていた。使えば使うほどに彼の命や身体を蝕む、いわば毒のようなものだ。


 それを知っていてなお、彼は言った。


『やれ!!』



「あの魔人、さっきから何をブツブツ言ってるのかしら?」


 レパイルが不思議がるも、スミレは気にする素振りもない。あくまで冷静に、腰に巻きつけていたムチをほどいた。


 革製のムチ、しかし先端には刃物が取り付けられている。


 それを振るった。


 一直線上に進んだ刃物が魔人の足元にたどり着いた瞬間、手首を返して引き戻す。その動作によって跳ね上がった先端がアシュリーの脇に目掛けて襲いかかった。血管か、筋、どちらかを切断することが目的だ。


 血管を切ることができれば大出血を起こすことができ、大抵の者は戦意を喪失する。そして血液の修復は魔人でもかなりの時間を要することになるために、たとえ戦意が削げなかったとしてもいずれは効果を発揮する。筋を切れば腕の可動を阻害でき、かなりの有利となるのだ。優先度としては筋のほうが高い。


 スミレはムチを操りつつ、ポーチからナイフを取り出した。引く、飛ぶ、身を躱す、いずれかの回避行動をしたとしても必ず数秒の隙が生じる。そこを狙って投げるつもりでいた。


 魔人の選んだ回避動作は『身を躱す』だった。上半身だけを九十度回し、跳ね上がった刃物を避けるつもりなのだろう。


 わずかに身体を動かした瞬間にスミレはナイフを投げていた。狙いは眼球。うまく刺されば脳に達し、それは魔人においても致命傷となる。


 襲いかかる刃物に視線を奪われている魔人はナイフに気づくのが瞬き一つ分だけ遅れた。その一瞬でスミレには十分だ。


「やっちゃえー!」


 レパイルがはやし立てる。言われるまでもなく殺る気だった。


 さらにもう一本のナイフを取り出して投げる。これでムチの先端を回避し、先のナイフを避けることができたとしても、二本目には対応ができない。それで決着のはずだった。


 そんな彼女の目論見は全てが外れることとなる。


 まず、ムチは回避されなかった。魔人は身体をひねり、ムチを正面に捉えるとそれを掴み取った。そして一本目のナイフは電撃に弾かれ、二本目は首をわずかに動かすことで躱される。


「筋力強化じゃなかったか」


 一切の動揺を見せず、スミレは見定めた。


 アシュリーの挙動は魔人としても異様に速かったために、その能力を筋力強化だと彼女は思い込んでいた。


 しかしナイフを弾いた電撃の青い光を目にし、その能力を正しく認識する。


 魔人は掴んだムチを力いっぱい引っ張った。体ごと持っていかれそうになったために手を離し、刀の鞘を武器の代わりに構える。


「あらあら〜? スミレちゃーん、ひょっとしてピンチなんじゃなーいのぉー?」


「黙ってろ」


 スミレにとってこの程度、ピンチではない。確かに余裕はないが、勝ち目がなくなった訳ではないのだ。


 電撃での防御が可能で、並の魔人よりも機敏に動ける程度なら--。


 ふと、魔人の姿が消える。景色の中に溶けるように、自然に消失した。スミレは気配を探ることで魔人の位置を特定しようと意識を集中させた。あれだけの闘気に満ちた魔人だ。気配はすぐに分かる。


 だが。


「っく!」


小さく呻く。レパイルにはそれが何故発せられたのか理解ができなかった。だがスミレを見れば、体をくの字に折り、腹部を抑えていた。いつの間に、とレパイルは思う。いつの間に攻撃されていたんだ。


「……ちょっと、ホントにヤバいんじゃない?!」


「かもな……」


 吹き出すのを堪えた胃液が口の端からにじみ出る。スミレは痛みに顔を歪めながらも思考を止めはしなかった。攻撃の種類としては打撃。攻撃方法は、周囲に散らばっている木片から、梯子の足場になっていた短い木ではないかと憶測を立てる。


