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蒼き日のユーリ  作者: 蒼之ユリ
9/11

【第8章】パンプ・イット!


 ユーリと澄川駅で実際に会ったあの日から、一ヶ月以上の月日が流れた。

 僕はあの時の傷が()えないまま、いつもと変わらずに、薄暗い部屋に引きこもってやるせない日々を送っていた。

 時季は八月どころか九月の中盤に突入しており、僕が学校へ行かなくなったあの日から数えてみれば、いつの間にかもうすぐで約二ヶ月という時が経とうとしていた事に最近になって気が付いた。

 今は九月だ。学校も既に始まっているだろう。

 今頃文化祭の準備でもして、僕は不登校扱いにされているんだろうか。


 ちなみにqQuitの事だが、最近は全くログインもしていない。ユーリと会ったあの日以降、ユーリから一切連絡がこないのもあるが、一番の理由として僕がインターネットの世界にあまり触れたくなくなったからだ。

 それはガストロも一緒で、豚骨野郎さんや霧宮さん、サーモン大王さんの誰とも今はやり取りしていない。

 最後に話した時といえば、カノが死んでしまって連絡が取れなくなったあの時くらいだ。

 そう考えると僕は約二ヶ月もの間ガストロの人達と連絡を取っていない事になる。

「……まぁ、どうでもいいか」

 そう口から漏れていた。

 本心だった。

 誰が一体どうなろうが僕にはもう関係なかった。

 そんな事は僕にとってどうでもいい事となってしまっていた。


 ベッドから体を起こし、机の前に座る。

 空虚な空間を見つめた後、僕はまた頭を抱え、いつものように憂鬱に身を預ける。

 ユーリ、ユーリ、ユーリ。

 頭の中にはそれしかなかった。あれから一ヶ月以上の月日が流れているというのに、僕は永遠にも感じられるほど、毎日あの時の事が頭の中でフラッシュバックしていた。

 べつに異性として好意を抱いていた訳ではない。しかし、ここまで苦しんでようやく自分はユーリという存在に自分でも気付かないほどに深く依存していたのだと気付く。

 だからこそ、あの時の事は僕にとってあまりにもショッキングな出来事だった。あの光景を思い出す度に深い失望と裏切られたという気持ちが呼び起こされて、僕をさらに憂鬱にさせる。


 机に突っ伏すと、ユーリとの記憶が浮かんできた。

 終わってしまった。何もかも全てが。

 これまでに色々な事があったが、ユーリがいれば許せるような気がしていた。

 どれだけ受け入れる事が困難な現実も苦痛も、ユーリといれるならと飲み込めるような気がしていた。

 それなのに。そのはずだったのに。

 僕はユーリと会ったあの日からずっと、深い失望に囚われていた。

 胸の奥で薄暗い感情が這いずり回っているのを感じる。

 僕は未だに裏切られた気持ちでいっぱいだった。

 陰鬱な現実。やるせない思い。苦しみで暴れだしそうになるのを必死に抑えながら僕は毎日を生きていた。


 やはり僕はユーリに対して、何かしらの望みを見出して勝手に期待していたのだろうか。

 ……期待? 一体何を?

 いや、分かっている。言葉にはしなかったものの、僕はどこかで期待していたのだ。

 顔の見えないインターネットの女の子、しかも同い年という事もあって、画面越しのやり取りでは散々な事を言われたがその素顔は整った容貌の女の子なのではないかと。あの日、待ち合わせ場所には可愛らしい服を着た容姿端麗な女の子がやってきて、そこから新たな関係が始まっていくのではないかと。

 そう、これは醜い男の醜い妄想。自分勝手な男によるただの一方的な押し付け。

 勝手に一人で期待して勝手に裏切られた気になっている僕が悪いのだ。自分勝手に自分の理想をユーリに結びつけて、一人で失望している僕の方が間違いなのだ。

 自分で自分の醜さ、そして浅はかさに呆れて嫌気が差す。

 僕は一体、どこまで醜くなれば気が済むのか。


 天井を見つめてユーリとの事を思い返す。

「は……はは、は……」

 あまりの情けなさに自分で笑えてきてしまった。

 インターネットで知り合った女性に勝手に期待して言う事聞いたりお金払ったり、その人の為に援助交際もして隣のクラスの女子を隠し撮りまでしたのに、その結果がこれ? 色々な人間に嫌われて後ろ指差されて必死に救いを求めて関わってきた結果がこれ?

