第04話〜言い知れぬ予感〜
死傷者千人。
それが魔人・ネクロと魔人・コロナによってもたらされた被害とされている。
彼らの手による直接の被害だけでそれだ。
ネクロの操る死体での被害を含めれば、その数は倍以上になる。
そんなラクス史上最大の事件から、三ヶ月が経とうとしていた。
たった三ヶ月。
それだけの期間で、ラクスは一応の平穏を取り戻している。
瓦礫の撤去や倒壊した家屋の再建が想定以上に早く完了した事も理由の一つではある。
だが何より。
彼らの大半は『ソレ』を現実として受け入れることができずにいたのだ。
一部の幸運な者は身内に被害がなかったからと、自身とは隔絶した問題として消化し--。
それ以外の者は、滞りなく日常を送る隣人を見て、悲劇を悪夢として忘れようと努めていた。
魔人の脅威から、目を逸らしたのだ。
それは決して悪いことばかりでは無い。
いつまでも過去の出来事に怯えたままでは、前に進むことができなくなってしまう。
脅威を忘れずに前を向くことができれば、最善だ。
しかし魔人の恐ろしさを直に感じなかった者たちは、身近で起きた悲劇を他人事と受け流すことで--、そうでない者は忘れることで前に進むことを選んだ。
選んで……、表面上の平穏に安寧を見出していた--。
◆
「今日もエストは平和です」
依頼書の一枚すら張られていない掲示板を前に、義利がとぼけた口調で呟く。
平時であれば、魔人あるいは魔獣による被害の報告や、救援の要請等で埋め尽くされるのが当たり前なのだが、彼はそれらの文面を一度たりとも目にしたことが無い。
「今日もやること無しか。さすがに飽きるっつーか……」
「張り合いがない?」
「そんなカンジ」
肩を落とすアシュリーを見て困ったように笑う義利ではあるが、彼としても概ね同意見だった。
ティアナの言葉を借りれば『今までが異常』だっただけなのだが、それでも彼は拭いきれない違和感を抱えている。
原因は、一つ。
ネクロだ。
彼だけが知っている、彼だけが対話した魔人。
人間を滅ぼし、悪魔のための世界を作り上げるとまで宣言していたネクロが、以前の襲撃以降に何の行動も起こしていないのだ。
そのための違和感--と言うよりも不安感だった。
この平和が、何か騒乱の前触れなのではないかという不安が、頭の片隅から離れないのだ。
「どうしたー? 思いつめた顔なんかして」
思案に暮れていた義利を気遣い、アシュリーが問いかける。
これが純粋な悩み事であれば、彼もアシュリーを頼ったのだが、悩みの種が憶測の域を出ていない以上、余計な不安をあおるだけになってしまう。
「んーん。いつか空が落ちてくるんじゃないかって心配でね」
故に、彼は適当な誤魔化しをした。
「そりゃ杞憂ってヤツだな」
「そうとも言う」
軽い冗談を交え、義利は歩き出した。
その後ろをアシュリーが続く。
「今日も行くのか?」
「一応ね」
彼らの向かう先は、マナ・ジャッジマンの執務室だ。
マナの契約している天使--センリは、およそ最大の探知能力を有している。
その探知結果を聞くことから、義利の仕事は始まるのだ。
長い廊下を進み、第五大隊の作業部署の前に立ち、そこで彼は簡単に身だしなみを整える。
そして小さくため息をして、コンコンコンと三回扉を叩いた。
「失礼します。大隊長どのはご在席でしょうか?」
扉を開け放った直後に白い目を向けられつつも、彼は要件を伝える。
しかし、いつも通りに返事はない。
誰もが未だに足立義利への対応に恐れを抱いているのだ。
「おい--」
「あれ、ヨシトシじゃん」
いつもの通りにアシュリーが手近な兵士に掴みかかる直前。
今しがた彼が通った扉が開き、そこから現れた人物が、親し気に声をかけてきた。
振り向くと、そこにいたのは白い長髪を寝ぐせで方々に跳ねさせているナイトだった。
見知った顔を見つけ、そしてアシュリーの手が止まったことに、義利は胸をなでおろす。
「ああ、良かった。今日は誰も泣かさずに済むよ……」
事務仕事を主に行っている性質上、第五大隊にはあまり気の強い者がいない。
そのため、毎朝義利を無視してはアシュリーに一名が泣かされるのが通例になりつつあったのだが、この日は違った。
「……あー。今度からはもう少しゆっくり来て。そうすれば僕がいるかもしれないし」
状況から事態を把握し、あくび交じりにナイトが言う。
「っつーかナイト。お前、いつも寝坊してんのか?」
そこへ、苛立ちが収まりきっていないアシュリーが噛みついた。
「まあね……。ここのところ、何故か毎朝誰かしらが泣かされてて、それをなだめたりで仕事に遅れが出ちゃって夜中まで作業してることが多かったから」
「いや--。あー……」
コイツらが無視しなければ、と言いかけて、アシュリーは口をつぐむ。
元悪魔と、その契約者だ。避けようとするのが当然であることを、彼女は痛いほどに知っていた。
自身が異端な存在であることを思い出し、そのために踏みとどまったのだ。
「……アタシが悪かった」
「いや、こっちにも非はあるみたいだし……」
元とはいえど悪魔からの謝罪があるなどと思ってもみなかったナイトは、口にした皮肉に良心を痛める。
「それで、何の用? 僕でよければ聞くけど」
直前の出来事を無かったことにするために、彼は話題を変えた。
