第四章 10
「--ってわけで、アダチさんが帰ってくるのは少し遅くなるから」
隊舎へ帰ったティアナは、疲労で増大している睡魔と戦いながらも、ことのあらましを伝えた。
「わかりました。……それにしても、アダチくんはいつも大変な目に遭ってますねぇ。チキュウとやらでは悪い子だったんでしょうか?」
場合によっては命を落としかねない状況だと聞かされたと言うのに、プランはそんな風にとぼけたことを言う。
ゆったりと紅茶を口元に運び、味わい、一息ついてから、彼女は続けた。
「まぁ、アダチくんの性格からしてそれは無いでしょうけどね」
「そう思うのも仕方ないってくらいには、いつも何かしらに巻き込まれてるような……」
二人は深く頷き、理解を深める。
彼女たちの目から見た義利の日々は、不幸の連続なのだ。
何も知らぬまま悪魔と契約を結んだことが、そもそもの原因だろう。
「……あなたたち二人は、一度はアダチさんの厄介ごとの原因だったんだけど」
トワの一言で、和やかだった空気が冷やされる。
プランに関して言えば、初対面の際だ。
事情を知らなかったとは言え、殺すつもりで義利へ攻撃を仕掛けている。
ティアナの場合で言うと、先日の件もそうだが、彼女もまた初対面の際に義利を殺すつもりで襲いかかっているのだ。
「あぅ……」
痛いところを突かれてプランは小さく呻き。
「で……。でも私は、お詫びの代わりって訳じゃないけど衣食住を提供してるしっ!」
「それはフレアとかいう魔人を倒すのに協力する対価って聞いたけど?」
言い逃れをしようとしたティアナは、傷を深めることとなった。
「ま、とりあえず慌てる必要もなさそうだし、私はグロウを手伝ってくる」
スッと立ち上がり、トワは外へと向かう。
「……アダチさん絡みのことなのに、随分と落ち着いてるじゃない」
義利を残して来たことについて、トワからは抗議をされるだろうと思っていたティアナは、意外な反応に驚かされる。
「だって、ここで慌てたって出来ることなんてないもの」
トワの言い分は至極真っ当なものだ。
精霊の泉へ行くとなれば、最短でも五日を要する。
試験開始から、合計十日。
仮に義利が試験に合格できていなかったとしたら、死んでいる。
人は飲まず食わずでそれだけの期間を生きられないのだ。
そして合格していた場合には、入れ違いとなるだろう。
いずれにしろ義利のために出来ることは何もない。
だからトワは、割り切ったのだ。
「……それに、癪だけどアノ人の予知なら、悪い方向にはいかないでしょ?」
と、最後に彼女は、どこか忌々し気に言い残した。
トワが頭に浮かべたのは、忘れもしないティアナ救出の際の出来事だ。
吐き気を催すほどに最悪な未来を見せられた。
それも、もしも知らずにいたのなら、現実となっていたと確信を持て言えるモノだった。
ある意味では、トワもまた原島スミレに救われた身ではある。
それに恩を感じていないといえば嘘だ。
しかし同時に、怨みもしている。
未来を知らないままでいれば『義利のために命を捧げる』という、トワにとっては最上の死を迎えることができていたのだ。
その後に義利が生き地獄を歩むと知りさえしなければ、満足して死ねたはずだった。
だからトワは、原島スミレを怨んでいる。
義利に恩を返す最大の機会を奪ったスミレを、憎んですらいる。
「……さ。アダチさんが帰ってきた時にガッカリしないように、庭の手入れをしなきゃ」
あまり深く考えると死者に鞭打つこととなるために、トワはこれからの行動を口にすることで思考を切り替えた。
それ以上は内心のこととは言えど、人の道に反することとなる。
何より、万が一にも義利に知られたのなら嫌われるだろう言動や考えを、トワは好まない。
彼と出会ったあの日から、トワは自身の全てを義利のために使うと誓っているのだ。
誰にでもなく、ただ自分に、誓っているのだ。
◆
「--それで、ダンデリオン隊長? どうです? 少しは何かありました?」