 一回りも二回りも上の男と援助交際したうえに、学校で犯罪者扱いされて学校にも行けなくなった結果がこれ?

「ははは……はは……」

 乾いた笑いを浮かべながらベッドに横になる。

 もう、笑うしかなかった。

 ある意味、僕は自暴自棄になっているのかもしれない。

 こんな状況一体どうしたらいいと言うのか。

 自分もついてきたとはいえ、散々振り回されてここまでついてきて、その結果がこれなんて笑い話にもならない。

 本当に、一人になってしまった。

 これからどうするか、そんな事は考えたくなかった。

 現実から逃げるように、僕は枕に顔を(うず)める。そしてそのまま目を閉じて、意識を手放す事にした。


 ***


 薄暗い部屋、僕はいつものようにベッドに横になっていた。

 何もしていないと、嫌でも頭に石田達の笑い声やクラスメイトの非難の声が響いてくる。


 *


『ギャハハハハハ!』

『飯田マジキモくね!?』

『泣いちゃうからやめろ』

『きっしょ』

『気持ち悪』

『やばすぎだわ……』

『学校来んなよ』


 *


 僕が必死に拒んでも、頭の中で石田達やクラスメイトの声が響き渡る。心臓の動悸が激しくなって、呼吸が苦しくなる。僕は堪らず胸に手を押し当てる。

 頭の中で心臓の鼓動音と石田達の声が次第に大きくなっていく。


 すると下校時間だろうか、窓からは微かに子供達が楽しそうにはしゃぎながら家に帰る声が聞こえてきた。

 僕はそれを聞いて、陰鬱な現実に囚われている自分と楽しそうな子供達を比較してさらに憂鬱な気分になる。


 家に引きこもり始めた時、いやユーリと話し始めるもっと前から死を考える事は何度もあった。

 しかし、どうしても死にきれなかった。

 子供達の声を聞いていると、自分の中にある感情がぐちゃぐちゃに混ざり合うようで死を考えている時の事を思い出す。

 子供達のはしゃぐ声が遠くなっていく。

 しかし、心臓の鼓動も石田達の声も未だに収まる気配はない。

 こんな時だというのに、ユーリの事が頭をよぎるのは一体何故だろうか。

 僕は胸を押さえながら、陰鬱な現実から逃げる為に強く目を閉じた。


 ***


 パソコンを開いて、qQuitをクリックする。

 qQuitへログインするのは久しぶりの事だった。

 ユーリとのチャット欄を確認してみるが、連絡はきていない。

 一瞬、こっちから連絡しようか考えたがやはりそれはしない方がいいだろうと思ってキーボードに伸ばしかけた手を戻した。

 ユーリとのこれまでのやり取りが目に入る。

 それまでのユーリに振り回された思い出が記憶に甦り、それもまた僕をさらに憂鬱な気分にさせる。

(連絡は……こないか……)


