牛の女とライバル関係(2)
次の日登校すると、綾は俺の席で待っていた。自分のクラスでもないのに堂々としているその姿には清々しさを感じてしまうほどだ。全力で逃げ出したかったが、後で何を言われるか分かったもんじゃない。
諦めて席に着くと、昨日の続きと言わんばかりに流れるような口調でまくし立ててくる。
「ほら勝史! 早く諦めなさい!」
「諦めないから!」
「どうして!」
「入りたくないからだ!」
「なんで!」
「何回も説明しただろ!」
そのまま、数分同じようなことを繰り返し言い合う。
綾は見た目、とても温和そうな顔立ちだ。ポニーテールの髪は活発そうに見えるが、やや下がった目じりや全体的に丸っこい顔の形は彼女が愛する牛に似ている。
性格の方は、外見とは裏腹に見ての通り、非常に強引な性格だが。
「よう。今日も朝から無駄に元気だな」
「今日も朝から爽やかだなお前は」
綾との言い合いが行き詰まってきた頃、一人の男子が会話に割って入ってきた。
前島駿平。高校に入学してすぐできた友達で、愛想が良く誰とでも打ち解けるやつだ。男女問わず人望が厚く、俺と同じ帰宅部に在籍中の人間とは思えない。がっしりとした体つきに元気はつらつとした笑顔。スポーツ万能の好青年といった風貌である。
「綾も、元気そうでなにより。牛さんも」
前島は隣の席に腰を下ろす。牛さん、というのは綾の肩に乗ってる牛の人形のこと。
ここ、県立牧高校は風変わりな特色を持つ学校だ。制服に関する校則がその筆頭だ。制服そのものは、男子は普通の学ランだし女子も濃紺のブレザーにプリーツスカート、深紅のリボンと特筆する点はない。ただし、『ワンポイントなら自分流に制服を改造することを許可する』とされているのだ。その結果、この校則を知り、それ目当てに入学する人間も少なくなく、世にも珍しい、いろいろな制服を目にすることができる。
「そういや、今日も赤だな? それって結局なんか意味あるのか?」
「何回も言ってるでしょ? ただの気分だって」
綾の肩に乗ってる牛は落ちないよう、リボンで固定されている。リボンの色がたまに変化するので気になっているのだが、綾曰く、気分らしい。というか、今さらだが牛の人形を肩に乗せるのは『ワンポイント』の範囲から出ないのだろうか……。
「そうだ!」
不意に綾が声をあげた。
「なんだ?」
「勝史、今週の土曜日映画観に行くわよ!」
またこいつは……。何をどうしたらそういう提案が出てくるんだ。
「おい。まさかデートか? 羨ましいぜ椎歌!」
前島も、勝手なこと言うな。しかもそんな身を乗り出してこなくていい。
ちなみに、椎歌というのは俺の名字。好きになれないから勝史と呼べと言ってるんだが、前島はいつまで経っても名字で呼んでくる。
「デート云々は置いとくとしても、なんでそんな話が降って沸いたように突然出てくる?」
「別に良いじゃん! こんな美少女と映画観に行けるんだから文句言わないの」
いかん。目が輝いてる。こういう時のこいつにはあまり逆らわない方が良い。妙に突っぱねるとまた言い合いになるだけだ。あと、自分のことをさらっと美少女とか言うな。
「はいはい。分かりましたよ。綾みたいな美少女と映画を観に行けるなんて光栄だなぁ」
「そうよ。感謝しなさい」
「はい。感謝してます」
「よろしい。午後一時に駅前集合ね。電車で行くから」
「了解しました綾様。午後一時に駅前ですね」
「うん。観る映画はこっちで適当に決めるけど良い?」
「別になんでもオーケーです。綾様が決めたのなら」
「よし。じゃあ、文芸部の子も一人誘うからね」
「分かりました。文芸部の子も…………は?」
投げやりに答えていたら、不穏な単語が出てきて思わず相づちを止める。
「何か問題?」
「いや、別に……」
「よろしい。じゃあ、あたしはクラスに戻るね」
綾は言い終わるとすぐに席を離れていった。
はめやがったな。最初からそのつもりだったのか。いくら誘っても首を縦に振らないから違う方法で……。どういう意図があるのかはよく分からないが、明らかに狙ってやったことだろう。
「お前らまだやってんのか? 一昨日で入部期間終わったじゃん」
「俺もそれは言ったんだが。どうあっても俺を入部させたいらしい」
綾の入部しないか、という誘いは昨日に始まったことではない。春休みの頃からずっと続いているのだ。
「でも、お前も綾も、そうやって言ってられるほど成績が向上したんだからそれはそれで良いことなんじゃないのか?」
「それは言わないでくれ。耳が痛くなる」
「マジでびっくりしたからな。一年の時は。小説書いてる、なんて言うからてっきり勉強もできるのかと思ってたら二人して赤点大量生産してるんだもんな」
そう。俺達は現在二年生だ。
一年の時に部活関連の話がなかったのは、情けない話だが成績が酷すぎたから。綾も俺も部活がどうこう言ってる場合ではなかったのだ。牧高校は地元ではかなり優秀な進学校だ。甘く見ていた俺達にも問題はあったのだが、それにしたって自分でもびっくりするくらいの成績で苦労した。
ちなみに、綾が文芸部に入ったのはつい最近、つまり今年度になってからだ。ただ、一年生の時からたまに見学に行っていたらしく、文芸部のことをよく知っている。入部したばかりなのに何年もそこで活動していたような口ぶりで勧誘できるのはそのためだろう。
「実際、文芸部ってどんな感じなんだ?」
「さあ? 綾の話によると『すっごく楽しくて面白いところ』らしいが」
「楽しいところ、か。お前はやっぱりその辺りも気になるのか?」
「まあな」
団体で何かするのが嫌い、という以外にも文芸部に入るのをためらっている理由がある。
どの程度真剣に部活をしているのか、だ。
「綾の話を聞く限りみんなで楽しくわいわいやってるだけって印象がある。それも大切なことだけど、部活なんだからある程度は真剣にしないと意味がないと思わないか?」
訊くと、前島は顎に手をやり、少し考える素振りを見せる。
「どうだろうな。真面目に取り組んでる人間ならそう思うだろうけど、中には趣味の範囲でやろうって人もいるはずだろ? そういう人たちまで無理矢理真面目にやれって押し付けるのはいかがなものかと思うが」
「それはそうなんだが……」
野球部にいるからといって全員がプロ野球選手を目指しているわけじゃないように、文芸部に在籍しているからといって皆、作家やイラストレーターを目指しているわけじゃないだろう。だから自分の理想を押し付けるわけにはいかない。
それは、十分理解できるのだが。
「けど、椎歌はせっかく部活に入るならお互いを本当の意味で高められるようなところが良いと思ってるんだろ?」
「……そういうことだな」
前島はガタっと席を立つとまとめるように言った。
「なら、入らなくても良いんじゃないか? 椎歌には部活に入らずとも天空綾というライバルがいるし、今の時代、ネットで自分と同じ想いを持ってる人と話し合ったりもできる。そうでなくても椎歌は大勢でいろいろするのが苦手なんだから、いくら綾の誘いでも嫌なものは嫌だとはっきり自己主張しないと、自分のためにならないぞ?」
最後に、爽やかな笑顔とウインクまでつけて言い終えると前島は他の友達のところへ行った。
なるほど。前島駿平。カッコいいじゃないか。あれなら女子にもモテそうだな。
て、俺は何を考えてるんだ……。