第三章 31 エピローグ その2
「ビオラ・アイランドって知らない?」
「アイランド隊長のご家族ですか?」
「あー、知らないかぁ……。結構有名だと思ってたんだけどなぁ……」
望んでいた反応を得られず、レパイルは肩を落とした。
「ビオラ……。もしかして『笑う狂戦士』か?」
「なぁんだ、知ってるんじゃない!」
「知ってるワケじゃねえ。噂で聞いただけだ」
「いーのいーの! そうよ『笑う狂戦士』よ! そっちなら、アンタらもわかるでしょ?!」
瞳を輝かせながら二人を見やる。
レパイルの目は強く期待を湛えていたのだが――。
「わからないです」
「ごめん、わかんない」
「なんでよもぉ〜〜〜〜〜〜‼︎」
期待を裏切られ、彼女は地団駄を踏む。
「異邦人のダッチにわかるわけねーだろ。それに百年近く前の話だ。プランにしたって知らなくて当然」
見かねてアシュリーが弁護をする。
それでもレパイルの癇癪が収まることはなかった。
「なんでよー! なんで語り継がないのよー‼︎」
「悪魔の間じゃ有名だけどな」
「なら良し!」
スッと、それまでの乱痴気が嘘のように彼女は大人しくなる。
「レパイル。まさかだけど……」
そこに至るまでの過程から、義利はレパイルの言わんとしていることを理解していた。
しかし、信じられないでいる。
声の震えはそのためだ。
彼の理解した事実は、あまりにも現実離れしているモノだった。
レパイルの言葉のみであれば、違和感なくソレを受け入れることもできただろう。
問題はアシュリーの付け加えた情報だ。
『百年近く前』というたった一つの情報だけで、彼の混乱は始まった。
「ああ、アダッチは分かった?」
言葉にしかけながらも否定の材料を探していた彼に、レパイルが決定的な一言を発する。
自分から聞こうとしていたことを先んじて肯定されたにすぎないが、それでも彼の受けた衝撃は多大なるものだった。
理解して、遠回しにではあるが肯定されて、それでもなお信じられずにいる。
「なんです? もしかして、わかってないのは私だけなんです?」
激しく動揺を見せている義利を見て、プランが理解できたのは『自分だけが理解していない』というどうしようもないことだけだった。
確かに未だ、直接言葉にはされていない。
しかし――。
「……話の流れからして、ここまでくれば、その………………」
理解できて当然の域になっているのだ。
彼が呆れるのは無理もない。
「どうせ私は頭良くないですよーだ」
拗ねた。
実年齢にして二十一歳であるプランは、唇を尖らせながら頬を膨らまし、わかりやすくいじけた。
幼くなった見た目からすれば相応にも思えるが、中身は成人を果たし、かつ兵役に属する大人であるはずの彼女が、子供のように僻んだ。
義利は一瞬だけ引きつった笑みを浮かべる。
即座にそれを潜めると、真剣な表情を作った。
「まあ、僕も未だに半信半疑ですよ……。まさか、そのビオラって人がスミレさんだなんて……」
「………………はい?」
「そーそー。百年くらい前だった! スミレったらそんな通り名を着けられてたのよ。笑いながら魔人と戦うもんだから。んで、あまりにも目立つからって、偽名を名乗りあげてから一回隠居したのよ」
レパイルの口から由来と共に語られたことで、ようやくプランが会話に追いつく。
スミレ・エフ・アイランドとビオラ・アイランド。
義利がこの二人を同一人物と察したのは、その姓が同じであったことが切っ掛けだ。
言わずもがな、スミレは異邦人である。
その姓『アイランド』はスミレの本名『原島』に由来する創作であるため、血縁者の可能性は、まず無い。
では同姓なだけの他人かと義利は思案したが、それは確率的な問題として彼は切り捨てた。
一体の精霊が、偶然同じ姓の者と契約を交わす。
それ自体は、ガイア全体としては少し珍しい程度に扱われるだろう。
問題は、それが創作された姓だということだ。
さらに加えるならば、ビオラという名前。
ビオラとは、地球に咲く花『スミレ』をラテン語で表すモノだ。
赤の他人である可能性もゼロではない。
だがスミレ本人であると考えた方が自然な流れだった。
百以上という年月も、レパイルの対価を思えばあり得なくはない。
それらの材料から、義利は予測に至っていた。
「けど、そうか……。レパイルの対価で年齢を、ストックの対価で記憶を失うんだから、実質的に不老になれるんだ……」
プランに記憶障害が現れていないことから、レパイルの対価では脳に蓄積された記憶までは失われないことは判明していた。
それが彼を予測に止め、確信への足止めをしていた。
記憶はそのままに、脳は若返る。
つまりは突然、失った年齢分の記憶を送り込まれるようなものだ。
そんなことを仮に百年も続ければ、脳の機能は限界を迎えるだろう。
しかし。
スミレが契約していた天使はレパイルだけではない。
『思い出』を対価とするストックがいるのだ。
通常であれば溢れてしまうだろう記憶。
それを消す術を、スミレは有していた。
『年齢』と『思い出』
この二つを正確に管理すれば、無限の時をも生きながらえることが出来うる。
義利はその事実を知り、身震いをした。
「あの人、本当は何歳なんだ……」
