第四章 08
黒で覆われていた世界に、ぼんやりと人の姿が浮かびあがった。
ようやく優しい悪夢から目覚めたのだと知り、義利は少しばかりの残念さを覚える。
が、まだ終わりではない。
何故ならそこにいたのはアシュリーでもティアナでもキャルロットでもなく、足立海だったのだから。
――パチパチパチ。
感情のこもっていない拍手が、彼を迎えた。
「……これは驚いたよ。まさか、こんなに早く試験を終わらせるとは」
偽るつもりを無くしたらしいその人物は、足立海の姿でありながら別人の声で話し始めた。
「おめでとう、と形式上言わざるをえないのだけれど……。うん、意外だ。こちらはどうも、早々に試験を突破されたことが悔しいらしい。新発見だよ。今までの最短は五日だったかな……? その時には大して何も感じなかったのだけれどね。不思議なものだよ。こうなると、どれだけの日数であれば悔しさを覚えないのか、調べてみたくなってしまうね。……どうだい、こちらの知的好奇心を満たすために、協力をしてくれたりはしないかね?」
「……僕がキミに協力するとでも思ってるのか?」
未だ足立海の姿でいる人物に向け、義利は敵意をむき出しにした目で答えた。
憎まれ口を叩くことで、沸騰しそうなほどに熱を持った感情をどうにか押さえ込んでいるのだ。
義利にとって、家族の姿を利用されるのは、許しがたいことだった。
「そう怖い顔をしないでくれたまえよ。こちらも、好き好んでそちらの妹の格好をしているわけではないんだ」
「黙れ」
その言い分に貸す耳を、義利は持ち合わせていなかった。
どんな理由があろうとも、どんなつもりなのだとしても関係ない。
赤の他人が家族の姿でいることが、たまらなく腹立たしいのだ。
「これ以上、僕の思い出を汚すな」
静かに言い放つ。
その声には、計り知れない怒りが込められていた。
しかし対峙する人物は、彼の怒りを受けてなお薄笑いを浮かべている。
「思い出……、か。なるほどね。そちらの中で、故郷のことは既に過去のこととなりつつあるということかな?」
「何が言いたいのさ」
「今現在、そちらの家族がどう生活しているのかを考えないのかなーってね」
「……っ!」
言葉に詰まる。
感情のままにぶつけていた声すらも出せなくなっていた。
突きつけられた問いに、頭の中身が埋め尽くされる。
つい先ほどまで見ていた夢を思い浮かべるも、それは夢でしかない。
義利がガイアに来ていなかった場合の、夢なのだ。
嫌な予感が義利を襲う。
夢よりも前に見せられた人形劇が本当にあった出来事なのではないかという不安で、胸が押しつぶされそうになっていた。
表情を曇らせた義利を見て、足立海の顔が歪な笑みを浮かべる。
「……一つ、聞かせて」
「どうぞどうぞ。こちらはおしゃべりが大好きだからね」
本音を言えば、義利は目の前の人物とは言葉を交わすことすら不快だ。
「僕の家族は……、本当に『ああ』なってるの……?」
だが、それを聞かずにはいられなかった。
家族が自分ひとりのせいで崩壊しているかもしれない。
知ったところでどうすることもできはしないが、事実であるならばそれを受け止める責任があるのだと、相応の覚悟をした上での問いかけだったのだが--。
それに対する返答は、簡素なモノだった。
「さぁ?」
「さぁって……、あんな人形劇を見せておきながら、知らないってことはないだろう!!」
たったの二文字。
覚悟に対する返事の軽さもあり、義利の頭にカッと熱が入る。
「いやいや、考えてもみてくれたまえよ。こちらにはそちらの故郷を知る方法なんて、なかったりするんだぜ?」
「僕の家族を知ってたじゃないか……!」
「あれはそちらの記憶を基にして見せていただけ。そこにそちらの憶測やら感情やらを混ぜ合わせたのさ」
言われたことで、はたと義利は気づく。
見せられた人形劇の内容が、ずいぶんと前に自身が空想したモノと酷似していることに。
ガイアに召喚され、原島スミレにより地球への帰還が不可能だと断言されたその日のことだ。