「ああ、うん。マナ--ジャッジマン大隊長に会いたいんだけど、今って大丈夫かな?」
「今日は特に予定も無かったはずだし、大丈夫だと思うよ?」
「そっか。ありがとう」
そう言って奥にある執務室へと足を向かわせて--、ふと義利は引っ掛かりを覚える。
「あれ? なんでナイトが大隊長の予定を知ってるの?」
彼はつい先日に採用されたばかりの新兵だ。
そんな彼が、隊を仕切る者の予定を知っているなどおかしい。
するとナイトは、何でもないように答えた。
「僕、副隊長だし」
「……はい?」
思わず義利は聞き返していた。
あまりの驚きに、思考がついていけなくなったのだ。
採用されてすぐに副隊長になどなれるはずが--、と言いかけ、自身もまた同じ役職についていることに考えが及ぶ。
しかし義利は異例中の異例なのだ。
魔人であった彼は、一般の隊では扱いきれないからと、半ばはじき出される形でそうなってしまっただけで、ナイトの場合とは異なる。
疑問符を浮かべて唸る義利に、ナイトは得意げな顔となった。
「ジャッジマン大隊長の前で『僕は悪意のある嘘を吐いたことはありません』って宣言したらこうなった」
その説明により、義利は大いに納得をする。
マナ・ジャッジマンは契約精霊のセンリにより、嘘を見抜くことができるのだ。
彼女にとってナイトの言葉は、何よりも信頼するに足るものであった。
そのために腹心の部下として手元に置いたのだろう、と。
「ま、予定が無いって言っても仕事はあるから。用は手短にね」
「うん。すぐ済ませるから」
軽く手を振りあって別れ、義利は執務室の扉に入り--
「ウチの副隊長はあげませんよ」
--心底機嫌の悪そうな顔で迎えられた。
「いや、取らないですって……」
彼女はよほどナイトのことを気に入っているのだろう。
挨拶すらも飛ばして釘を刺した。
義利は軽く流すも、マナから向けられる疑いの目は消え去りはしない。
しばらくジットリと睨み、義利から嘘の気配を感じられなかったことで、ようやく彼女は視線を和らげる。
「……それで、今日もですか?」
「うん。お願いできる?」
質問ではなく確認だ。
マナは義利の返事を待つことなく、探知を開始している。
目を瞑り、数秒。
「……今日も反応はありません」
「そっか。良かった」
「………………」
そんな義利の独り言に、マナは眼光を鋭くした。
「アダチ副隊長。何故、嘘を吐いたのですか?」
「え?」
「『良かった』とおっしゃいましたが、嘘でしたね。何故ですか?」
失態に気づき、彼は口を手で覆うも、既に手遅れだ。
「貴方の性格からして、争いを求めているワケではないはずです。だというのに、魔人の気配が無いことが良くない……。どういうことでしょうか。ご説明いただけますか?」
マナの疑問に対する探究心は執拗なほどのモノであることを、彼は知っている。
一度この状態になった彼女は、満足をするまで追求を辞めることがない。
「えっと……」
「嘘や誤魔化しは通用しないので、あしからず」
にっこりと、形だけの笑顔を浮かべたマナ。
それを前にした義利へ、アシュリーまでもが興味を惹かれていた。
「……あんまり言いたくないんだけど、平和すぎて何かの前触れなんじゃないかって不安でさ」
「嘘ではないが、本音を隠している。……といったところでしょうか?」
センリの能力は、あくまで『五感の強化』だ。
その能力で相手の心拍数や体臭等の変化を読み取ることで、マナは嘘を見抜いているに過ぎない。
本来であれば今のように、真実の中に含まれた嘘までは判別できないはずなのだ。
それを可能にしているのは、彼女の生まれ持った几帳面さによるものだった。
「あー……。その……」
どうにか取り繕おうと間を持たせる義利だが、その必要はなかった。
「まあ、いいです。見逃しましょう」
「……いいの?」
「貴方のことです。問い詰められて言わないのであれば、それに足る理由があるのでしょう?」
「うん。言うべきじゃないかなって」
「その言葉は嘘ではないようですし、今のことは無かったことにしますよ」
ティアナから『石頭』と称されているマナが、ここまで柔軟な対応をするのは、義利の日頃の行いによるものだ。
別の部隊であるマナにすら分かるほどに、彼の仕事ぶりは真面目だった。
毎日欠かさずに魔人の探知を依頼に来ていることも含め、彼女は義利のことを高く評価している。
「では、そろそろ仕事に戻りましょうか」
彼との雑談に興じてばかりもいられないほどに膨大な仕事を抱えているマナは、ため息交じりに切り出した。
言葉にすることは無いが、彼女にとって義利は、気兼ねすることなく話ができる貴重な存在なのだ。
普段であれば探知の結果を知らせた後には日常会話をしていたのだが、この日は義利の妙な『嘘』によりその時間を費やしてしまっている。
数少ない息抜きの機会を逃し、わずかに気落ちをしているのだった。
「もう始業時間は過ぎてるもんね。じゃあ、また明日」
「ええ。また明日」
自然に義利を見送り、ふと、彼女は口元を緩める。
初めは怯えすら抱いていた彼と、いつのまにやら友人とも呼べる関係になり、さらには毎朝顔を合わせるのが当たり前になっているのが、どこかおかしく思えたのだ。
「さて、頑張りますか!」
小さく気合を入れ、彼女は山積みになった書類へと手を伸ばした。




