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ブルースターズ  作者: 彩坂初雪
第二章
10/23

スーツの女と三題話(5)

 ファミレスの外に出ると既に日が傾いていた。街が黄金色に照らされている。

「勝史さんは文芸部に入らないのですか?」

 電車の時刻までまだ時間があるため、普段は来ない街中をぶらぶらと歩く。

「遠慮しときます」

「そうですか。勝史さんが居たら先ほどのように、より部内が楽しくなると思ったのですが……」

 大手スーパーや大きな本屋、カラオケにゲームセンター、どこかの会社の本社と思しきビルなど、牧町にはない光景が広がっている。人の数も比べものにならないくらい多い。

「……ん?」

「どうしました?」

「いえ」

 今朋野さん、楽しいと言ったか? さっきのことが楽しい?

 これはもしかして、二人が言ってる楽しいという言葉の意味を取り違えていたか。単に笑って過ごせるという意味での楽しいかと思っていたけど、もっと広い意味で楽しいということなんじゃ……?

「朋野さんは、作家とか、イラストレーターとかを目指しているんですか?」

 頭を切り替え、議論していた時から気になっていたことを尋ねた。

 朋野さんの意見には遊びがなかった。広い視野を持ち、一つの作品を冷静に分析する。参考になったし、できることなら、これからも自分の作品を評価してもらいたいと思ってしまうほどだった。

「いえ、わたしはあくまで趣味の範囲です」

「そうなんですか? 趣味というにはいささか熱心過ぎのような気もしましたけど」

「そうかもしれませんね。けれど、一番好きなことは仕事にしたくないんですよ」

「なるほど。それも一つの考え方ですよね」

 趣味の範囲を出ないからこそ楽しめる。芸術関係が好きな人の中ではよく言われる考えだ。

「勝史さんは、小説家志望ですよね?」

「はい。遊び半分ではなく、真剣に目指してます」

 公言していることだが、改めて宣言するのは恥ずかしいものがある。照れ隠しに、早口で付け足す。

「えっと、俺は読者に友達の大切さを、伝えたいんです。昔、俺を傍で支え続けてくれた人がいまして。自分を支えてくれる友達がいるっていうのがどれだけ幸せなことなのか、読者に伝えたいんです」

「そうですか。頑張ってくださいね。わたしですら賞を取れるのですから、勝史さんなら簡単に取れますよ」

「ありがとうございます…………ん?」

今、なにやらとんでもないことをさらっと言われた気がするんだけど。

「あの、すみません。今なんて?」

「ですから、賞なんて案外簡単に取れてしまうと」

「いえ、その前です」

「ああ、わたしが賞と取っているという話ですか?」

 事もなげに言う朋野さん。

 なるほど。朋野さんが的確な評価をしたり、俺や綾ですら考え付かないことを当然のように言うのはそのせいか……………………………………………………………じゃなくて、

「はいぃぃ!? 朋野さん賞取ったことあるんですか?」

 あまりのことで反応が遅れた。

 小説大賞の賞を取るのは並大抵のことじゃない。高校や大学の受験なんて話にならないほどの倍率だ。大きいところでは千倍をゆうに超える。例え小規模な大賞であっても、そう簡単に取れるはずがない。気が遠くなるほどの確率なのだ。

「いえ、運が良かっただけですよ。そんな驚くことでは――」

「驚きますよ! どれだけ賞を取るのが難しいか分かってますか?」

 問い詰めるように言うと、朋野さんはため息一つ。落ち着いて聞いて下さいと前置きして話し始めた。

「小説なんてものは、結局のところ良い悪いなんてありません。ただ、審査員の方に合うかどうか、それだけです。ある大賞では一次選考で落ちた作品が、全く別の大賞に応募したら賞を取れた、ということもあり得るんです。ある程度の描写技術と、新しい発想、奇抜な展開。そういったものも評価には含まれるでしょうが、半分は運です。わたしの場合は審査員の方の感性と応募した作品がたまたま合致したから、賞が取れた。ただそれだけです」

 興味なさそうに語る朋野さん。

 違和感を覚えてもう少し深く訊いてみることにする。

「えっと、書籍化とかは……?」

「拒否しました」

「は? 拒否したって、どうしてですか? 創作に携わる人間なら誰もが憧れることなのに。俺だったら即オーケーしますが」

「さっきも言いましたけど、わたしは創作を仕事にしたくないのです。わたしはもともと誰かのために小説を書いてるわけではありませんし、何か目的があって賞に応募したわけでもありません。ただ、好きなように、自分の思う通り、小説が書ければ良いなと思ってるだけなんです。仕事にしてしまったら、読者の期待に応えなければならないでしょうし、好きなように書けるわけがありません」

「だから、賞を取っても書籍化はせず、その事実すら表にはあまり出さないようにしている、と」

「そうです」

 これまでの朋野さんの言動を思い出してみると、なんとなく理解できるような気がした。

 口癖が「笑える」で、映画を観に行くのにスーツで来て、三題話では(笑)というふざけたテーマを出し、その三題話もテーマを無視して好き勝手に書く。

 たぶん、朋野さんは何かに縛られて行動するのが嫌いなんだろう。自由気ままに、自分の好きなようにやる。それが朋野さんのスタイルで、朋野さんの個性なんだろう。

「では、あまり口外しない方が良いですか?」

「そうしてもらえると嬉しいです」

「分かりました…………て、あれ?」

 ふと、会話に綾が全く入っていないのに気付く。隣を歩いていたはずが、いつのまにかいなくなっている。

 振り返り、どこに行ったかと探してみる。

「お、いたいた」

 発見。立ち止まって一心に何かを見つめている。

 ガラスのショーケースを覗いているようだ。

 近づき、何を見ているのかと視線を辿ってみると……

「え!?」

 マネキンが黒いレース状のものを纏って立っていた。言うまでもなく、それは女性が服の下に身につけるもので。驚いてなんの店なのか確認すると、ランジェリーショップ。まあ、そりゃそうだわな。