地球では行方不明として扱われるだろうことはすぐに思い至った。
そしてそこから家族がどうなるだろうかと考えを深め、最悪の場合として描いた内容が、あの人形劇だ。
空想を形にされただけ。
それが判明したからとて、怒りが静まりはしない。
「睨まれても、こちらの答えは変わらないよ」
肩をすくめるソレに対して怒りをぶつけることは無意味だと、ついに義利は諦めた。
深く息を吐き、感情に蓋をする。
「もういいや……。それで、これから僕に何をさせるつもり?」
話を聞きだすよりも、一刻も早くこの場を去ることを目的としたのだ。
「もう少しくらいこちらとのおしゃべりを楽しんでくれてもいいんだよ?」
「お前の悪ふざけに付き合っていられるほどの余裕は無いんだ」
「……イジワルし過ぎたかな。とうとう『お前』呼ばわりだ。こちらの態度のせいとはいえ、少しばかり堪えるね。うん、これからは友好的な関係を築けるように気をつけよう。--もっとも、試験を無事に終える人間が今後現れるかどうかが一番の問題なわけだけど」
「僕に何をさせたいんだ」
含みを残したソレの発言には触れず、義利は強引に話を進める。
「……じゃあ聞かせてもらおうかな。試験を合格したそちらには、契約精霊の性質を変える権利が与えられるんだ。そこで質問なんだけど、アシュリーの性質、そちらは天使と悪魔のどちらにしたいと思っているのかな?」
「お前に教える必要なんて無いだろ」
黙秘を通そうとする義利だが、ソレには通用しなかった。
「……ふむふむ、ほうほう、なるほど。契約の対価のせいで早死にすると、それだけ一緒に居られる時間が短くなっちゃうから天使……、ねえ。なかなかいじらしいじゃないか」
ソレの言葉により、義利の目つきがいっそう鋭くなる。
「……心を読んだな」
義利が頭に浮かべたことをそのまま声にされたのだ。
よりにもよって、足立海の声で。
心の中に土足で踏み込まれた。
家族のフリをした赤の他人に。
怒りを通り越して殺意すらをも覚え始める。
ソレのやり口は酷く義利の気分を害していた。
言葉の一つ一つが的確に逆鱗を掠めていくのだ。
まるで、狙いすましているかのように。
「怒るなよ。少し考えれば分かっただろうに」
澄ました顔でソレは言う。
「……ああ、そうだね。そうだよ。記憶どころか憶測まで知られてたんだ。冷静に考えれば分かって当然だよ、ちくしょう……」
投げやりに義利は吐き棄てる。
記憶と憶測。
それも、彼自身ですら忘れていたことまでも読み取っていたのだ。
心が読めない道理が無い。
どこまでも感情を逆撫でしてくるソレから、義利は意識をできる限りそらそうと試みた。
そうして現状からの脱出方法に頭を傾ける。
--が。
「さぁーて。楽しくお喋りばかりもしていられない。惜しいけれども、お別れだ」
向こうから別れを切り出され、彼は目に見えて安堵をする。
するとソレは、ようやくにして感情らしいものを顔に浮かべた。
わずかばかりの悲しみが、見て取れる。
もっとも、その顔は足立海のモノだが。
「おいおい……。そんなに嬉しそうにしないでくれたまえよ。さすがに悲しくなるじゃないか」
「自業自得って言うんだよ」
「……よーし。そちらがそういう態度を通すなら、こちらも最後にもう一つだけイタズラをしておこうじゃないか」
冷たくあしらわれたことが癪に障ったソレは、口角をひくつかせながら笑い、言った。
「悪魔が悪魔の待遇に疑問を持つ、ってことの意味を考えてごらん。手がかりとしてはそうだね……。そちらは自身が人間として扱われることを不思議に思ったことはあるかい? ……といったところかな?」
言葉の意味がわからず、義利は眉をひそめる。
しかし疑問を呈するよりも早く、ソレが指を鳴らしたことで変化が起こり始めた。
指先から、義利の身体が色を失ってゆく。
瞬く間に全身が半透明となっていった。
「またね。お・に・い・ちゃ・ん」
最後の最後まで怒りを煽ろうとするソレに、義利は一矢を報いようと拳を振るう。
だが、届くことは無かった。