 だが問題はそこではない。魔人が急速に接近するのをスミレは捉えてはいた。しかしそれに合わせて攻撃をしようとした時に、眼前で強い光が放たれて目を瞑ってしまったのだ。そのため動作が一瞬遅れ、魔人からの攻撃に対処ができなかった。


「おい」一度攻めるのを辞めて防御に専念しようと決めたと同時、声がした。魔人の声だ。「これからコイツでもう一発殴る」


 そう言って見せびらかすように持ち上げられたのは、スミレの予想通り、梯子の足場として使われていた木材だった。


「悪いがアンタには手加減できそうもない。殺したくないから、逃げるなら早くそうしてくれ」


 その言葉にスミレは失笑した。


「誰が魔人の言葉なんか」


 殺したくない。そんな見え透いた嘘に騙されはしない。


「……そうか」


 魔人が表情を曇らせた。そして姿を景色に溶かす。


 スミレは右手に本差しの鞘を順手で、左手に脇差しの鞘を逆手で持った。


――攻撃は一度捨てろ。見なくても合わせられるようにタイミングを測るんだ。


 自身に言い聞かせるよう、改めて強く念じる。


 一撃目。よほど自信があるのか、またも正面から魔人は来た。鞘尻を下げて先に防御に徹し、間合いの二倍の距離から打撃までにかかる時間を見る。


 二撃目。防がれたからか左方に回って突進が開始された。脇差しの鞘を本差しの鞘で支え、先ほど体に覚えさせた時間が正しいかを確認する。


 三撃目。今度は右方からだ。それを最終確認の意を込めて、間合いの二倍に入られてから防御に移る。すると間一髪--、いや完璧なタイミングで受けることができた。


 四撃目。前方から。これを防ぐのは脇差しの鞘のみだ。本差しの鞘で心臓を突けるよう位置どりをする。こちらから突き出す必要はない。あれだけの突進力があれば、その位置に固定しているだけで十分以上の殺傷力を発揮することが可能だ。


 スミレの手に確かな感触が伝わる。先の丸まった棒で肉を貫く感触を間違える訳がない。突いたのではなく、貫いた。魔人の姿を視認した瞬間にそれを力技で地面に深く突き立てる。


 しかしそれで決着はつかなかった。


 魔人は心臓に命中するはずだったそれを回避しようとしたのだろう。貫いたのは左の肩だった。


 地面に倒れたまま、魔人が右手の人差し指と中指を揃えて伸ばす。その先端には電撃が球状に集束させられていた。


「っ!!」


 とっさに脇差しの鞘で右肩も貫く。電撃の塊がスミレの頬の真横を通過し、空に消えた。


 何が殺したくない、だ。全身の毛穴が開き切ったような寒気を感じる。今のを受けていたら形勢逆転どころの話しではなかっただろう。


「ふぅぅぅ……」


 行動の自由を奪うことに成功し、スミレはひとまず張り詰めていた緊張の糸を緩めた。


「ちょっと、もう武器がないわよ!」


 レパイルの指摘を受けて、スミレは気づく。


「あー……。ホントだ。どうやって殺そう……」


 本来は一撃で仕留めるはずだったのだ。それが外れ、そして手元にあった脇差しの鞘も、魔人の体に突き刺してしまっている。本差しと二本のナイフは投げて、脇差しはティアナの家に刺さったまま。ムチは魔人によって捨てられているために、止めを刺す方法がなくなっていた。