「あ、ま、勝史!?」

 こっちも驚いたが、綾も驚いたらしい。

「こ、これはその……違うの! あたしはこんなの欲しくないっていうか……」

 いや、欲しくないものを食い入るように見たりしないだろ。ていうか、女性が買うならおかしくもなんともないだろうに……。しかし、だとしても黒、ねぇ?

「だ、だからそんなこれが欲しいわけじゃなくて、その……最近あたしもそういうのを意識するようになってきたから……だからどんなのがあるかな、って……えと…だから……」

 真っ赤になって否定する綾。

 ああ、なるほど。つまりこの黒いのは別に――

「でも、綾って結構黒じゃないですか?」

「ちょっ! 零!」

「嘘はいけませんよ。体育の時とかにチェックしてますから、事実です」

「ち、違う! あたしはそんなエロチックなものなんて……ま、勝史! 零は嘘をついてます!」

 そんな耳まで赤くして否定したところで意味ないと思うが?

 綾に黒……案外似合う……か? いやいや! 何を考えてんだ。

「勝史! なに赤くなってんのよ。絶対変なこと考えたでしょ!」

「いえ、変なことではないと思いますよ? おそらく勝史さんは今、綾の下着姿を妄想して赤くなったんでしょうから……黒の」

「付け足さなくていいから! とにかく勝史。このことは忘れなさい!」

「必死になって否定すると逆に信憑性を高めますよ?」

「頼むから零はもう黙って! そんなにあたしを苛めて楽しい?」

 いい加減、綾が半泣き状態になってるし、やめた方が――

「笑える」

「最悪のタイミングでキタ――――――!」

「ですから、これは無意識で……」

「分かってはいますけど。無意識ってホント嫌ですね。あと、綾が真面目に泣きそうになってるんですが?」

「あ……綾。少し悪ふざけが過ぎました。謝りますから、機嫌を直して下さい」

 などと、バカなことをやっているうちに、電車が来る時刻になっている。

 俺達は急いで駅に向かい、帰途に着いた。





「勝史は楽しかった?」

 朋野さんと分かれた後、開口一番、綾が訊いてきた。

 俺とてここで『楽しかった』と答えることが何を意味するのか分かってる。綾にとって、文芸部の仲間との交流が俺に良い影響を及ぼしたなら、嬉しいに違いない。

 だけど、それでも、朋野さんとの交流が有意義なものであったと感じている自分がいるのは認めざるを得ない。綾たちの言う『楽しい』の中に充実感などが含まれていることもおそらく間違いないだろう。

 俺は諦めて素直に答えた。

「楽しかったよ」

「よし!」

 綾は俺の答えを聞くと、満面の笑みでガッツポーズをする。

「おい。綾」

 はっきりさせておかなければならない。朋野さんとの交流はもう過ぎてしまったことだし嘘をついてもしょうがない。

「なに?」

 だが、それとは話が別だ。

「俺は、文芸部には入らないからな」

 数瞬、綾は沈黙した。

 そして、じっと俺を見つめると、少し悲しそうな声音で言った。

「やっぱり、野球部のことが原因?」

「べ、別にそんなじゃない」

 思わず、反論した。

「また、部活に入ると、嫌な経験すると思ってるの?」

「だから、そんなんじゃ――」

 そんなんじゃない。そう言おうとしたが、綾の次の言葉に押しつぶされた。



「あたしが居ても、恐いの?」



 それは、俺にとっても、そしておそらくは綾にとっても、辛い問いかけだった。

 綾の言う通り、俺は恐れている。部活は違うが、人が沢山居て、一つの集まりになっているという点では同じだ。だから、それが部長でなくても、仕事を押し付けられたり無理矢理何かをやらされたりするのではないか。そんな不安が……いや、不安なんて簡単な言葉で済まされない、それ以上のものがあった。そこに、いくら朋野さんや本気でその道に進もうと目指している人が居て、有意義に過ごせる場所であっても。二度とそんな場所へは行きたくなかった。

 例え、綾が居ても、それだけは勘弁して欲しかった。

 一番辛かった時にいつもすぐ隣に居てくれた綾。これは親友に対して、ライバルだと認めた相手に対して失礼極まりないのは重々承知しているが、どうしようも、ないのだ。

 俺だってなんとかできるならなんとかしたい。でも、できないのだ。

「ごめん。なに言ってんだろ。あたしはずっと、勝史の味方だよって言いたかっただけなんだけど……」

 そう言う綾は、笑ってはいたけど、どこか悲しそうで。

「…………」

 俺が黙っていると、彼女は「ごめんね」ともう一度謝ってから走って行ってしまった。


「あたしが居ても、怖いの?」


 その日、ずっとその言葉が頭にこびりついて、眠れなかった。


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