身体の消失と同時、義利の意識が上へと向けて引き寄せられる。
そして--。
◆
「起きたか、ダッチ!?」
目を覚ました義利を迎えたのは、激しく動揺を浮かべているアシュリーの顔だった。
彼女は義利の顔を二、三度と撫で回し、異常がないだろうことを知ると、目線を上げる。
「おいミューズ! 試験ってヤツは終わったんだろ! さっさと泉の力を寄越しやがれ!!」
「ウソ……。たった三日でなんて……」
アシュリーの怒声ののちに聞こえた耳馴れない声に、義利の視線は自然と引き寄せられる。
アシュリーのそれと比べると幾分か明るい青髪の少女が、そこには居た。
ミューズだ。
彼女は目を大きく開き、動揺を強くあらわにしたまま硬直する。
彼女にとって、試験を三日で終わらせるのは、それほどまでに信じられない出来事なのだ。
「聞いてんのかテメェ! シャキッとしやがれってんだ!」
荒々しく掴みかかっていくアシュリーを止めることもできず、義利は夢うつつな状態でどうにか現状を理解しようとし、そして一つの問題点に意識が向く。
「三日……? 今、三日って言った!?」
「ああ、そうだよ……! 試験の開始から、もう三日が経ってる。急がねぇとなんだよ!」
彼らはラクスから外出する際に、人質を取られているのだ。
最長で二週間--十四日までに戻らなければ、ラクスに残ったプランに何かしらの処分が下される。
死刑にまではならないだろう、と義利は考えている。
だがそれは、あくまで希望的観測でしかない。
『戦力として使える魔人』との不和を生じさせぬよう配慮するはずだ、というのがその考えに至っている理由なのだが、そこには穴がある。
二週間という期限を過ぎたことで『足立義利は敵対した』と言う判断を下されるかもしれないのだ。
もしもそうなった場合には、貴重な戦力を逃した責任が押し付けられてもおかしくはない。
「ここまで来るのに七日かかってるんだぞ……。どうしよう!?」
片道七日。そこから三日が過ぎ、残るは四日だ。
たったの四日で、七日をかけて来た道を帰らなければならない。
「落ち着けダッチ! 馬を潰す勢いで走らせりゃあ間に合わねぇこともねえんだ」
「でも!」
「あ〜、も〜! 起きろクソったれッ‼︎」
「フゲラッ!!」
焦れたように唸ったアシュリーは、欠片の迷いも見せずミューズに電を撃ち込んだ。
茫然自失となっていた彼女が、それで我を取り戻す。
「痛いじゃないのよアシュリーちゃん!」
「うるせー‼︎ いいから、泉の力を寄越せ!」
「えぇ? ……ああ、そうね。それじゃあアシュリーちゃん。一つ質問に答えてねん?」
「早くしろ」
「……天使と悪魔。アナタはどっちになりたい? もしも答えが契約者と違う場合--」
「天使だ、天使! これ以上ダッチが魔力にヤられたら死んじまうからよぉ。ほれ、答えたぞ。早く!」
「……えっとね、アシュリーちゃん? この質問の答えが契約者の望む性質と違った場合、アナタは一生、天使でも悪魔でもない、今の中途半端なままになっちゃうのよ? ホントのホントに天使って答えでいいの?」
「早くしろって、何回言わせりゃ気が済むんだ? ダッチが起きたんだ。時間を稼ごうってんなら融合してブチのめすぞ」
「……あーあー、はいはい。ウチの負けですぅ〜。泉の水を浴びてどうぞ〜。それで天使化するからさ」
パチン、とミューズが指を鳴らす。
すると宙を漂っていた膨大な魔力が収束し、質量を持ったモノへと変わり、それは液体になった。
あたり一面を、魔力でできた水が満たす。
膝下までを浸からせる量の水が、さながら地面から湧き上がったのだ。
アシュリーは一瞬の間だけ呆気に取られるも、すぐに足元の水を手釈ですくい上げては上に向かって撒き始めた。
端からは水と戯れているだけにしか見えないが、彼女はいたって真剣だ。
「アシュリーちゃーん! ひと浴びするだけで大丈夫だからー! どれだけ浴びても効果は同じだからー‼︎」
一刻も早く帰路に着かなければとはやる気持ちの中、義利は精霊の泉でのもう一つの目的を思い出す。