トワが庭いじりに精を出している頃、プランはニヤニヤと、あまり上品とは言えない笑みを浮かべながらティアナに詰め寄った。
彼女が知りたいのは、言わずもがな義利との仲についてだ。
恋愛経験のないプランにとって他人の恋は、いわば嗜好品だった。
耳に入っただけでも心が踊り、直接聞けば身悶えするほどに。
それがよく知る二人のモノともなれば、なおのこと。
プランはティアナからの甘い話を、まるで恋愛小説のページをめくる少女のように心待ちにしていた。
「期待してるところ悪いんだけど……、別に何もなかったわよ」
「…………………………はい?」
長い空白を挟み、プランの顔からアリアリと浮かんでいた喜色が沈む。
そして直後。
「一週間ですよ!? 本当に何もしなかったんですか!?」
ともすれば憤りをも感じさせるほどに興奮して、プランはテーブルに身を乗り出した。
「一週間! 若い男女が二人きりで一週間です!」
「アシュリーとキャロも--」
「そういう言い訳は認めません!」
「えぇぇ……」
あまりの勢いに、若干ながら圧されたティアナは身を引く。
「何も肌を重ねろと言っている訳ではないんですよ? 流石にダンデリオン隊長にはまだ早いです」
肌を重ねる。
その言葉によってティアナの脳内で、ある出来事が想起された。
ティアナが義利に対し恋愛感情を抱いたその日の夕方。
偶然の結果として混浴をした時のことだ。
あの時ティアナは、初体験におよぶ覚悟を決めていた。
嫌々ではなくむしろ、義利に純潔を捧げるくらいの気持ちで、だ。
思い出したことで、彼女の顔が上気する。
「こここっ、この話はもうやめましょ?!」
「いいえ、やめません。その様子ですと、口づけもまだですよね?」
「まだだけど! 終わり! もうおしまいっ! 疲れてるから寝る!!」
そう叫ぶとティアナは、耳を塞いで自室へと駆け出した。
「そんなんじゃあ、アシュリーちゃんに勝てませんよー!?」
背中に投げかけられた声を無視して、風呂にも入らずティアナは頭まで布団を被って目を瞑る。
当然、煩悶したままでは眠れるはずもなかった。
◆
翌朝。
一日の始まりを知らせるはずの最初の鐘は、夜明け前に打たれた。
「こんな明け方に早鐘……?」
本来であれば日が顔を出してから鳴らされるそれが、まだ星の見える時間に響き渡ったのだ。
つまり、時刻を知らせるためのモノではない。
ティアナは寝起きの頭を振り、意識を覚醒させる。
鐘は今も、絶え間なく叩き続けられている。
その意味は、魔人の接近だ。
ベッドから飛び起き、ティアナは念のためにと防具を身に付けていく。
「キャロ、探知をお願い!」
魔人の探知をしたのが誰の天使であるかは不明だが、義利の気配を知らない者であれば、この騒ぎは無用のものとなる。
けたたましい金属音に叩き起こされたことで機嫌が悪いのか、キャルロットは目を細くしていた。
「この感じ……、アダチとアシュリーじゃないの!」
「こんなに頻繁に来るなんて……!」
魔人というものは、平時であれば年に一度しか現れない。
悪魔と契約を交わす者が滅多にいないからだ。
人間には、悪魔と契約をする利益がない。
莫大な力を得られるが、それを使うのは悪魔なのだ。
悪魔と契約をした人間は、身体を奪われ、命を魔力として消費される。
命を失ったとしても殺したい相手がいる者。滅ぼしたい土地がある者。
そういった人間しか悪魔とは契約を結ばないのだ。
そして強い憎しみを抱いている者でも、肉親や友人を巻き込みたくない場合には契約をしない。
魔人になり得る要素を持つ人間は、至極限られるのだ。
「……行くわよ、キャルロット」
「はいなの!」
支度を終えたティアナは、ノックもせずにプランの部屋のドアを開け放つ。
「プランさん、支度を--」
「できてます!」
勢いよく返事をしたプランは、すでに出動の準備を終えていた。
しかし心の準備はできていないらしい。
緊張か、あるいは恐怖からか、彼女の足は震えている。
そんなプランの背を軽く叩き、ティアナは言う。
「大丈夫。絶対、誰も死なせたりしないわ」
