第10話:嵐の予感郊外学習
シグルドが「お昼寝」から目覚め、恥辱に震えながら保健室を飛び出した翌日のこと。
特Aクラスの教室には、いつになく殺伐とした、それでいて熱を帯びた空気が充満していた。
「――というわけで、来週は『魔導の森』での一泊二日の郊外学習を行います。これはサバイバル能力と、仲間との協調性を養うための重要な訓練よ」
教壇に立つカサンドラ教官が、艶然とした笑みを浮かべながら教鞭を叩く。その視線は、窓際で暢気に消しゴムのカスをこねて小さな象を作っているアルトに固定されていた。
「さて、肝心の班分けだけれど……。公平を期すために、私が『厳正に』決めておきました」
カサンドラがパチンと指を鳴らすと、黒板に魔法文字で構成案が浮かび上がる。 そこには、全生徒が二度見するような驚天動地の組み分けが記されていた。
【第1班:アルト、カサンドラ(特別随行教官)】
静まり返る教室。沈黙を破ったのは、リナの机がガタガタと震える音だった。
「……ちょっと待ってください、カサンドラ先生」
リナが、氷点下の笑みを浮かべて立ち上がる。
その背後には、荒れ狂う火炎の幻影が見えるかのようだ。
「『協調性を養う』と言いながら、なぜアルト君と先生の二人きりなんですか? そもそも教官が特定の班に混ざるなんて公私混同が過ぎませんか!」
「あら、リナさん。アルト君の能力はあまりに未知数。万が一の暴走に備えて、私がつきっきりで『指導』する必要があるのよ。夜のテントでの生活指導も含めて、ね?」
カサンドラが頬を赤らめて吐息を漏らすと、今度はエレオノーラが優雅に、しかし確実に殺気を込めて扇子を広げた。
「おだまりなさい、このメス狐。……失礼、取り乱しましたわ。カサンドラ教官、その理屈なら『王国の盾』と称される我が公爵家の騎士団をアルト様の護衛に当てるのが筋というもの。先生は遠くから全体を監督していればよろしいのでは?」
エレオノーラはふんわりと微笑みながら、追い打ちをかけるように告げた。 「我が家で雇用している、王宮御用達の菓子職人も同行させますわ。もちろん、アルト様が寂しい思いをしないよう、わたくしが隣で常にお支えいたしますけれど」
「……(ピキッ)」
カサンドラの額に青筋が浮かぶ。
「あら、公爵令嬢ともあろう方が、教官の決定に権力で異を唱えるなんて。教育上よろしくないわね?」
「アルト君に関することなら、退学覚悟で異議を唱えます!」
「わたくしも、こればかりは譲れませんわ。公爵家の名誉にかけて!」
教壇を挟んで、現役教官と、実力者リナ、そして権威ある公爵令嬢エレオノーラの視線がレーザーのように交錯し、火花が散る。
その余波だけで、近くの席の生徒たちは「ひえぇ……」と机の下に隠れ始めた。
そんな修羅場の中心で、アルトは完成した消しゴムの象を眺めて呟いた。
「象さんできた。……ねえ、先生。郊外学習っておやつ持って行っていいの?」
緊迫した空気が、アルトの呑気な一言で一瞬だけ緩む。
しかし、それがかえって「この無垢な少年を誰が射止めるか」という女たちの闘争本能に火をつけた。
「当然よアルト君! 私が最高級のチョコを用意してあげるわ!」
「リナさんの安物とは違いますわ。わたくしが用意するものは、王宮の晩餐会で出される逸品のみ。アルト様、楽しみにしていてくださいな」
「……あなたたち、私の授業だって忘れてない?」
収拾がつかなくなり始めたその時、教室の隅から「あの……」と震える声が上がった。 シグルドである。頭に包帯を巻き、まだ顔色の悪い彼は、起死回生の一手を狙って声を張り上げた。
「教官! 私のようなエリートがアルトと同じ班になり、奴の無作法を矯正してやるのが一番の教育かと! ぜひ私をアルトの班に!」
カサンドラ、リナ、エレオノーラの三人が、同時に、そして冷徹な視線をシグルドに向けた。
「「「引っ込んでなさい(なさいな)、モブ!!」」」
「……あ、はい。すみません」
一瞬で撃沈し、シグルドは再び机に突っ伏した。




