第1話 幽霊ピアノ (上)
連日降り続いた雨のせいで、校舎の周囲は湿気でぬかるみ、廊下のタイルも踏むたびにきゅっと水音を立てた。
午後三時過ぎ、薄曇りの空から差す西日が、水たまりの表面にわずかな光の帯を描く。透は鞄の重さと同じくらいの気怠さを肩に引っ掛け、部室棟の階段をのぼった。
桐原透は、鞄の重さと同じくらいの気怠さを肩に引っ掛けて、部室棟の階段をのぼった。
――行かなくても死なない。けど行かないと後で面倒。
現実主義はときどき、面倒の最小化という名目で自分を動かす。
ただ、それ以上の目的は見つからない。最近は特に。
部室のドアを開けると、整頓された机、窓の近くの観葉植物、そして白石紗月がいた。
背筋がまっすぐで、身体がやけに凛として見えるのは、余計な動きが一切ないからだろう。
「来てくれたのね、桐原くん」
「“来てくれた”って、呼び出したのは部長でしょ」
「依頼したの。異変部はボランティア精神で動く部だから」
ボランティア、という言葉に透は目を細める。無償労働の香りがする。
紗月が一枚のメモを差し出した。
昨日午後四時、音楽室でピアノの音
生徒三人が同時に“きらきら星”を聞いた
音楽室は放課後施錠済み
「三人」が線で強調されている。紗月の字は、几帳面で迷いがない。
「流行の怪談でしょ。誰かが“きらきら星”を鼻歌で歌って、それがたまたま音楽室で聴こえたようにみえたってだけ」
現実主義の初手は、だいたい“そんなもん”。
けれど紗月は、唇にうっすら笑みを宿したまま首を横に振った。
「三人は別々の場所で、同じタイミングで“同じフレーズ”を聞いているの。偶然が三回重なる確率って高くない」
「確率は低いけど、ゼロじゃない」
「じゃあ仮説を三つ。①侵入者、②自動演奏、③環境要因による自然発音。どれから潰す?」
理屈好きの目が、楽しくて仕方ないと光った。透は心の中でため息をつく。
噛み合わない歯車が、いま回り始めた音がした。
「侵入者から。現実はたいてい人為的に
⸻」
その時、ドアが勢いよく開いて、青木蓮が顔を出した。
「やっほー! 幽霊が“きらきら星”弾いたってマジ? ねえ、僕も幽霊と連弾してみたい!」
「青木くん、落ち着いて。幽霊ではなく人間と合わせる練習をしましょう」
紗月が即切り返す。
続いて椎名優香がスマホを振りながら入ってくる。
「きたきた。“#幽霊ピアノ”で校内SNSバズってる。しかも“施錠済みなのに鳴った”ってのが胡散臭い──あ、良い意味でね」
「良い意味で胡散臭いって何」
透は眉を寄せた。
「じゃ、現場を見よう。そんで会議と解決も現場で終わらせる」
「よっぽどの自信家のようね 向かいましょ」
紗月の声は柔らかいのに、決定事項みたいに人を動かす。