それは単に、プランを安心させるためのものではない。
ティアナの決意表明でもある。
「生きて、帰ってきましょ」
「はいっ!」
誰も、自分自身も死なせない。
強い覚悟を決めて、二人は魔人の気配に向かって行った。
◆
天使たちの探知を頼りに向かえば、そこではマナが紙束を片手に指揮を執っていた。
「ああ……。ダンデリオン隊長にプランさん。休暇中だというのに、ありがとうございます」
ティアナたちの顔を見て、マナは小さく頭を下げる。
「挨拶はいいから、とりあえず状況を教えて」
「はい。接近中の魔人は一人。おそらくあと半刻でラクスに来ます。現在、戦闘可能な兵士は門に配置、それ以外の兵士は住民の避難に当たらせています」
「……門には何人いるの?」
マナの様子から嫌な予感を覚え、ティアナは問う。
万全の体制で迎え撃とうとしているようには見えなかったのだ。
問われたマナは歯嚙みをしながら、答えた。
「………………二名です」
「ふふ、二人ぃ!?」
緊張で硬くなっていたプランが、思わず叫んだ。
「し、失礼しました……」
注目を集めたことで縮こまり、プランはティアナを盾にするように身を隠す。
だが、叫ぶのも仕方のないことだった。
ネクロの襲来以降、ラクスの国務兵は大きく数を減らしている。
それでも、最低限の人員は周囲から呼び寄せたはずだった。
最低限、魔人と戦えるだけの戦力は、揃えたはずなのだ。
「もしかして、その手に持ってる紙って……」
「辞表です……」
ああ……。とティアナは納得する。
一地域に現れる魔人は、年に一人。
その通説を信じて残った兵士と、呼び寄せられた兵士が、辞めていったのだ。
「……了解。魔人は任せて」
「ご武運を」
ティアナはマナと別れ、魔人が来る方向--、門へと向かう。
事前に知らされた通り、そこには二人分の影しかなかった。
「……あれ?」
両者共に、見覚えがある。
薄暗い中でも、ティアナはその二人の正体にすぐに気がついた。
「アルにナイトじゃない!」
「ん? おお、第零大隊長。ご無沙汰」
「アル。敬語使いなよ」
ティアナの声で振り向き、すぐにアルは片手を上げて笑いかけた。
そんな彼の口調を咎めつつ、ナイトは小さく頭を下げる。
「堅苦しいのは苦手なんだ。それに、大隊長は気にしていないようだぞ?」
「まあ、年齢的には私が一番下だろうし」
「はぁ……。ダンデリオン大隊長がいいなら、それでいいか」
気さくに話し合う三人を見て、ティアナの影にいたプランは首を傾げた。
彼女は、アルとブロウに対してあまりいい感情を抱いていない。
もっとも、それは誤解から産まれたものだ。
「あの……、ダンデリオン隊長? この二人は、もしかしなくともお知り合いでしょうか?」
「ええ。コロナと戦った時に協力してもらったのがこの二人よ。言わなかったっけ?」
そうしてティアナを介して紹介をし合うだけで、小さなわだかまりは解消された。
だが、和んでなどいられない。
今は魔人が接近しているのだ。
「……さ。おしゃべりはここまでよ」
たった一言で、空気が引き締まる。
ティアナの声で、三人は覚悟を決めた。
命がけの戦いに身を投ずる覚悟を。
ティアナが正面に手をかざす。
そこに見えない壁が作り出された。
プランが地に手をつく。
周囲一帯の植物を掌握した。
アルが拳を構える。
硬化により鋼の硬さが宿った。
ナイトは三人よりも後ろに位置する。
魔人が視界に入れば、感覚の反転はいつでも可能だ。
現状でできる、最良の態勢は整った。
ティアナの作った見えない壁が、魔人の行く手を阻み、さらには遠隔からの攻撃を防ぐ。
魔人の足止めに成功すれば、そこをプランの操る植物が絡めとり、ティアナとアルが襲いかかる。
万一、その連携に支障が出れば、即座にナイトによる感覚の反転を行い、魔人からの反撃を妨げる。
現状では、これが最良だ。
だがその場の四人は、声にはせずとも同じ不安を抱いていた。
ここに足立義利がいれば、と。
アルとナイトに関しては、聖人のみで魔人と戦うのは、これが初めてのことになるのだ。