「正確にはわかんない。けど、二百も間近だったんじゃない?」
さらりと流すレパイルだが、これにより、プランも義利の行き着いた答えにたどり着く。
驚愕と羨望が入り混じった二人からの視線を受け、レパイルは補足をした。
「ま、精神的には結構キツイみたいよ。スミレ、しょっちゅう日記を読み返しては泣いてたし」
義利とプランから、羨望は消える。
永遠を生きられるのは、自分一人だけなのだ。
友人とも、恋人とも、家族とも、時の歩みを同じくすることはできない。
永くを生きるということは、それだけで多くの人との別れを経験させられる。
死別の悲しみを知る彼らには、それを乗り越える覚悟ができなかった。
「――んで? これでワタシの契約者様は満足かしら?」
スミレとの対価の不釣り合いから始まった会話に一つの区切りが付き、レパイルは切り上げようとする。
「いえ! 乙女にあるまじき、顔からの流血がまだ納得できてないです!」
しかしプランの不満はまだ残っていた。
顔面からの流血。
それについて、義利は既に答えを得ている。
「あれはアンタ、単に使いすぎ。今回はそうね……、大体で六年分よ。いきなり脳に六年分の記憶が押し込まれたようなモンってワケ。それだけ脳に負荷がかかって、結果が顔面流血よ」
脳の過負荷。
それが原因だった。
「なるほど……」
プランが納得したことで、この議論は終わるはずだった。
しかしそこへ、義利が待ったを入れる。
「例えばなんだけどさ、レパイル。魔力に汚染されてる人がキミと契約して能力を使ったら、汚染はどうなる……?」
年齢を戻す。そこに義利は一縷の望みを見出していた。
魔力に汚染される前にまで年齢を対価として支払えば、余命が増えるかもしれない、というものだ。
固唾を飲む義利に、しかしレパイルは軽く返す。
「消えるわよ? 正しくは、汚染される前に戻るだけ」
「時間が経ったら汚染が戻ったりは?!」
「しないわよ」
望みは、確かなものへと昇華された。
それまで退屈そうにしていたアシュリーまでもが、その瞳を期待で彩らせる。
「あのさ――」
「言っとくけど、ワタシはまだアダッチとは契約できないから」
意趣返し、というつもりなどレパイルには毛頭なかったが、彼らの期待も裏切られることとなった。
「まだ? できない?」
彼女の言葉にあった違和感に、義利は食いつく。
現状においてはレパイルが唯一の希望なのだ。
縋らずには、いられなかった。
「……スミレとの契約なのよ。とある出来事が終わるまでは、アダッチとは契約するなって。あと、その出来事についてアダッチに言わないこと。対価はスミレの年齢二十年分。もう貰ってるから、残念だけど諦めて」
「そっか……」
本来は言うつもりではなかったのだろう。
語るレパイルの口調は、やや重かった。
口を滑らせてしまったから仕方なく、という感情がありありと現れていた。
だから義利はそこで追及を辞めたのだが、アシュリーは食い下がる。
「おい……。プラン、契約破棄しろ。レパイル、テメェはダッチと契約しろ。死にたいってんなら逆らってもいいぜ」
「バァーカ。悪魔と違って、天使は契約を違反すると消滅すんのよ。どっちにしろワタシ死ぬじゃない。ま、アダッチが死なない可能性を消したいんなら、どーぞ殺してみなさいな」
「テメェ……!」
殺意すらも放ち始めたアシュリーに気圧されることなく、むしろレパイルは怒りを煽った。
一触即発の空気に、プランがそそくさと部屋の隅へと身を移す。
勘の鈍い彼女でも危機感を抱くほどに、アシュリーの怒気は濃度を増していた。
――ジリッ
アシュリーが、拳に電撃をまとわせる。
火花が、散った。
「わーわー! アシュリー、抑えて抑えて! 僕ならまだ大丈夫だから!」
飛び出す寸前だった彼女を、義利が羽交い絞めにして食い止める。
脅しをハッタリで終わらせることなく、実行しようとしていたのだ。
取り押さえられてなお暴れようともがくアシュリーをなだめるため、彼は仁王立ちを決め込むレパイルに問いかけた。
「それにレパイル! 時期さえくれば契約してくれるってことでしょ?」
「まーねー。正しくは、ちゃんとスミレとの契約が達成されて、ワタシの気分が良ければ、ね。アンタらの態度次第じゃ、ワタシは契約しないかもね〜?」
「ブッッッ殺す!」
抑えられているのをいいことに、レパイルは火に油を注ぎこんだ。
魔力汚染の影響で筋力が増大している義利ですら、これ以上アシュリーを制止させ続けるのに不安を抱いた。
「アシュリー、いったん落ち着こう!」
引きずるようにして、義利はアシュリーを扉まで移動させる。
その間も彼女は歯を剥き出しにして威嚇をした。
「ホホホ。これからは、せいぜいワタシのことは様を付けて呼ぶことね」
頬に手の甲を添わせ、あざ笑う。
そんなレパイルに一矢報いるため、アシュリーは悪態を吐いた。
「このオデコ様が」
「ぬわぁんですってぇぇぇえええッ!!」
「プランさんッ、レパイルを止めて!」
的確に怒りのツボを射抜けたことで、アシュリーの気はわずかに晴れていた。
内心と目線で懸命にプランへと謝罪を伝えようとする義利を他所に、彼女はせせら笑う。




