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憤慨~紡がれる殺戮者の命乞い~

 義利は膝から崩れ落ち、そして仰向けに倒れた。

 決して楽な姿勢ではないが、それを直す余裕も気力もない。


 少年はぼうっと空を眺めながら、自身の状態を認識するために、手探りで傷口を探し当てた。

 炎に焼かれて傷口自体は塞がっているかもしれない、などと期待をしていたのだが、儚くもそれは散る。


 身体の中心からは止まることなく血液が失われつつある。

 薄れ始める意識の中で、義利はふと、家族のことを思い出した。


『自分の利益よりも義理を優先する子になって欲しい。それが義利という名前の由来だよ』


 父親が口癖のように義利に言い聞かせた言葉だ。


『義利、あなたはもう少し自分のことも大切にしなさい』


 そんな父とは対照的なことを、母親は義利に求めた。


『兄貴は優しいけど、それだけだよね』


 両親からの矛盾した教育を受けた彼は、実の妹からそんなことを言われたことがある。

 その言葉の意味を彼は未だに理解できていないが、褒め言葉でないことだけはわかっていた。


「あ……、これ、走馬灯……、じゃん」


 幼き日の出来事を懐古しつつ、間の抜けた台詞と共に大量の血液を吐き出すと、義利は目を閉じた。



「死なせるかよォッ!!」


 肉体が機能を停止しない限りは、どれほどの重傷だろうと魔人化することで元に戻る。


 フレアの攻撃は心臓そのものを貫いてはいない。

 鳩尾の下、臓器で言えば胃の辺りだ。


 そのためにおびただしいまでの吐血が起きている。

 義利の負った怪我は、重傷ではあるが致命傷ではない。


 アシュリーは義利の身体に向かって進むが、それを黙って見過ごすフレアではなかった。


 即座にガルドの肉体を奪うと、力なく倒れている義利の足を掴み、自身の膂力と遠心力を使い放り投げたのだ。


 彼女の身体能力は確かにアシュリーと比べれば見劣りするが、紛いなりにも魔人である。

 少年の体など枝きれ同然に投げ捨てられてしまった。


 義利の体は地面で弾むことなく三メートルもの距離を飛ばされ、木の幹に背中を打ち付けることで静止させられた。

 その衝撃でさらに怪我は悪化する。


 肋骨や背骨に加えられた負荷は、およそ人間を破壊するには十分だ。


「こンのアバズレがぁぁぁあああッ!!!」


 完全に頭に血が上ってしまったアシュリーは、叫びと共に人間の姿を取ると狙いも定めずに全身から雷撃を乱射した。


 そのうちの一つが義利に向けて放たれたが、とっさの判断でティアナが壁を張ったため無事に済んだ。


 威嚇のために行った行動は無駄ではなく、フレアが怯んだためにアシュリーは義利の元にたどり着く。

 その二人に向けて溶岩が飛ばされるが、またもティアナによって防がれた。


「鬱陶しいわねぇ!!」


 フレアは岩石の鎧を形成すると、その腕をティアナに向けて打ち出した。

 ティアナの作り出す見えない壁はその攻撃を防ぐことはできない。

 しかしそれは単体での場合だ。


 飛来する腕の進行方向に、少しの隙間を開けつつ四つの壁を生成する。

 拳の直撃を受けた一枚目は大破し、二枚目がわずかに勢いを殺し、三枚目の壁がグラスの砕ける音を奏でると同時に鎧の腕は推力を失い地面に落ちた。


「アシュリー、まだなの?!」


 フレアが腕を引き戻し始めたために、さすがに焦りを感じ、ティアナが声を張る。

 義利から貰ったチョコレートによって、能力の使用にはまだ余裕はあるが、フレアを倒してそれで終わりではないのだ。


 ラクスに帰るまでの道のりで何が起こるかは分からないため、少しでも温存したいという思いが現れていた。


 この時点で既に勝利を確信し、後後のことを考えるほどにティアナはアシュリーのことを信頼している。


 その信頼に応えるためにではないが、アシュリーは既に義利との融合を完了させていた。


「ちょっと待ってろ。もう楽しんだりしねえ。すぐに終わらせる」


 それは誰に向けられた言葉なのか。

 義利か、ティアナか、はたまた自分になのか。わかるのはアシュリーのみだ。

 彼女はそれを言葉だけで終わらせるようなことはせず、宣言と同時に姿を景色に溶かした。


 それにはフレアだけではなくティアナも動揺の中に陥れられる。

 音もなく姿を消したのだ。


 ティアナとしては、まさかこの局面で逃げ出すようなことはしないだろうと考えてはいるが、僅かな時間でもフレアと二人きりにさせられたこの状況は驚異以外の何物でもない。

 消耗戦となれば圧倒的に不利なのだから。


 フレアとしては幾度も経験した超速拳が、いつ襲いかかってきてもおかしくないこの状況に身構えることしかできず、そして今までよりも姿を消してからの時間が長いために困惑させられている。