 パソコンの電源を落とし、自分のベッドに横になったその時だった。

「……皐月? 起きてる?」

 母さんがドアの向こうから声を掛けてきたのだ。

 僕はその呼び掛けに答える事なく、無言でドアを見つめている。

 母さんは返事をしない僕を気にする様子も見せず、話し始めた。

「えっと、起きてるか分かんないけど……話すね」

「皐月、最近学校行ってないじゃない? どうしたのかなーって思って」

「学校の先生からも連絡きたけど、なんていうか……」

「……皐月、大丈夫?」

「最近お母さん、皐月に無理させてないかなーってずっと思ってて」

 僕は言葉を発する事なく、ただ無言でドアの先にいるお母さんを見つめていた。

「なんていうか……学校があんまり楽しくなかったのなら無理して行かなくていいから」

「皐月、最近出かけたりする事あったでしょ? 何があったのか分かんないけど、皐月何だか暗い顔してる時多かったから」

「何があったのか、無理に話してくれなくても大丈夫だよ。皐月が話したいならその時はその時でお母さんが聞くから」

「何が言いたいのかっていうとね……とにかく、お母さんは皐月の味方だから大丈夫だよって言いたくて」

 僕はどうしてか、心臓の鼓動が早くなっていた。

 心臓が苦しくなるくらい鼓動が早くなって、緊張状態になっているのを僕は胸を押さえながら自覚していた。

「お母さん、無理に皐月から聞き出すって事はしないから」

「ご飯、置いておくね」

 それじゃあ、と母さんは部屋の前から離れていった。

 ベッドに横になりながら、僕は必死に心臓の動悸を押さえていた。

 しかし早く脈打つ心臓よりも、僕は心が痛かった。

 僕は早く脈打つこの心臓の動悸よりも、この心の痛みが一刻も早く消えてほしかった。

 僕は胸が苦しくて苦しくて堪らなかった。

 気付けば、目から涙が溢れ出していた。

「お母さん……ごめん……」

「ごめん……」

 自然と口から言葉がこぼれでていた。

 僕は自分が情けなくて仕方なかった。

 僕の脳裏には、榛野さんの写真を隠れて撮影したあの記憶が甦っていた。

 こんなに母さんは僕の事を思ってくれているのに、僕はあんな下らない事で学校生活を棒に振って、お母さんの気持ちを裏切り、今こうして心配を掛けているのが本当に申し訳ないという気持ちしかなかった。