炎を操る魔人--、コロナとの戦闘では、義利の介入があったからこその勝利であると、二人は身に染みて理解している。
魔人とまともに対峙するのが初めてとなるプランは、心の隅で義利の力を欲していた。
今の戦力に不満があるわけでは無い。
魔人を相手により安全に、確実に対処するには、同じ魔人の力を持つ彼が必要なのだ。
この中で最も魔人との戦闘経験があるティアナですら、やはり義利のことが頭をちらついてしまっている。
進化態と呼ばれる魔人でなければ、ティアナ一人でも十二分に対処は可能だ。
ほんの数ヶ月前までは、実際に一人で何度も魔人と戦い続けていたというのに、今のティアナは背中に寂しさを感じている。
「来るよ!」
ナイトが声を張る。
静寂の中にあった森に、騒音が生まれた。
樹をなぎ倒しながら、人影が迫って来る。
ティアナはその進行先に、さらなる壁を作り出した。
直後、硝子の砕けるような音が響く。
「割られた! アル、硬化での防御はあてにしないように!」
「了解!」
ティアナの壁とアルの硬化は、同程度の硬度だ。
壁が容易に破られた以上、硬化を過信して打撃を受ければ致命に至る。
「プランさんとナイトは、一撃でも受けたら終わりだと思って!」
「了解しました!」
「わかった」
次第に足音が近づく。
「------!」
その元から、男の声がした。
何をいっているのかまでは判然としないが、やはり義利の声ではない。
「ナイト! お願い!」
ついに影が視界に入り、ティアナは短く指示を出す。
ナイトは即座に能力を発動した。
向かってきていた魔人が転倒する。
「プランさん!」
そこへ更に、プランの操る植物が襲いかかる。
対象を包み込むように無数の蔦が絡みついた。
「アル! 行くわよ!」
アルは小さく頷いて返す。
ナイトの能力により、右腕を動かそうとすれば左脚が、右脚を動かそうとすれば左腕が動く。
そんな感覚が混線している中でプランの蔦を振りほどくのは容易ではない。
奇襲を受けた魔人は、もがいて抵抗を試みているが、無駄だ。
プランは新たに蔦を伸ばし続けている。
数本を千切ったところで、それを超える数が次々と巻きついていく。
「これで終わりッ!!」
アルに先んじて、ティアナがナイフを片手に飛びかかった。
狙いは当然、魔人の数少ない弱点である頭だ。
身体を捻り、回転の勢いに渾身の腕力を乗せ、蔦ごと突き刺す。
「やったか!?」
手を出す暇も無く決着を予感したアルが、思わず叫ぶ。
ティアナが魔人に刺したナイフは、柄の手前までが差し込まれていた。
十分致命にいたる攻撃だ。
だが。
--ずる。
深々と刺さったはずのナイフごと、ティアナの手が滑る。
見れば刀身が焼け溶けていた。
「だぁあああ! もう、鬱陶しい! 話くらい聞きなさいよね!!」
男の声で、女口調の魔人が叫ぶ。
咄嗟にティアナとアルが後ろへ下がれば、その場を膨大な熱量が埋め尽くした。
「戦う気はないから攻撃するなって言ったんだけど。聞こえなかった?」
燃える。
炎上した樹々が灯りとなり、魔人の姿を曝け出した。
浅黒い肌に、真紅の髪。
そして炎を操る能力。
「……まさか」
ティアナには、思い当たる節があった。
「ったく……。ヨシトシは起きないわ、アシュリーはどっか行っちゃうわ。そんでわざわざラクスまで運んできたってぇのにこの仕打ち……。顔見知りじゃなきゃぶっ殺してたわよ?」
よく聞けば、その声にも覚えがあった。
あまりに口調が違っているために気づけなかったのだ。
「なんで……」
「なんで。なぁんて、ずいぶんなご挨拶じゃない」
頬に手を当て、しなをつくり、彼--あるいは彼女は微笑む。
「ねえ? ティアナ・ダンデリオン……、だったっけ?」
とぼけるように魔人は言った。
それは、かつてティアナが義利と共に倒した魔人だった。
炎と爆破を操る悪魔であり、ガルド・マニエンの仇だ。
「フレア・ヴォルカニア!!」
思わぬ再会に、ティアナの内で怒りが沸き起こった。




