花と遊びの二人組み(4)
「ところで……」
俺は強引に話を変えた。
これ以上、自分より年下の人間に負け続けたくない…………あれ? 年上だっけ。
なんでもいいか。
「花波さんはなんとなく察することができるんですが、ユウナ先輩って文芸部の部長ですよね?」
「そうでよ?」
あ、今かんだ。
「作品の方はどんなのを書いてるんですか?」
会ったその瞬間から疑問だった。
文芸部に所属しているからには作品を創らなければならない。花波さんは言わずもがな。小説かイラストか、はたまたどちらもかは分からないが、花を題材に作品を創っているだろう。綾も確かそんなことを言っていたし。
だが、ユウナ先輩は?
言っちゃ悪いがこの人にどんな作品が書けると? 精神年齢はお子ちゃまレベルで勝負好きで何故か運だけはやたら良い。おそらく非常識で、おそらく正しい文など書けるわけがなく、おそらく絵だってまともに描けないだろう。それ以前にちゃんと文字を書けるのか? 「また赤点採っちゃったよ花波お姉様~」とか言ってそうだし。
「どんなのって?」
「逆に聞き返されても困るんですが……そうですね。とりあえずイラストの方か小説の方か、どっちを?」
「それは――」
「イラスト。私と一緒に描いてるのよ」
ユウナ先輩が答える前に花波さんがさらっと真実を告げてきた。
「一緒に? 合作ってことですか?」
「そう」
「なんだ。そうなんですか」
ユウナ先輩が一人でまともな作品を創れるとは到底思えないけど、花波さんが一緒にやっているならできるだろう。
「なめないでもらえるかしら?」
「へ?」
「ユウナを、なめないで」
唐突に、花波さんの声音が一変した。
今までの、穏やかなものとは打って変わって底冷えするような声だ。表情も、厳しいものに変わっている。
「私とユウナの作品に賭ける想い。誰にも負けないと思ってる。それがどんなに不恰好で酷いものであっても。過去に囚われて文芸部に入部することをためらっているあなたに、ユウナをバカにする権利はないわ」
と、そこまで言うと花波さんは一気に表情を崩し、優しく微笑む。
花波さんの変貌ぶりも驚きだが、聞き捨てならないことが含まれていた。
表情を硬くして訊き返す。
「……過去に囚われてって、誰にそこまで聞いたんですか?」
「何があってどういう理由かは聞いてないわ。綾ちゃんがそれっぽいことを話していたってだけで」
聞いてない、か。綾も人の過去をペラペラ勝手に話すような人間ではないし、信じられるかな。
けど。
「詳しく知らないなら、そんな軽々しく言わないでもらえますか?」
「どうしてかしら?」
「俺がどんな気持ちで、ためらっているのか、今さっき知り合ったばかりの先輩には分かりませんよ。ただ推薦で決まるって聞いただけで手が震えるほどの恐怖に苛まれたりする人の気持ちが分かるんですか? 先輩にはトラウマってものの経験があるかないか知りませんけど、勝手な判断で――」
「その程度なのね」
「……え?」
「綾ちゃんから、勝史君は小説に関しては誰にも負けないくらいの意欲を持ってるって聞いてたけど、その程度なのね」
「だから、そんな軽々しく言わないで下さい! 先輩には――」
「だって、そうでしょう? 本当に小説に賭けているなら、過去にいくら嫌なことがあっても未来を見据えて進めるはずよ。それに、本当にそういうトラウマがあるなら、部長、副部長である私やユウナにこういうことがあるのでって素直に言えば良いじゃない? そうすれば、こちらとしても配慮できるし、しっかり付き合っていける。なのに、今の勝史君の言い方はどう? それこそ、『勝手に』、自分がどうとかって判断して文芸部に入って来ようとしない。なら、その程度って言われてもどうしようもないと思うけど?」
なにも知らないでこの人は……!
