(6)白い悪魔
『去る2月19日。雄一は亡くなりました』
「うそ……でしょ?」
重く、苦しい空気が一気に理花へとのしかかる。
今まで出来る限りこらえていた理花の涙腺が、ついに限界を超えた。
洪水のようにこぼれだす涙。
「うそよね……?」
信じられない。
いや、信じたくない。
だけど、何度読み返してみても、文章は変わらない。残酷な事実が記されているだけ。
「そんな……」
―――こんな急に?!
雄一は急性白血病だった。
付き合い始めて2年目の秋―――雄一が20歳の頃、授業中に突然倒れたのだ。
その時初めて、彼は自分が白血病患者だと知ったという。
白血病にはいくつかの型があり、雄一の場合は根気よく治療を続ければ症状も抑えられ、問題なく日常生活が送れるという比較的症状の軽いものだと聞いている。
春と秋に治療のため約2週間の入院が必要だったが、それ以外はこれまでと何の変わりもなく過ごせていた。
「どうして……?」
―――私が出張に旅立つ朝、見送ってくれた彼はあんなに元気そうだったのに?
目の前がグルグルと渦を巻き、気を失いそうだった。
何かをしていないと倒れてしまいそうなほど、悲しみが束になって襲い掛かってくる。
理花の心が引き裂かれ、悲鳴を上げている。
「い、いや……よ。こんなの、いやぁ……」
何もかも放り出して、この場から逃げ去ってしまいたい。
こんな手紙など破り捨ててしまいたい。
しかし、今の理花には目の前の手紙を読むことしか出来なかった―――つらいと分かっていても。
「うっ……、くぅぅ……」
下唇を噛み締めて、必死に手紙を見据える。
びっしりと文字で埋め尽くされた5枚近い便箋を読み進めていった。
『理花さんが海外に発ってから、程なくしていつものように入院をしたのです。
その際に雄一の担当医から“このところの治療の効果があまり現れておらず、予想以上に状態が良くない。
もしかしたら先は長くないかもしれない”と告げられました。
話によると、本人の体力がかなり落ちていたこと。それによって抗がん剤に耐え切れず、悪影響が出てしまったのではないか、とのこと。
今回の治療は極力薬に頼らず、体力の回復を優先させようと雄一に勧めたらしいのですが、本人が頑として譲らなかったそうです。
おそらく雄一は3月に帰国する理花さんのことを、少しでも万全な体で迎えにいってあげたくて、焦っていたのだと思います。
“このところ病気のせいで、やけに疲れやすくなった。これじゃ、間に合わない”と、夏の終わりごろに洩らしていたのを記憶しています。
だからこそ、無茶を承知で強引な治療を望んだのでしょう。』
理花はその事実を知って、愕然とした。
―――私の出張中にも何度も電話でのやり取りがあったのに、雄一は私にそんなこと一言も言わなかった。
「……違うわ」
理花は頭を振る。
雄一は言わなかったんじゃない。言えなかったんだ―――私が心配するから。
それなのに、私は気付こうともしていなかった。
理花は鈍感な自分を責め立てた。
しかし、さすがこの母にして雄一ありとでも言おうか、理花が気落ちするのを見計らって、気遣う文章が記してあった。
『余計な心配をかけまいと親にすら弱音をはかない息子でしたから、きっと理花さんには何も言わなかったことでしょう。
その事であなたが気に病むことはありませんよ。
むしろ、そばで様子を見ていたのに雄一の変化に気付いてあげられなかった私たち親のほうに責任があるのですから。
こちらこそ、理花さんに頭を下げなければなりません。
本当にごめんなさいね』
「く、うぅぅ……」
溢れる涙を指で払った。
理花は大声で泣き出してしまいたいのを奥歯でグッとこらえて、手紙を読み進める。
『秋の治療では期間を過ぎても退院できる状態にはなく、そのまま病院での生活を続けることになったのです。
予想外に早い病気の進行と化学療法で、雄一はすっかり痩せてしまいました。
それでも必ず治ると信じて、前向きに生きていたんです。
万が一のことも考えて外出は出来ませんでしたが、病院内での雄一は今までとさほど変わらずに過ごしていました。
ただ、どんな時でも自分の体調を気にかけなければならない生活は、きっと雄一にとって苦痛であったと思います。
そんな雄一にとって、理花さんとの電話がとても励みになっていたんですよ。
“理花は自分の努力で海外の本社で働く道を切り開いたんだ。だから、俺だって努力すれば、きっと良い状態に向かうはずなんだ。
向こうで頑張っている理花の声がなによりの薬だよ”と言うのが雄一の口癖でした。
電話の後のあの子は、いつも晴れやかな表情で。
毎日のようにあなたと話すことで、雄一の気持ちは落ち着き、少しずつではありますが、治療の効果が表れ始めていました。
おかげでクリスマス前には外泊許可が出て、その日、家に向かう途中で理花さんへのプレゼントを買いに行ったんですよ。
長期の治療で足の筋肉が大分衰えていたので雄一は車椅子での移動でしたが、表情はとても明るくて。
大きなデパートの売り場に並べられた沢山の品物をじっくり眺めては、手に取り、雄一はとても真剣でした。
親へのプレゼントだって、あんなに真剣には選ばないでしょう。それだけ、あの子にとって理花さんは特別な存在なんですね。
雄一があまりに時間をかけて品物を選ぶので、付き添った主人のほうがバテていたほどなんですよ』
理花はここで、ようやく息をつく。
そして、クリスマスのことを思い出した。