 二人は辺りを見回すが、どこにもあの白い尾を引く影はない。

 高速で移動する際の、強く地を踏みしめる音すらも。


 静寂が続き、堪えきれなくなったフレアは先にティアナを始末しようと足を前に出した。


 その直後のことだ。


 地鳴りにも似た轟音と、眩い光が周囲を埋め尽くした。


「ッ…………!」


 瞬きをする暇も目を覆う暇もなかったために、ティアナの視界が眩む。

 強烈すぎる光は、眼球に痛みをもたらすほどだった。


 そのせいで数秒もの間、まぶたを閉じさせられる。

 戦闘状況において数秒も視覚を失うのは致命的だ。

 そのことをティアナはよく理解している。


 いつ攻撃されたとしてもダメージを最小限に抑えられるようにと自身の周りを囲むように壁を張り巡らせるが、視覚を取り戻すとそれが無駄だったと知らされる。


 フレアを中心にした半径一メートル程の半球状の窪みがそこにはあり、それを見下ろすアシュリーがいたからだ。


「終わったの……?」


 ティアナが尋ねると、アシュリーは一度だけ首を縦に振った。


 恐る恐るといった具合に、彼女がそのクレーターを覗き込む。

 するとそこには魔人化の解けたガルドと、人間態のフレアが居た。


「まだ生きてるじゃない!」


 フレアは苦痛にもがいている。

 確かにこれ以上の戦闘を行うことは不可能に見えるが、融合さえしてしまえば復元されるのだから関係ないと、ティアナは止めを刺すためにナイフを取り出した。


 が。


「やめろ」


 静かにアシュリーが告げたためにそこに留まる。

 その言葉には深い怒りのようなものが込められていたために、ティアナは止まらざるを得なかった。


「どうして? アダチさんが殺されかけたのよ?」

「そのダッチが、止めろって言ったんだよ」


 感情の高ぶりを表すかのように、義利の肉体を覆う電撃が火花を散らす。

 髪の毛は電気を帯びて羽のように広がった。


 これ以上は自分を抑えることができないと判断したアシュリーは、義利との融合を解除して人間態を取る。


「ごめん。それとありがとう、アシュリー」


 申し訳なさそうに義利は頭を垂れる。

 アシュリーは機嫌が悪いのかそれに返事をせずにそっぽを向いた。


「ティアナも、心配かけたよね?」

「私はいいのよ。それよりどういうことか説明して」

「後でね」


 ティアナが少しの怒気を持たせた言葉をかけると、義利はそう言って這うようにしてガルドに接近をしているフレアの前に立ち、膝を下ろした。


「イヤッ! ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい!!」


 たった一瞬の出来事だったが、フレアの中で義利とアシュリーは完全に恐怖の対象となっていた。

 差し伸べられた手を振り払った直後にもかかわらず、彼女は涙を流しながら命乞いを続ける。


「殺さないで、お願い! 死ぬのは嫌ぁ……」


 力を振りかざした者が、より大きな力を持つ者に屈する。

 兵士として過ごしていればそんな光景は嫌というほど目に入る。


 今のフレアの姿は、彼女自身が見下し続けた人間そのものだ。

 そんなフレアに、ティアナはある種の憐れみすら覚えるほどだった。


 しかしアシュリーは違う。


「っざけんなよ、テメェ……。ダッチを殺そうとしたクセにッ!」


 既に堪忍袋の尾が切れているアシュリーは、フレアの物言いに対し怒りをあらわにすると、電撃を纏わせた足で顔面を蹴り上げた。


「ヒイィギィ!!」


 蹴りの衝撃を逃がすために転がろうとしたフレアだったが、電撃を受けたことによる筋肉の痙攣によってその動作は阻害される。

 結果としてアシュリーの恨みのこもった一撃を完全に受けることとなった。


 悲鳴を上げるその姿にすらも、アシュリーは怒りを増長させる。


「人のことを平気でいたぶるくせに、情けねぇ声出してんじゃねえよ!」

「まあまあ、アシュリー、そのくらいで」


 荒々しい口調でフレアの手を踏みにじるアシュリーを、ようやく義利が宥めに入る。


「助けて……、死にたくないのぉぉぉ……」


 フレアは唯一敵意を感じない義利にすがるように手を伸ばした。


「ねぇ」


 その手を取らずに義利は問う。


「どうして僕を攻撃したの?」

「え……、あの」

「僕を攻撃してどうしようとしたの?」


 柔らかい表情のままに、質問は続けられた。


「それは……」


 フレアは言葉に詰まった。

 この問にどのような意図があるのかを測りかねている、というのもあるが、義利の纏う気迫に押されつつあった。

 決して高圧的な訳ではないが、底の知れないおぞましさを感じ取ったのだ。


 まるで別の世界の生き物と対峙しているような。


「まあ別に、キミが僕を殺そうとしたことなんて実はどうでもいいんだ。ただ興味があるだけ。なんで?」

「わ、私の……、『あの姿』を見たから……」


 フレアは喉を引き締められている錯覚の中、慎重に言葉を選んだ。

 そしてその中に嘘を交えないようにと細心の注意を払っている。


 本能がそうさせているのだ。