彼はまず、ミューズの気が自身に向いていないことを確かめると、即座に懐から取り出した瓶に泉の水を汲み取った。
泉の水を保有すること。
それはスミレからの手紙に書かれていたのだ。
必ず必要になる時が来る、と。スミレはそう遺していた。
「……ねえ、人間」
「ふぁい!?」
盗人同然の行為に集中しすぎていた彼は、後ろからの声に飛び上がりそうになる。
慌てて懐に瓶をしまい込み、何事もなかったかのように装う。
「なな、ナニカナ?」
装うも、繕いきれていなかった。
しかしミューズは一切気にせず、至極真剣な目で義利を射抜き、言う。
「アシュリーちゃんのこと、大切にしなさいよ? じゃないとウチ、アンタのこと殺すから」
それが虚仮威しなどではないと、彼女の目が雄弁に物語っていた。
向けられた殺意によって、直前までの動揺など消し飛ばされている。
緩んでいた気を引き締め、彼は返した。
「言われるまでもないことだけど、心に留めておくよ」
義利がそう言うと同時、水しぶきを上げてアシュリーが水面から顔を出した。
彼女は自分の手を見て、それから体をペタペタと触って確かめ、最後に髪の毛に目を向けてから、呟く。
「……なんも変化を感じねぇ」
「いや、アシュリー……。髪が」
「髪ぃ?」
彼女が気付けなかったのも無理はない。
変化は、髪の根元から始まっていたのだ。
空色だった髪の毛が、宝石のように透明感のある青に染まり上がる。
「おお! ……おぉ? これだけか?」
変化は、それで終わった。
拍子抜けをさせられたのはアシュリーのみでは無い。
それを見ていた義利も、呆然とさせられている。
「なになにぃ? アシュリーちゃんってば、もっと何かあると思ってたのかにゃーん? あっははっ、可愛いなぁもう!」
「馬鹿にすんのも大概にしとけよ、このアマぁ……」
アシュリーの瞼がヒクヒクと動いた。
我慢の限界などとうに超えているのだ。
圧倒的力の差を知っているとしても、ミューズの取るふざけた言動を前にすれば、怒りと殺意が沸き起こる。
これまでは、義利に危害を加えられる可能性を考慮して堪えることができていた。
しかしその義利が解放された今、我慢する理由などなくなっている。
「時間がねえっつったって、テメェを殴るくれぇの時間はあるっつーの! ダッチ、融合すんぞ‼︎」
叫び、アシュリーは霊態となった。
「やめといた方がいいと思うよぉ〜? 聖人になったくらいじゃあ、ウチには指一本触れられないんだからさ〜」
「ヤッてみなきゃ、わかんねーだろうがッ!」
煽り、煽られ。
アシュリーの怒りは燃え盛る。
戦意はすでに最高潮にまで高まっていた。
「……おい。融合すんぞダッチ」
「え? ああ、うん。いつでもいいよ?」
その彼の態度に、アシュリーの熱が一気に冷まされる。
「あのなぁ……。アタシは天使になったんだぜ?」
「えっと……。怒られてる?」
「呆れてんだよバカ。お前に呼ばれなきゃ融合できねぇだろーが」
「……! そういえばそうだね!」
思い出したように手を打ち合わせた義利を見て、アシュリーの中にあった戦意が鎮火させられる。
「あーもー……。帰んぞ、ダッチ」
「わかった。アシュリー、お願い」
ようやくにして彼らの融合は果たされた。
魔人化と違い、聖人となることによる変化は些細なモノだ。
義利の瞳が、青い輝きを帯びる。
即座に電気による身体強化を行おうとして、彼はふと思いとどまった。
「アシュリー。天使になったってことは、もしかして能力も変わっちゃってる?」
性質が変わったのだ。能力にも何らかの変化が起きていて不思議はない。
『そういやそうだな……』
しかし問われたアシュリーにも、それは分からなかった。
「アシュリーちゃんの能力、特に変化は無いみたい。もともと天使化しかけてても変化は無かったでしょう?」
つまらなさそうな口調で、ミューズが代わりに答える。
泉の精霊である彼女には、精霊のことであれば容易に見抜けるのだ。
「ありがとう。それじゃあ」
礼を述べ、義利は全身に魔力を巡らせる。
そして、跳び発った。