 僕は胸に手を押し当て、必死に声を抑えながら泣いた。

 この声がせめて母さんに聞こえないようにと、僕は必死に声を押し殺して泣いた。


 ***


 パソコンを開いて、qQuitにログインする。

 僕は取り憑かれたようにユーリとのやり取りを見返していた。

 この前、声を殺して泣いたからか未だに頭が重いような気がする。

 学校の事、いじめの事、自分の罪の事。

 目を覚ましているだけで色々な記憶や思考が頭の中で交錯する。

 そんな雑念を振り払うかのように僕はパソコンの画面を見つめる。

 やり取りをさかのぼっていくと、ユーリとまだ知り合って間もない頃の会話が流れてきた。

『yuuri123456:お疲れ様! この後一緒にクエスト行かない?』

『satuki329:分かった! すぐ合流する!』

「……懐かしいな」

 ユーリはこの時何を考えていたんだろう。

 今思うと、この時はまだ純粋な関係だった。

 ただお互い楽しいから一緒にログインする。

 それだけの関係だった。

 この時の事を思うと、どうしても榛野さんの写真を撮影したあの記憶が浮かんできて、どうしてあんな事をしてしまったのかという陰鬱な後悔に変わっていってしまう。

 学校の事を思い出すと頭に石田達の声が響いてくる。もう何日もこの状態を繰り返している。

 僕はもううんざりだった。

 沈んだ気持ちのまま、僕はいつものように机に突っ伏した。

 このまま学校に行ってもクラスでの扱いは目に見えている。

 後ろ指を差されながら変態や犯罪者として扱いを受け、石田達のいじめはさらに悪化し、味方など一人もいない学校生活を送る事になる。

 その様子を想像するだけでゾッとする。

 僕は確実に追い詰められていた。

「……どうしようかな、本当に」

 そう口にしたその時だった。

 目の前のパソコンからqQuitの通知音が鳴ったのだ。

 僕は信じられないといった様子で、ゆっくりと視線を画面へと移す。

 僕はタイミングが良いのか悪いのか。奇しくも僕とユーリは気が合うようで。それともこれは本当に運命なんじゃないかと思う。

 メッセージの差出人はもちろん、ユーリだった。

 震える手つきで僕は最新のメッセージをさかのぼっていく。

 画面のメッセージにはこう書かれていた。

『yuuri123456:大丈夫だよ』

『yuuri123456:きっと、二人なら』

 その言葉はまさしく僕にとっての呪いだった。

 しかしそれ以上に、僕はその文を見た時に安心してしまった。

 そして安心すると同時に、僕はどうしようもないほどユーリという存在に依存していたんだという事を実感する。

『yuuri123456:下らないよ』

『yuuri123456:私達を取り囲んでいるものも、人も、何もかも全て』

 ユーリは、僕に語りかける。

『yuuri123456:ねぇ、壊しちゃおうよ』

『yuuri123456:私達以外のものなんて、何も必要ない』

『yuuri123456:全部価値のない、下らないもの』

 ユーリは僕に言い聞かせるように語りかけてくる。

 僕はユーリから送られてくるメッセージをじっと見つめていた。

 希望も救いもないこの世界で僕が唯一出会えたユーリという存在。

 僕は心底、ユーリという存在に縋っているのだろう。

 でも、それでいい。

 それで僕達二人が救われるのなら。

 それで僕達二人が苦しみから解放されるのなら。

 例えそれがただの依存関係だったとしても。

 例えそれがただの醜い縋り合いだったとしても。

 僕は目の前の文字に釘付けになっていた。

 ユーリが紡ぎ出す言葉が、僕を掴んで離さなかった。

『yuuri123456:大丈夫だよ』

『yuuri123456:二人、一緒なら』

 そうして僕は、『ある事』を行う決意をしたのだ。


 ***


 見慣れた校舎、校舎の脇に見えるグラウンド、すれ違う生徒達。

 知っている場所に来ているはずなのに緊張感を感じるのは、僕がこの高校に久しぶりに来たせいであろうか。


 校門に近付くと校内にちらほらと施された数々の装飾が目に入る。多彩な色で大きく『文化祭』と書かれた看板を横目に見ながら校門をくぐると、僕は目的である自分の教室に向かった。


