第1話 幽霊ピアノ (下)
「チャイムなしで“きらきら星”を流して、右ペダルを踏む。再現できたら、仮説はほぼ確定」
「じゃあ僕、歌う!」
蓮が手を挙げる。
「音源に勝てる自信があるなら、どうぞ」
透が笑い、優香が爆笑し、紗月は「じゃあまずは音源」と淡々と進める。
スマホから“きらきら星”が流れる。右ペダルを踏む。
弦がまた、空気の中で光る糸みたいに震えた。
すると音が、そこに生まれる。
その音は、今まさに液晶の画面から流れている音源と同様の“きらきら星”であった。
「……はい、確定」
紗月が録音を止める。
「“幽霊ピアノ”は、日常の物理法則の合奏」
「ねえ、でもさ」
優香が窓の外を見やる。
「こうやって理屈をつけちゃうと、ちょっとさみしくない?」
「俺はむしろ、世界が少しだけ鮮明になる感じがする」
透は答えた。
「ぼんやり怖いより、くっきり不思議のほうが、性に合ってる」
紗月は一拍置いて、控えめに笑った。
「噛み合わないわね、私たち」
「噛み合ってるよ」
透は肩をすくめる。
「俺は早く終わらせたい。部長は深く掘りたい。結果、最短で深くたどり着いた」
「それ、ちょっと嬉しい」
紗月の笑顔は、理屈より少しだけ温度が高い。
完璧に見える彼女が“嬉しい”と漏らす瞬間は、透の心に微かな痛みを残した。
蓮が手を叩いた。
「じゃあ次は“幽霊ヴァイオリン”いこう! 僕、弓だけは持ってる!」
「弓だけって何。情報的にはゼロよ」
優香が突っ込み、四人の笑いが音楽室に広がった。
湿った空気は、もうただの湿った空気に戻っている。
でも、一度“響いた”という事実は、記録に残る。
異変部の最初のファイルに、透は簡潔に書いた。
窓の外の水たまりは、ゆっくりと乾いていく。
“現実主義”と“理屈好き”の噛み合わなさは、確かにある。
けれど、異変を前に並んで立つときだけ、歯車はなぜか、ちょうどいい速度で回るのだった
でも透だけは気づいた。
チャイムに同期した音のほとんどは共鳴で説明できる。けれど 半拍早く立ち上がった弦の一音だけは、説明できない。
埃の欠け方も微妙に不自然で、誰かが触った痕跡を示唆している。録音には残っていない低音も、透の耳には確かに聞こえた。
「……誰かが弾いた?」
透は心の中でつぶやく。
部員たちは物理現象だけで納得している。
けれど、目の前で起こった“現象”の一部には、透だけが触れた真実があった
Case.01「幽霊ピアノ」
現象:午後4時、無人の音楽室で“きらきら星”が鳴ったように知覚
条件:校内チャイム音+湿度急低下+換気ダクト導音+右ペダル
補足:施錠はラッチの音による誤認
所感:怖さなし