第四章 03
国境へと向かい旅を始めた義利とアシュリー、ティアナとキャルロット。
四人の旅は順調だった。
––途中までは。
「黙って持ち物を全部置いてくってんなら、男の方は見逃してやる」
それは移動開始から三日目のことだった。
馬と身体を休めていた義利たちの前に、三人連れの野盗が現れたのだ。
「親分……。こいつらガキすぎて、オレァ勃たねえぜ」
「ぼぼっボクはこのくらいの方が……」
ひょろ長い男が不満を言うなか、肥満の男は頬を紅潮させながら鼻息を荒げている。
「さぁ、どうするよ?」
親分と呼ばれた筋骨隆々な男はそう告げると、蛮刀を肩に担いで義利を見下ろした。
状況だけを切り取れば、逃げ出して当然の場だ。
子どもが四人。その内三人が女性。さらにロクな装備もしておらず、馬も木に繋いでいるため直ぐには走らせられない。
泣いて命乞いをされるだろうことを思い浮かべ、男たちが下卑た笑いを浮かべる。
義利は、どうしたものかと考え––。
「……ティアナー。物取りだけど、どうする? 僕が追い払おうか?」
すぐに考えるのをやめた。
ガイアに来たばかりの義利であれば、考える間もなく土下座をしていただろう。
しかし幾度もの死線を潜り抜けてきた彼にとって、ただの野盗など脅威ですらない。
刃物で相手を従わせようとしている様など、いっそ可愛らしく思えていた。
「ひとまず逃げましょ。それで追ってくるようなら、私が相手をするわ」
怯えることなく、義利が野盗の相手をしている間に、ティアナは逃げ出す用意を済ませていた。
木に結ばれていた手綱が解かれており、いつでも走りだせる状態になっている。
親分は、関心した。
手際の良さもさることながら、大人を前に一切の怯えを見せない二人に。
だが二人の言葉を思い返し、その意味を理解して、彼の頭に血がのぼった。
「大した度胸だ……。褒めてやる。褒美はあの世で受け取りなッ!!」
背を向けている義利に蛮刀を振り下ろす。
それは一瞥されることもなく避けられた。
「……は?」
野盗たちが目を丸くする。
背後からの一撃だったのだ。
避けられるはずがない。
直撃を確信していた彼らは、何が起きたのかを理解できなかった。
「追っかけられるのも面倒だし、足の骨でも折っとく?」
そんな野盗には目もくれず、義利は軽く言い放つ。
彼の発言に、ティアナは呆れ混じりのため息を吐いた。
「だんだんアシュリーに似てきてるわよ」
「そうかなぁ……?」
二人が和やかに話をしている間も、野盗の斬撃は繰り出され続けている。
それを義利は、軽々と避け続けているのだ。
魔力と殺気。その両方を感じ取れる彼にとって、この程度の攻撃は問題ですらなかった。
義利の見ている世界は、目を通してのモノではない。
全てのモノが宿す魔力が視覚化しているだけなのだ。
視覚に頼らない視認。
それはある種の超音波探知機だ。
自身を中心とした半径五メートル内であれば、彼は全てを見ることができる。
死角など、ありはしない。
さらには殺気だ。
スミレのように熟達した者であれば、相手を惑わせるために用いることもあるが、野党のそれは単純すぎた。
義利からすれば、先にどのような攻撃が来るのかを伝えられているような状態だ。
会話をしながらでも、避けそこなうことなどない。
「舐めやがって……! お前ら! コイツは俺に任せて、女どもを捕まえろ!」
業を煮やした野盗が、唖然としていた手下に指示を出す。
彼らは小汚いナイフを手に持つと、慎重にティアナとの距離を詰め始めた。
「悪いな嬢ちゃん……。恨むんなら、親分を怒らせたアイツを恨みな」
「や、やさ、優しくするからね」
二人の男が、ついに少女を射程内に収めた。
「危ないッ! 逃げて!!」
義利が叫ぶも、既に手遅れだ。
彼がようやく見せた焦りの色に、親分が満面の笑みを浮かべる。
「ハハハハハッ! これで終わりだ! さぁ、女の命が惜しかったら――」
『大人しくしろ』と、続くはずだった彼の言葉は、そこで途切れる。
ティアナへと襲い掛かった二人が、同時に倒れたのだ。
見れば、右手で殴られたひょろ長い男は、血を吐いて白目をむいている。