 嘘を吐き、それが暴かれた時にはこの人間すらも敵に回るという確信があった。

 それはフレアにとって死と同義である。


「あの姿って、岩石の鎧のこと?」


 義利の質問に対し首肯で返す。


「あの姿は、とても醜いから……、誰の記憶にも残したくないのよ」


 悔しさと恥ずかしさが半々で混ざり合った複雑な心境で、フレアはそう告げた。

 幼稚な理由であることなど重々承知ではあったが、改めて自身の口から言わされるのは屈辱的なことだったのだ。


 そんなフレアの言葉を受けて、義利は眉根を寄せた。

 何か失言をしてしまったのかとフレアは怯えた顔をしたが、それを見た義利はすぐに笑顔を貼り直す。


「キミは醜いって言うけれど、僕はカッコイイと思うよ?」

「ウソよッ!!」


 叩きつけるように叫ぶ。


「人の形はしてるけど、あんなの泥人形と変わりはしない。醜くて汚らわしい土くれよ!!」


 それが自分自身の力に対するフレアの評価だった。


 彼女が全力を出すためにはあの姿を取らなければならないのだ。

 鎧を纏っている時とそうでない時では熱量に三倍以上の差が出る。


 更に防御面でも鎧は有用であり、欠点らしい欠点といえば移動速度が遅くなることくらいのものだ。

 つまり通常時の火力で圧倒できない時には鎧を晒すしかなくなる。

 そうでなければわざわざ嫌悪の対象である姿になどなりはしない。


「でも、すごく強そうだったじゃないか」


 義利は慰めのためではなく、率直な感想を伝えた。


「身長は二メートルを軽く越えてたし、体格も屈強そうで、男としては憧れちゃうよ」

「…………お世辞なんて、欲しくない」

「本心だよ。強さってのは、男の目標なんだ。あ、でも、ただ強いだけじゃなくて誰かを守れる強さの方が、僕はカッコイイと思うよ」


 ニィ、と硬さの抜けた笑顔を浮かべる義利は、嘘をついているようには見えず、フレアは若干照れた。


「ウソよ」


 と、恥ずかしそうに顔を背けながら言う。


「ホントだって」


 すかさず義利が言う。


「どうでもいいけどダッチ、コイツはどーすんのさ」


 このままでは埒があかないと、たまらずアシュリーが口を挟む。


 悪魔との契約を切ることはできない。

 一度契約をしたのならその命を奪われるまでの間は、悪魔の思うままに体を利用されるだけの存在となるのだ。


「フレアさん、もう一度だけ聞くよ。契約者の意思を無視して魔人化せず、人を殺さない。この二つの条件を受け入れてもらえるかな?」


 義利は、相も変わらずそんなことを申し出た。

 手ひどい裏切りを受けた、その直後だというのに。


「あなた、頭おかしいんじゃないの?」


 とティアナが言う。


「珍しいな。アタシも同意見だ」


 それにアシュリーが賛同し、「キャロもだって」と味方の全員から批難を受ける。

 ひどいなあ、と小さく呟くと、義利は少しだけ真面目な顔をした。


「悪魔が人を殺す理由って、人間で言う食事と同じなんでしょう?」


 生きるために必要なエネルギーを得るための行動、というその部分だけに焦点を合わせれば、義利の言うとおりである。


「まあ……、そうね」


 義利の言わんとするところを理解したティアナは言葉を濁しつつも肯定をする。

 そして、人間を食料とするならさしずめ聖人は高級食材だろうか、などと頭の片隅に浮かべた。


「僕らだってイキナリ『今日からご飯食べるな』なんて言われたら無理でしょう?」

「そうは言うけど、悪魔だってフツーに飯食ってエネルギー摂取できるぜ?」


 同じ悪魔であるアシュリーが言うのだから間違いはない。


「でもそれだと少ししか得られないんでしょう?」

「まぁ、そうだな」

「エネルギーを得られてお腹が膨れればそれでいいんなら、人間だって野菜だけで生きていけるんだよ。けど人間は動物を殺してその肉を食べてるでしょう? だから悪魔が一方的に悪いって言うのは何だか違う気がするんだよ」


 これにはアシュリーも反論できずに口を閉ざしてしまう。


「ここでフレアを見逃して、どこかの誰かが殺されようと構わないって、そう言いたいわけ?」


 業を煮やしたようにティアナが言う。


「貴方の一時的な自己満足のせいで、何人もの人が死のうがお構いなしってわけ?」

「違うよ。ただ僕は信じたいだけなんだ」


 苛立つティアナをよそに、至って落ち着いた様子で義利は続けた。


「人は誰だって心の中に正義があるんだ。きっかけさえあれば変われるって」

「そんなの綺麗事よ」


 義利の信条は辛辣に切り捨てられてしまう。


「そうだね。綺麗事だよ。だからそれが実現できたらそれが一番いいんじゃないか」


 それこそ綺麗事だと、言いかけて止める。


「……好きにすれば」


 代わりにそれだけを伝えてティアナはガルドの介抱を始めた。


 と言っても、直前まで魔人化していたために目立った外傷は存在しない。

 アシュリーが上手く手加減と狙いを定めた成果だった。


「それでフレアさん、どうする?」


 改めて義利は問う。

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