 ***


 校内の雰囲気は賑やかで色々な人とすれ違う。

 生徒はもちろん、先生やカップル、親子連れから老人など沢山の人が僕の近くを通り過ぎていく。

 階段を(のぼ)っていくと、様々な出し物をしているクラスが目に入った。

 どのクラスも教室は派手な装飾が施されていて、客の目を引くように作られている。

 他のクラスを通り過ぎていくと、視界の先に僕のクラスを捉えた。

 複雑な感情と少しの緊張を抱え、僕は教室のドアの前に立つ。

 ドアの向こうからはクラスメイト達が各々に話している声が聞こえてくる。

 僅かな緊張を振り払うように僕は教室のドアを勢いよく開けた。

『いらっしゃいませー!』

 僕が教室に入ると、視界にはクラスメイト達が専用のクラスTシャツを着て焼きそばを焼いている姿が目に入ってきた。

 なるほど。どうやら僕のクラスは『焼きそば』が出し物らしい。

「いらっしゃいま……」

 僕だけクラスTシャツではなく、ただの制服姿なので一瞬気付かなかったのだろう。

 声を掛けてきたクラスメイトの女子が歓迎の表情から一変して疑念と嫌悪の表情に変わる。

 他のクラスメイトも僕の顔を見て今の状況に気付く。

 それまで活気に溢れていたクラスの雰囲気は、一瞬にして冷ややかな拒絶の雰囲気へと変わっていった。

「えっ! 嘘でしょ……」

「なんでアイツいるの……?」

「うわ! 飯田じゃん!」

「最悪なんだけど」

 僕の顔に気付いたクラスメイト達の、刺すような非難の言葉が耳に入ってくる。

 僕はユーリの言葉を思い出す。


 *


『yuuri123456:大丈夫だよ』

『yuuri123456:二人、一緒なら』


 *


 ――大丈夫だよ。

 二人、一緒なら。


 僕は持ってきたバッグのチャックを開け、その中からおもむろに先日インターネットで購入したバールを取り出した。

「えっ……!?」

 クラスメイトの女子が驚きの声を出した瞬間、僕はバッグを捨てありったけの力を込めて、そのバールを近くの焼きそば屋台のパイプの柱に向かって思いっきり叩きつけた。

 教室中に金属と金属がぶつかる大きな衝撃音が鳴り響く。

 僕は周りの事なんか一切気にせずに、渾身の力を込めてバールを振り回した。

 視界に入ったものから手当たり次第に僕はバールを叩きつける。

 教室の装飾は大きな音を立てて壊れ、焼きそば屋台のパイプの柱はだんだんと折れていき、近くにあった机はバールが叩きつけられた勢いで横倒しになる。

「あーーーーーーーーっ!!」

 僕は半狂乱になってバールを振り回し続けた。

『きゃあああああっ!!』

『うわあああぁぁっ!』

『やべえって!』

『誰か人呼んでこい!』

 誰かの悲鳴も、焦った声も、怯える声も僕には関係ない。

 僕はただ、これまでの毎日で溜めてきた苦しみ、悲しみ、辛さ、憂鬱、その薄暗い感情の全てを吐き出したかった。

 ふと、脳裏によぎるこれまでの記憶。

 石田達のいじめ。バイト先の店長の見下すような目。ミナミに言われた言葉。カノの死。榛野さんとの記憶。そしてユーリとの出来事。

 僕はぐちゃぐちゃの思考の中でこれまでの事を思い返していた。

 僕は自分の中に蓄積されてきた全てを発散したかった。

 僕は自分の中にある全ての憂鬱な感情をなにかに全力でぶつけたかったのだ。

「わああぁーーーーーーーーっ!!」

 僕は気が狂ったように叫びながらバールを周りに叩きつけた。

 僕は何度も焼きそば屋台のパイプの柱にバールを叩きつける。すると、繰り返される衝撃に耐えられなくなった柱はついにへし折れた。

 柱がへし折れた事によって、焼きそば屋台の看板が崩れ落ちていく。

「あーーーーーーーーーーっ!!」

 僕は何度も何度も、物体のない空虚な空間に向かってバールを振り回した。

 辺りがどんな状態になっているかさえ、僕にはどうでもよかった。

 僕は自分の激情の赴くままに、バールを振り回し続けるだけだった。

 そんな時だった。

「てめぇ何やってんだよっ!!」

 突然、石田に後ろから押さえつけられた。

 いつの間に近付いてきていたのか、あまりの狂乱状態だった為、石田の気配に気が付かなかった。

 押さえつけられた勢いのまま、僕は投げ飛ばされる。

 教室の床に倒れた衝撃でバールが手から離れていってしまう。

「お前ら何やってんだ!!」

 騒ぎを聞きつけたのか、それとも誰かに呼ばれたのか、林先生も教室内に駆けつけてきた。

 僕が視線の先に落ちているバールを拾おうとした瞬間に、石田と林先生に取り押さえられる。

『押さえつけろ押さえつけろ!』

『バール取らせんな!』

 周りのクラスメイト達にも取り押さえられ、僕は身動きが取れなくなった。

「うぅーーーーーっ!! うぅーーーーーっ!!」

 僕は全ての人間を睨んでいた。

 こうして僕は、石田や林先生達に取り押さえられたのだった。


 ***


「本当にすみませんでした!!」

 そう言って、僕の隣で母さんが頭を下げる。

 取り押さえられた僕は、あの後学校内の一室に隔離されバールも没収された。

 今日学校で起きた事を母さんが電話で聞き、今に至るという訳だ。

「ほら! 皐月も立って謝りなさい!」

 母さんに引っ張られ、無理やり立たせられる。

「……すみませんでした」

 林先生が口を開く。

「とりあえず、二人共座って下さい……」

 林先生は僕に向かって話し掛けてきた。

「何度も聞いたけど、なんであんな事したんだ?」

 林先生の質問に対し、僕は沈黙で答える。

 それを見た母さんは声を上げる。

「なんで答えないの! 皐月!」

 僕は黙って俯いている。