「あーあ。逃げてって言ったのに……」
野盗の目には見えなかったティアナの行動は、しかし義利にははっきりと捉えられていた。
彼女はまず、細身の男に右の拳を打ち込んだ。
左の頬から顎先に向け、えぐり込むように。
そして拳を振りぬいた勢いのまま身体を反転させ、肥満体系の男の顎に回し蹴りを入れる。
両者とも、倒れた原因は脳震盪だ。
細身の男は血を吐いているが、それは口内からの出血によるものである。
加減の効かない義手で殴られたせいだ。
かろうじて意識を途絶えさせなかった肥満の男も、無事とは言い難い状態だった。
身体を起こそうと地面に手を着くも、震えるそれでは支えにはならない。
「瞬殺だと……!」
何が起きたのかも理解できないまま、親分が声を漏らす。
まさに一瞬の出来事だったのだ。
一瞬で、二人の手下がやられた。
彼に認識できたのはその事実だけだ。
「いやいや、殺してないから」
平然と、ティアナは返す。
すると野盗は、ようやく気付いた。
「お前……。その髪、その顔、どこかで見たことが……」
混乱の中にありながら、野盗が記憶を手繰る。
金髪に、鳶色の瞳。少女でありながら精悍さすら感じられる顔だち。
そうして彼は、少女が何と呼ばれていたのかを思い出し、霞みがかっていた記憶を掴んだ。
「ティアナ……? あんたまさかティアナ・ダンデリオンッ――」
息をのみ、男はティアナを指さす。
もはやその名を知らぬものはエスト国には存在しないだろう。
人類への反逆者から一躍、英雄となった少女だ。
戦慄く口を一度閉じ、野盗はティアナの別名を叫ぶ。
「――隻腕の姫君‼」
そう呼ばれたティアナは苦い顔をし、義利を薄くにらんだ。
「……アダチさん。あの通り名、ラクス以外にまで広まってるんだけど」
その名をつけられた原因である義利は、誤魔化すように笑って頬をかいた。
ティアナ救出の際、その場の勢いで彼は言ったのだ。
『助けにきたんだよ。お姫さま』と。
その事実が紙面にも取り上げられ、ラクス内でのティアナの呼び名は『隻腕の姫君』となったのだ。
「いやぁ……。なかなか消えないね。人の噂」
「七十五日、だっけ? アダチさんの国での諺だと」
「あとひと月くらいだね。それまでは……、うん。我慢して?」
二人のやり取りを聞いた野盗が、さらに顔を青くする。
「アダチってことは、そっちはアダチ・ヨシトシ--白雷!!」
ティアナ同様、彼も世間を騒がせていた。
人に味方する魔人と言う希有な存在として、良くも悪くも噂されるのだ。
隻腕の姫君と白雷。
二人の強者をようやくソレと認識できた野盗は、手下を置いて逃げ出した。
当然の反応だ。
魔人と、魔人を従える国務兵。
たかが野盗の手に負える相手ではない。
「僕もカッコイイあだ名が欲しいなぁ……」
野盗の背を見送りながら、義利は不満を漏らす。
「いいじゃない、白雷。白き雷。分かりやすくてカッコイイわよ」
形だけの慰めではなく、ティアナの本心だ。
純粋に、彼女は義利を羨んですらいる。
自身の通り名と比較すれば、簡潔な彼の通り名が羨ましかったのだ。
しかし、隣の芝生は青く見える。
義利からすれば、ティアナが羨ましかった。
「いいなあ、ティアナのあだ名はカッコよくて」
その一言をきっかけに、ティアナの笑顔から隠しきれなくなった感情がにじみ出す。
笑っているのに、その奥には怒りが現れていた。
「……誰のせいでこんなあだ名になったと思ってるのかしら?」
彼女としては、事あるごとに『姫』と呼ばれるのは気持ちが悪くて仕方がないのだ。
元より姫ではない。さらに姫と呼ばれるほどの淑やかさなど心得がない。
だからその名を出されるだけで背中がかゆくなり、ついでに当時のことを思い出させられて顔が真っ赤になるのだ。
怒りの原因が主に『ついで』の方であるなどとはつゆ知らず。
「あー……、うん。ごめん」
義利は申し訳なさそうに謝るのであった。
「さ。先を急ぎましょうか」
誤魔化すようにそう言って、ティアナは馬にまたがった。
◆
「アダチさん、そろそろ寝る日じゃない?」
野盗との遭遇から一夜が明け、馬で駆けながらティアナが言う。
