信じてる(2)
金曜日。
「あのバカ」
苛立ちを隠しきれず、自分の机を殴りつける。
もはや何故来ないのかという疑問より、焦りの方が上回っていた。すぐにでも会わないともう関係が修復できなそうな気さえする。
「椎歌、今日を逃したら、たぶん終わるぞ」
前島の言葉を否定することすらできない。
鼓動が早くなり、唇も乾いてくる。何度も廊下に出て綾の姿がないか確認するが、見つけることはできない。クラスメイトは俺の動きを不審に思ってるだろうが、あいにく、そんなことを気にする余裕はない。
「ああもう……」
こちらから会いに行くなんて正直したくない。
今回のことはどんな動機があるのか知らないけど、綾が勝手に訳の分からないことをしただけだ。わざわざこっちから出向いたらこっちが悪いみたいになる。
「しょうがない」
俺は携帯を開くと朋野さんのアドレスを出す。
綾にも俺がメールしたのが伝わる可能性もあるが、ここまできたらそうも言ってられない。来週に持ち越しなんてしたくはないし。
綾の様子を尋ねる内容を書き、少しの逡巡の後、送信。
「気づいてくれよ……!」
朋野さんが学校で携帯を確認する人なのかどうかは分からないが、これしか手がない。返信してくれるのを待つ。
昼休み。
「電話してみる」
「ああ」
返信は来なかった。
朋野さんはメールに気づかなかったらしく、昼休みまで待っても返信はなし。
綾が朋野さんの傍に居ないことを願いつつ、発信ボタンを押す。
数秒後、朋野さんは出てくれた。
《はい》
「あ、もしもし」
《なんですか?》
「えっと、今近くに綾はいますか?」
《いえ、いませんが?》
一安心。よし。本題だ。
「綾って今どんな感じですか?」
《どんな感じと言われましても……》
まあ、そりゃそうか。こんな聞き方されても困るよな。
「例えば、いつもより落ち着きがないとか、元気がないとか」
《ああ、なるほど。では、回答しますが――》
《学校に来ていません》
なるほど。
学校に来てない、か。ならうちのクラスに来れなくても、しょうがない、か…………て、ちょっと待て。来てない? なんだ来てないって。
《綾は今週の月曜日、風邪で学校を休み、水曜日に一回来ましたが、ぶり返したようで昨日、今日とも休んでます。それがどうかしましたか?》
「風邪、ですか?」
《はい。担任はそう言ってますが》
ドクンと大きく心臓が鳴るのを感じた。
まさか……。
高校に入ってから綾はずっと元気だったし、多少風邪を引いてもすぐ治っていた。だから、てっきり良くなったものだと判断していたけど。
実は、違った?
じゃあ、どういうことだ? ここ数週間、綾は俺を入部させるために休みを潰していた。
つまり? そのせいで体調を崩した、のか?
《勝史さん?》
朋野さんの声が遠く聞こえる。
今週になってから休み始めた、ということは、もしかしてこの間の土曜日は無理して出てきていたのか?
ケンカのインパクトが強くて忘れていたけど、そういえば、会った時、どこかいつもより元気がなかったような……。
その綾に、俺はなにを言った?
綾に非があったのは事実だろう。そこは否定しない。
だけど、それよりも、なんて言った?
『お前が勝手に思って、勝手に勧誘してきて、勝手に意味不明なことし出して! 全部綾がやってるだけだろ? 俺のこと考えてるって言うけど、本当に考えてるのか!?』
自分の体調を省みず、俺のために頑張ってくれた人に、こんなことを言ったのか?
最低だ!
「綾のところに行ってきます!」
前島にも聞こえるよう、宣言して、俺は教室を飛び出した。
後のことは前島が上手くやってくれるだろう。
そして、気づく。
俺のために休みの日を潰して、さらに今週、風邪でろくに学校にも来れない状態だったっていうことは、当然文芸部の作品も書けていないだろう。
綾が、花波さんたちが、楽しみにしていたデビュー作。それを、台無しにしてしまった。
俺だけに責任があるとは思わない。綾だって、ある意味自業自得だろう。俺のことばかり気にかけて、自分のことをしていなかったんだから。
でも、責任がないわけでもない。俺がずるずると入部するんだがしないんだかはっきりしない状態で居たから、綾も変に気になったはず。どちらかに決めていれば綾も、ここまで無理はしなかっただろう。
『邪魔、しないであげてね』
花波さんの言葉が思い出される。
くそ。思いっきり邪魔してるじゃねーかよ!