俺が反論して来なくなったからか、少しだけ雰囲気を和らげて語りかけてくる。
「誰だってそういうトラウマみたいなものはあるのよ。けれど、それとどう付き合っていくのか、どう向き合っていくのかは、個人の勝手。
私の好きな先生が以前、こう言ってた。『後ろ向きでも前へ進める』って。どこかの文筆家の方の言葉らしいけど。
別にしっかり前を向いて歩かなくちゃいけないなんて思わないわ。昔のことが恐いなら、それはそれで、受け入れればいいじゃない。だけど、それだけに囚われて、進むことそのものをやめてしまうのはすごくもったいないことよ。後ずさりしながらでも前へは進めるの」
怒りが霧散するどころか、どんどん増幅していく。
後ろ向きでも前へ進める? とんだ綺麗ごとだ。そんなことを言う先生はすごいかもしれない。だけど、それが実践できるかどうかは別問題だ。
後ろを向きたくても向けない人は、どうすれば良いんだよ。
「勝史君は、今、明確な目標がある。なら、それに向かって一直線に歩いてみればいいじゃない。後ろ向きでもなんでも、進んでることには変わりはないんだから。
それに、綾ちゃんだって、あなたの強力な味方になってくれるはずよ。辛いことがあったら彼女に頼ると良いわ。きっと力になってくれるはずだから」
「黙ってれば、さっきから綺麗ごとばかりよくそんなに並べられますね」
花波さんはびっくりした顔で固まる。この反応は予想外だったのか。
「花波さんは、感覚として理解しているんですか? 『後ろ向きでも』なんてことが通用すると、本気で考えているんですか? トラウマっていうのは周りがどうこうとか、ちょっと誰かに何かを言われたくらいで治るようなものじゃないんですよ。恐怖という感情が心のほとんどを占めてしまった時、例えどれだけ大切なものが目の前にあったとしても、どうしても逃げを選んでしまう人の気持ちが、花波さんには分かるんですか? 自分でも、他の人がどう言っても、どうにもならないもの。それがトラウマです。なんでも知ってるような顔して語らないでもらえますか?」
怒りをあらわに睨みつける。と、花波さんは
「そうね。よく理解できたわ」
それだけで済ませた。
明らかに興味なさそうに流されたので俺はさらにくってかかろうとしたが、ぼふ。
「はい。できたわ」
花波さんに制服を顔に押し付けられた。
花波さん達と同様に、胸ポケットから花が顔を出す形で刺繍がされていた。青の花が一輪、紫の花が一輪刺繍してある。
「オキシペタルム。ブルースターって名前の方が有名かな。二輪とも、色は違うけど同じ花よ。夏から秋にかけて咲く花だからちょっと季節がずれてるけど、勝史君には似合うかなって。花言葉は、自分で調べてみて」
しらけたような表情で説明する花波さん。
「それ、綾と一緒の花」
ぽつり。ユウナ先輩が呟く。
「それ、花波お姉様が綾にしてあげたのと同じ花」
綾と同じ……?
「うん。ブルースターは綾ちゃんにしてあげたのと同じ花。花言葉を調べればその理由は分かると思うわ」
「そう、ですか」
怒りを胸に押さえ込み、俺はじっとブルースターという花を見る。
後で、調べてみるか。
「じゃあ、私たちはそろそろ行くわね」
時計に目を落とすと五時をまわっている。いつの間にかいつもよりかえって遅い時刻になっている。
「マサーミ! また遊ぼうね!」
ユウナ先輩はトランプを片づけると満開の笑みでそう言う。
「まあ、機会があれば」
花波さんは、静かに立ち上がると俺に向かって一言。
「邪魔、しないであげてね」
「え、なんのですか……?」
「綾ちゃんの、作品書き。去年から様子見に来てくれてたけど、まだ読んだことないのよ。楽しみにしてるんだから、邪魔しないでね」
「しませんよ。そんなこと」
断言する。
ライバルとして、それだけはしたくないし、してはならないと思う。
「どうかしらね」
だが、花波さんはどこか侮蔑の混ざった視線でそう言うと離れて行った。
それを、ユウナ先輩が慌てて追いかける。
「……くそ」
綾と、朋野さんと、いろんな人と自分の作品を磨いていけたら将来のためになる。なら入ればいい。入部すればいい。
分かってるんだそんなことくらい。一歩踏み出せばいいだけなんだ。
だけど、それが、できない。自分という意思とは無関係な自分が居て、勝手に恐怖を感じてしまう。入りたい。でも、入れない。無理矢理進もうとする。そうすると、手が、体が震える。
「あーもう!」
気持ちの整理が上手くできなくて、ベンチを殴りつける。
どうすれば、いいんだ……!