長い移動での疲れと、慣れない馬による腰の痛みに苦しめられながら、義利は指折り数え始めた。
最後に寝たのが出発の前日であり、その日から五日が経過している。
「あー、そうだね」
「相乗りにしておきましょ。また落馬されたらって考えたら怖いもの」
「ん、お願いします」
「お願いされました」
一度馬を止め、それからティアナは義利を抱えるようにして手綱を握った。
しばらく走らせては馬を交代させ、繰り返すこと数回。
かくり、と走行中に義利が寝りに落ちた。
「おっとっと……」
あやうく滑り落ちそうになった彼をしっかりと支え、ティアナは馬の歩調を緩めさせる。
彼はこのように意識を失うのだ。それも周期的に。
およそ五日に一度。そして一度眠りに落ちると、その日の間は何があろうと目を覚ますことはない。
スコーネへの道中では騎乗中に眠りにつき、落馬をしている。
その際は運よく軽傷で済んでいるが、次もそうとは限らない。
そこから取られた対策が、功を奏していた。
「アシュリー、魔人になっててもダメなのよね?」
ふと、ティアナは確認をする。
悪魔であれば意識を失っている契約者とも融合できるのでは、と考えていた。
「ああ。アタシが天使化してることもあって、融合してても解除されちまう」
混じり気のない悪魔であれば、可能だったのだ。
事実、義利はアシュリーとの融合中に、痛みのあまり意識を失ったこともある。
それでも魔人化が解除されることはなかったのだ。
だが今のアシュリーは、ただの悪魔ではない。
性質が天使に偏り始めているのだ。
その結果が現状だった。
「面倒ね。もしも寝る日に襲われたら……」
この眠りは意志の如何でどうにかできるものではないのだ。
たとえ戦火のただなかだろうと、容赦なく彼の意識は沈んでしまう。
「もしもン時は、アタシが担いで逃げるさ」
「逃げられる相手ならいいけど……」
先を憂いているティアナとは対照的に、アシュリーは気楽な様子だった。
「次の街では宿だな。お前もけっこう疲れてんだろ? 少しくらい奮発して、しっかり休めよ」
「え、ええ……。まあ……」
「んだよ、その驚いた顔は?」
「だって……。アシュリーがアダチさん以外を気遣うなんて」
「あのなぁ……」
ハァ、と深く息を吐き、アシュリーは言う。
「アタシはこれでも、ティアナのことはダチだと思ってたんだぜ。そういう反応されると、流石に傷つくっつーの」
国務兵と悪魔との友情。
以前のティアナであれば––義利に出会う前であれば『ありえない』と一笑にふしていただろう。
しかし。
共に戦い、共に生活をし、その日々で二人の間には確かに友好が生まれていた。
それはティアナも自覚している。
自覚してはいたのだが、それは一方通行なモノだと思っていたのだ。
悪魔が、契約者以外に心を開くはずがない。
どこかで彼女は決めつけていた。
普段の親しげな対応も、契約者である義利のためにすぎない。
そんな風に、思ってしまっていたのだ。
嘘偽りなく沈んだ表情となったアシュリーを見て、ティアナは居心地が悪くなる。
「わ、悪かったわよ……。謝るわ」
深く、ティアナは反省した。
彼女は義利との一件以降、友情を何よりも重んじている。
友情に命をも捧げようとした彼の行動がそうさせたのだ。
深く、心からの誠意として、ティアナは馬上で頭を下げる。
その謝罪を受け、それまで義利の騎乗していた馬を操るアシュリーは目を細めた。
「……そんな嬉しそうな顔で謝られてもよぉ」
「え?」
咄嗟に、ティアナは左手で自身の顔をなぞる。
彼女は確かに微笑んでいた。
この状況で、なぜ笑う?
ティアナは自分に問いかけた。
「あ……。そっか」
自分の心だ。
自分に隠し事など、できるはずがない。
ティアナは微笑みの理由に、すぐに気づいた。
「友達から『友達』って言われると、こんなに嬉しいのね」
口にした途端、彼女は多大なる羞恥に襲われた。
自分の言葉があまりに子供じみていたからだ。
さらに、初めて友達ができた幼児が思うだろうことに、ようやく気づけたということもある。
子供な一面と、世間知らずな一面。
それを意図せず晒してしまった彼女は、逃げ出すように馬を強く打った。




