階段から突き落としたのはあなたです
トンッ
階段の踊り場で、私は体勢を崩す。背後から何かに押されたのだ。宙に飛び出した私の体。手すりも遠く離れている。ダメだ。転がり落ちる以外選択肢はない。せめて私を突き飛ばした正体でも見ないと、死んでも死にきれない。
私は空中で無理矢理体をねじる。その動きで、私の履いていた靴が両方すっぽ抜け、踊り場よりも上の階段の中腹に、それぞれコテンと着地した。
踊り場には両手を前に突き出し、私を押したと思われる体勢の女性がいた。同じクラスのブレイナー男爵令嬢だった。彼女の顔はおぞましい喜びの顔でゆがんでいた。人を突き飛ばした罪悪感など、その顔には欠片もなかった。達成感と勝利への喜びがまぜこぜになった、狂気の笑顔を浮かべていた。
ドガッッ!ドサドサ!
階段の角に、思い切り背中がぶつかる。続いて急に視界が暗転したかと思うと、体のあちこちに痛みが響く。上下左右なんてわかったものではない。めまぐるしく変わる風景。
ドバサッ!
永遠かのように思える回転は、唐突に終わりを迎えた。一番下に落ちきったのだ。死んでない。痛い。気持ち悪い。でも死んでない。
額から血が垂れているのがわかる。体に力が入らない。せいぜい指先がピクッと動く程度だ。何とか動かなければ。ブレイナーに突き落とされたと皆に知らせなければ。
コツコツ。誰かが階段を下りてくる。その誰かが私の前で立ち止まる気配がする。
「へぇ、あの高さから落ちて死んでないのね。……ほんとしぶとい奴。嫌になっちゃうわ」
「――ブレイナー!!」
私は力を振り絞り、声の方向に顔を動かす。そこには少し困ったよう眉をひそめるブレイナーがいた。
「まあ、いいわ。別に証拠なんてないのだし。――キャー!!だ、誰か!誰かいませんか!フラール様が踊り場から転げ落ちましたわ!誰か!治癒師を呼んで!」
ブレイナーの声にザワザワと人が寄ってくるのがわかる。先ほどまでとはまるで別人のような、甘ったるい声。これが先ほどの醜悪な笑みを浮かべていたと思うと、怒りを通り越してもはや笑えてくる。
「大丈夫か、君!」
男が私の上体を起こし、壁にもたれかけさせる。ありがたい。動かされると全身に激痛が走ったが、いつまでもブレイナーの前で、頭を地面にこすりつけておきたくはなかった。
「もうすぐ治癒師が来るからな!一体何があったんだ!」
「――あの女、ブレイナーに、突き落とされたのよ!」
私は、その時出しうる限りの声量で叫んだ。
周りでワタワタしていた人々の手が一瞬止まる。空気が、時間が固まる。そんな中、一人が口を開く。
「何を言っているんだ?彼女は君を助けたんだぞ?何の勘違いをしているか知らないが、それは無礼だ」
その一人の発言が口火を切ることとなった。周りの人々は次々にブレイナーがどれだけ重要な事をしたか、どれだけ私を心配しているか、熱く語った。
「本当なのよ!あの女が、私を、突き落としたのよ!なんであんなに到着が速かったか!突き落とした犯人だからよ!」
私がそう言うと、周りの人は少しため息をついた。まるで私が何もわかっていないかのような、まるで気のおかしい奴を見るかのような、そんな態度だった。
「ひ、酷いわ、フラール様!私は二階でドタバタ音を聞いて駆けつけたの!駆けつけたときにはあなたはもう地面に倒れていたわ!第一私が突き落とした犯人なら、助けを呼ぶなんて意味がわからないじゃない!――こんなこと言うのはあれですけど、足が滑って落ちたんじゃありませんか?ずいぶん動きにくそうな靴でしたし」
ブレイナーの言葉に周りの人はウンウンと頷く。ブレイナーは周りにばれないよう、密かにほくそ笑んでいた。
周りはもう完全に彼女の味方だった。証拠も無いのだ。ブレイナーは勝ちを確信しているのだろう。
――女神が微笑んだのは私の方だと言うのに。
私は深呼吸する。大きく呼吸すると、肋骨がピきりと痛む。だがこういうときは冷静さが一番だ。私は再度呼吸をすると、ゆっくりと声を抑えてしゃべった。
「……そう、二階にいて音を聞いて駆けつけてくださったのね。ごめんなさい、勘違いしていたわ。あまりなことに気が動転していて」
「グスッ。ありがとう、フラール様。ご自分のお間違いに気づかれたのね」
ブレイナーは、目を潤ませてそう言った。舞台女優並の演技力だ。
「そうね。ただ、一つ聞きたいのだけれど。――どうして私が踊り場から落ちたってわかったのかしら?皆を呼ぶときに、そう言っていたでしょう?」
「あ、えっと、その」
風向きが変わる。ブレイナーが目を白黒させる。周りの人々は、その周囲の人と目を見合わせる。
「――怪我の具合からよ!だって一、二段程度じゃこんな事にはならないでしょう?だから、踊り場から転がったのかなって」
「それはありえないわ」
「なっ!なんでよ!私の感性よ!ケチのつけようなんてないじゃない!嘘ついてるって証拠でもあるの!?」
「――それがね、あなたにとって残念な事に、そして私にとって都合がいいことに、あるのよ。証拠」
「う、嘘よ!そんなの嘘よ!」
私はにっこりと笑う。今の私の顔は、もしかすると、階段で私を突き落とした彼女の顔に通じる物があるかもしれない。
「二階から来た人は、絶対に踊り場から落ちたなんて考えない。考える余地もないの。なぜなら……踊り場よりも上の階段の中腹に、私の靴が転がっているからよ。それを見て、踊り場から落ちたなんて、考えようがあるはずないもの」
「そ、それは……そ、そうよ!あなたが下で倒れていたから、心配で心配で、そんな靴なんて目に入らなかったの。だからよ!」
「そう、確かにそういうこともあるかもしれないわね。――でもおかしいわね。あなたさっき、ずいぶん動きにくそうな靴だったから滑って落ちたんじゃないかって、そう言ってましたわよね。なんで私の靴、知ってるんですか?」
ブレイナーはもう何も言えなくなっていた。
******
ブレイナーは学園を退学処分となった。彼女の寮部屋からも、私に危害を加える計画が書かれた紙などが大量に見つかったらしい。犯行動機は、成績で一位を独占していたのが気に食わなかった、とのことだ。そんなことで命を狙うだなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
私はあの後から一ヶ月もの間ずっと、ベッドで退屈な日々を過ごしていた。ブレイナーを断罪しているときは、いつの間にか痛みなどどこかにいってしまっていたのだが、どうも高揚感からくる勘違いだったようだ。断罪後、猛烈に痛みが増し、三日三晩苦痛と共に眠れない夜を過ごした。
次突き落とされるなんて事があれば、どんな犠牲を払ってでも、その犯人を道連れにしてやろうと、固く心に誓うのであった。
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