「脇差し、取ってきてくれ」


「やーよ。あんなの抜けるわけないじゃない」


「ドアを切ればいい」


「ティアナが怒るわよ」


「知らん」


 ただでさえ口数の少ないスミレが、戦闘の疲れもあってさらに少なくなる。反面目つきは、普段よりも凶悪さを増していた。


「まったく! 人間のくせに!」


 ぷりぷりと怒りながらレパイルが家に向かう。しかしそれも無傷で戦闘に勝利したという事実あってのことだ。負けていたなら怒ることもできはしないのだから。


「………………」


 残ったスミレは何の気なしに魔人の表情を見ようと思った。


 激痛の中で死を目前に、いったいどんな顔をしているのだろうか、と。


 腰を曲げ、噛みつかれないように注意しながら魔人の長い前髪を掻き分ける。


 両肩を地面に縫い付けられ、自由を奪われ、これから殺される魔人が浮かべていたのは。


 笑みだった。


 目つきは鋭いが、魔人の口は確かに弧を描いている。まるで勝利を確信しているかのように見え、スミレは思わず尋ねた。


「なぜ笑う?」


「アタシの勝ちだ」


 身構える。気を抜いていいのは止めを刺してからだ。魔人には最後の手段が残っているではないか。そのことに気付き、転がって魔人から離れる。あまりにも熾烈な戦いにひと段落がついたために熟達のスミレですらもわずかに油断をしてしまっていた。


 だがそうではない。魔人の笑み、その理由は上に有った。


 魔人が肘を曲げて天を指差す。つられて空を見上げるが、そこには雲があるだけだ。


「雲……?」


 首を傾げた。なぜそこに雲があるのだ? あんなに晴れ渡っていたのに。


 地鳴りのような音が空から響いてくる。それは、そこにあった雲は雷雲だった。


 夜空を電光が照らす。


「苦労したぜ、アンタにバレねぇように仕掛けるのはよぉ」


 まるで自身がそれを作り出したかのような口調で悪魔は言った。


「お前の能力は電撃だろう」


 気象を操る能力ではない。つまり第三者によるもので、悪魔の言葉はハッタリだ。スミレはそう決めつけていた。


「雷だって、電撃だぜ?」


 悪魔の指先から髪の毛ほどの細さの電気が天に向かって昇る。


 それを合図に雷がスミレに直撃した。


 目が眩み、全身が痺れる。しかし不思議と痛みはなかった。


「今のはただの威嚇だ。次は--、分かるよな?」


 先ほどまでの余裕は、すでにスミレにはない。このまま戦闘を続けても勝てるかどうかと危ぶまれるほどだ。体の自由が効くという点でかろうじて優位に立っているが、それもあの雷雲によってあまり意味をなさない。おそらくは雲の届く範囲であれば、どこにでも雷を落とすことができるはずだ。


 スミレは今までに何人もの魔人を相手取ってきたが、これほどまでに追い込まれたことなど数えるほどしかない。


ーーこれは……、久しぶりにやるしかないか。


 そんな魔人を前に、しかし彼女は逃げるという選択をしようとはしない。--いや、そんな魔人だからこそ、彼女は逃げる訳にはいかなかった。


 相手は倒れているためにこちらのことを正確には捉えられていないだろう。そう思い、スミレはポーチの中に手を入れようとした。


 その瞬間。


 スミレの目の前に一筋の光が降ってきた。目の前の空間に亀裂が入ったかのように見えるそれは、魔人の操る雷だ。


 発破音がし、足元の土が弾ける。


「妙な気を起こすな。警告はこれで最後だぞ」


 これで本当に、雷を狙った場所に落とせることが判明した。そしてその威力もだ。


「ストック、起きてくれストック」


 口を動かさず、スミレはもう一人の精霊に呼びかける。


「なにさー……、僕は寝るのに忙しいんだよぉー……」


 それにポーチから現れた黄緑色の光を放つ精霊が答えた。


「ストック、やるぞ」


 魔人と互角以上の肉弾戦を続けていた彼女だったが、精霊の力は一切借りていなかったのだ。


 スミレが瞳を閉じる。ストックは静かに彼女の体内に入った。


 魔人はそのことに気づかないまま、拘束を解こうと四苦八苦している。


 その頃レパイルは、扉に刺さった脇差しを前に、どうしたものかと手をこまねいており、ティアナとキャロは騒動の中でも眠り続けていた。

 

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