「とにかく、会って話がしたい……!」
俺は綾の家へと走った。
呼び鈴を鳴らすと綾の母親が応じてくれた。
「勝史くん? 懐かしいわね」
端折って事情を話すとすぐ家へ招き入れてくれた。
綾の家は牧町らしい、木造の年季の入った古い住宅だ。一応洋室もあるが、ほとんどが和室だ。客間として使われているのも当然のように和室で、もちろん、椅子ではなく、座布団に座ることになる。
正座ってあまり好きじゃないんだけど……。
「綾、具合はどうなんですか?」
「今は眠ってるけど、大分落ち着いてきてるから、話すだけなら問題ないわ」
「そうですか」
俺と綾のお母さんは結構顔見知りだ。
小学校の頃、学校が終わるとよくお互いの家に遊びに行っていたし、中学時代もたまにお邪魔していた。高校に上がってからはそんなことをする暇もなく勉強に追われていたけど。
「勝史くんは、文芸部に入ってないんだったっけ?」
「ああ、えっと、まあ。その辺りのこともこれから綾と話そうと思うので」
紅茶とクッキー(手作りらしい)を用意しながらとりとめもない話を続ける。
「成績の方はどうかしら? 綾に聞いたらあまりよくないって言ってたけど」
いらんこと話してるな綾のやつ。
「いえ、平均点くらいは取れてます」
「そう。なら良かったわね。綾なんかここのところ何をしてるのか、全然勉強してないみたいで。心配なのよ」
これについてはノーコメントで。
誤魔化し半分でクッキーを食べてみる。
「あ、これ旨い」
「本当? 久しぶりに作ったからちょっとドキドキだったけど、良かった」
ほっとした表情を見せる綾のお母さん。
「お母さん? さっき呼び鈴鳴ったけど、誰か来たの~?」
と、ぺたぺたという足音とともに綾が部屋に入ってきた。
寝起き姿で。
いつもしっかり結られている髪はあちこちに寝ぐせが付き、まとまりがない。可愛い牛のプリントがされたパジャマも若干乱れ、胸元が少し見えている。てか、下着も見えてます。
手にしっかり牛を持っているのは綾っぽかったが、雰囲気がまるで違う。俺は一瞬「あ、朋野さんの言う通り綾の下着は黒なんだ」、などと思ったが、慌てて視線を逸らす。いくら幼馴染でもこれはマズイ。
「え? ま、勝史?」
「そうよ。家に来てくれたのなんて何年振りか――」
お母さんが最後まで言い切らないうちにドタドタドタ。
全速力で自分の部屋に戻ったようだ。
その様子を見てくすくす笑うお母さん。
「幼馴染でも、恥ずかしかったのかしらね」
「…………」
綾。誰か来てるのに気付いてるなら寝起き姿で部屋に入ってくるなよ……。
ため息一つ、気を取り直してそれより、と俺は切り出す。
実は綾と話す上でどうしても頼みたいことがあった。綾も起きたことだし、このタイミングを逃すと困ったことになる。
「あの、不躾なのは重々承知してますが、綾と二人で話したいのでもし良ければ……その、席を外してもらえないでしょうか?」
「……なに? もしかして告白する気なの? そういうことなら応援するわよ?」
「違いますよ!」
「じゃあ、なんでかしら?」
「さっき、綾がここのところ勉強をあまりしていないって言ってましたよね? それ、たぶん俺のことが原因です。お母さんにも言ってないってことは、綾もあまり人に言いたくない事情があんじゃないかと思いますけど」
じっくりと考えるように目を瞑り、それからお母さんは言った。
「分かったわ。友達にしか話せないことっていうのもあるものね。綾は外に出せるほど回復してないし、私が外で時間を潰して来るわ」
「ありがとうございます!」
本当は、綾の部屋で話せればそれが一番楽なのだけれど、俺と天空家の方々との暗黙の了解で綾の部屋には入れないことになっている。綾の部屋に入れるのは同姓か、恋人だけとされているのだ。
「じゃあ、時間を見て帰ってくるから、綾のこと、よろしくね。もし体調が悪そうだったら、特別に入室許可するからちゃんと寝かせてね」
「はい。分かりました」
そう言って、綾のお母さんはバッグ片手に家を出て行った。




