(3)胸騒ぎ
理花は部屋に入り、後ろ手で扉を閉める。
「私が帰ってくる日も時間も知ってるんだから、わざわざ手紙なんて送らないで電話をかけてくればいいのに。まったく、もう」
ボスン、と音を立ててベッドに腰をかけた。
「“誕生日に電話がかけられなくてごめんなさい。気まずいから手紙にしました”ってことでも書いてあるのかなぁ」
わざわざ大きな声を出しては、いちいち独り言を言う理花。
不安を取り除こうとする時の、理花の無意識の行動だった。
何を感じ取ってのことか、胸騒ぎは収まる様子を見せない。
理花は正直迷っていた―――手紙を読むことを。
母親からこの手紙を受け取ってから、胸の奥がチリチリと焼けるような、なんとも言えない不快な感じが続いているのだ。
「……まさかね」
理花はふっ、と笑って、自分の馬鹿げた妄想を振り払った。
「私ったら疲れているのかしら。変な事ばかり思い浮かべちゃって……」
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、理花の独り言は収まることはなかった。
しばらく適当な独り言を続けていたが、このままでいても仕方がない。
理花はポケットに仕舞っていた封筒に触れた。
「さてと」
封を開けようとした理花の手が止まる。
「これ……、雄一の字じゃないわ……」
大学1年から付き合い始めて、もう7年になる二人。
そこに書かれていた理花の住所や宛名は、これまでに見たことのない文字―――流れるような達筆だ。
確かに彼の字はとても綺麗だったが、この字は明らかに違う。
雄一の書く文字はもう少し角ばった感じの物だ。
封筒に書かれている文字はやわらかく、どことなく雄一のものと似ているが、やはり受ける印象が違う。
直感だが、これは女性の字だ。
「どういうこと?」
理花の胸の奥が大きくざわついた。
おそるおそる手紙の封を開け、三つ折にされた数枚の便箋をゆっくりと広げる。
すると、理花の眼に信じがたい文字が飛び込んできた。
封筒に書かれていた文字とは違い、今度はまぎれもなく雄一の筆跡ではあったが、所々がゆがみ、かすれ、全体的にとても弱々しい印象を与える物だった。
「これって……」
理花は数回まばたきをして、とりあえず文面に視線を走らせる。
その手紙は、こういう書き出しで始まっていた。
『意識がまだあるうちに 君へ手紙を残すことにする』
「―――えっ?!」
手紙の書き出しを見た瞬間、理花の動きが止まった―――同時に思考も。
その文字に眼を奪われたまま、微動だにできない。
なのに、勝手に体が動いて震え出し、乾いた紙の音がやけに耳につく。
「な……によ、これ……?」
カサッ。
カサカサッ。
ガサガサガサッ……。
震えは大きくなる一方。
この先書かれている事を知りたくない。
理花はそう思った。
だが。
―――彼が私にあてた手紙を、私は読まなければ。それが彼の願いであれば、彼女である私はそうするべきだわ。
頭では分かっている。
文字を読むだけだ―――フランス語でも、ドイツ語でもない、日本語で書かれた文字。
ただ、それだけ。
簡単なこと。
文字さえ読めれば、誰にだって出来ること。
分かっている。
分かっている―――けれど。
始めの一文に目が釘付けで、それ以上先に進まない。
いや、先に進むことを拒否している。
目が、体が、そして心が、真実を知ることを恐れて拒否をする。
―――このままじゃ、だめだわ。雄一が言いたいことを、私は知らなくっちゃ。
自分に言い聞かせて、理花は静かに瞳を閉じた。
そして深呼吸をする。
気持ちが落ち着くまで、何度も繰り返した。
ガサガサッ。
カササッ。
カサ……。
徐々に震えが収まってゆく。
念のためにもう一度大きく深呼吸をして、理花はゆっくり目を開けた。
ためらっていては、また止まってしまうに違いない。
理花は一枚目の便箋の最後まで、一気に目を通していった。