「……あのなぁ、飯田。こればっかりは答えてくれないと、流石に親御さんがいても家には帰せないぞ?」

「お前がやった事で、クラスの連中がどれだけ迷惑かかったか分かってるのか?」

「……すみません」

「本当に……本当にすみません……!!」

 一言だけ謝罪を呟く僕の隣で母さんは申し訳なさそうに頭を下げ続けている。

 僕が悪い事は分かりきっている。

 しかし、僕の口からユーリとの事や石田達との事を話す気にはどうしてもなれなかったのだ。

 謝り続ける母さんの隣で僕はただ黙って俯いていた。


 ***


 結局あの場は、肝心な事は言わない僕に対して林先生が根気負けし、解散という事になった。

 文化祭の一件で僕は三ヶ月の停学処分となり、母さんと一緒に家に帰されたのであった。


 僕がおかしいのは、僕が一番よく分かっている。

 いくらユーリに唆されたからとはいえ、学校内でバールを振り回しながら発狂だなんて、常軌を逸しているとしかいいようがない。

 自分の中に溜まっていたものがあるのも確か。

 憂鬱な気持ちに押し潰されそうになりながら、毎日を生きていたのも確か。

 しかし、どんな事にも限度というものがある。

 ユーリに依存して、追い詰められていたのは確かだが、あの時の僕は間違いなくどうかしていた。

 確実に普通の精神状態ではなかった。


 家に帰ってくるまでの間、僕と母さんは一言も言葉を交わす事はなかった。

 僕は母さんに対して謝罪をしようか考えたが、あまりの気まずさに口を開く事ができなかった。

 どうしようかと考えているうちに、僕達は家に帰ってきてしまっていた。

 母さんは台所に立ったまま、一言も話さない。

「……ごめん」

 その一言を絞り出すのが僕の精一杯だった。

 今回の事に対する申し訳なさと、普段から心配を掛けてしまっている事に対する不甲斐なさ、そして罪悪感からの一言だった。

 あまりの気まずさに耐えかねて、自分の部屋に戻ろうとしたその時だった。

「皐月」

 ただ一言、母さんが僕の名前を呼んだ。

 突然名前を呼ばれた事に驚き、僕は動きを止める。

「皐月は、お母さんの事……嫌い?」

 唐突な質問に、僕は言葉が詰まってしまう。

「えっ……いや、それは……」

「嫌いでしょ」

 冷たく、そして差し込むように言われたので僕はつい反論する。

「そっ……! そんな事ないよ!」

「嫌いだよ!!」

 突然、母さんが大声で否定し始めた。

「嫌いに決まってるよ!」

 そう言いながらこっちを振り向いた母さんの顔は涙で濡れていた。

「じゃあどうして避けるの!? どうして何も話してくれないの!?」

「私がどんな気持ちで皐月の事考えてたか分かる!?」

「高校に入ってから全然話さなくなっちゃったけど、お母さんは皐月の事いつもいつも心配してるんだよ!!」

 母さんは泣きながら僕に訴えかけてくる。

 僕は母さんの勢いに押され言葉に詰まってしまう。

「うっ……それは……」

「皐月部屋から全然出てこなくなっちゃったし!」

「学校の事とか私は全て分からないから皐月が大丈夫になるまで気長に待ってみようって思ってたけど……」

「皐月……声も掛けてくれないし!!」

 溜め込んでいたものが爆発したといった様子で母さんは話し続けている。

「大丈夫かな、無理させちゃってないかなってずっと心配で……」

「そしたら、今日の事を聞いて……っ!」

「なんとか皐月の事分かろうって頑張ってみてるけど……皐月の事、全然分かんないよ!!」

 母さんはさらに続けた。 

「皐月は私の事どう思ってるか知らないし分からないけど……」

「私からしたら皐月はこの世に一人だけの大事な息子なの!!」

 その言葉を聞いた瞬間、僕の中に衝撃が走った。

 母さんのその表情、涙を見て、僕は直感である事を感じ取った。

 今まで、辛いのは自分だけだと思い込んでいた。

 でも、本当はそうじゃないんだ。

 母さんも、その分しっかり辛かったんだ。

 本当に一番辛かったのは、僕の方ではなく母さんの方だったんだと僕は直感で気が付いた。

「どんなものよりも大切な家族なの!!」

 母さんの言葉は僕の心にまっすぐ入り込んできた。

 僕は母さんの言葉によって、それまでの自分がどれだけ身勝手で愚かで醜かったかを思い知った。

「だから……だから……」

 母さんはそう言いながら膝から崩れ落ちる。

「もっと自分を大切にしてよ……」

「もっと……私を頼ってよ……」

「……俺だって」

 考えるより先に、勝手に口が動いていた。

「……え?」

「俺だって……母さんの事は、大事に思ってるよ……」

「けど……本当に言えない事もあって……」

 何かを考えて喋っている訳ではなかった。

 本心から出た言葉だった。

「でも、母さんにはいつも感謝してるよ……」

「そりゃ、嫌いな時期もあったけど……」

 母さんへ本心を話すなんて慣れない事をしているからか、言葉が上手く出てこない。

 しかし、僕は必死に心からの言葉を紡いでいく。

 心からの言葉を、すくい上げていく。

「でも……本当に、感謝してるよ」

 気付けば、涙が溢れ出していた。

「俺だって……母さんの事、本当に大事に思ってるよ……」

 僕はゆっくりと、膝から崩れ落ちた母さんに歩み寄っていく。

「本当に、大事に思ってるんだよ……」

 母さんの前で座ると、僕は力強く母さんを抱き締めた。

 母さんもそれに応えるように僕を強く抱き締めた。

「ごめんなさい……!! ごめんなさい……母さん……!!」

 僕は力強く抱き締めながら母さんに謝った。

「大丈夫……! 大丈夫だよ……!! こっちこそごめんね……!!」

 母さんも涙を流しながら、僕の謝罪に応答した。

 僕は涙が止まらなかった。

 温もりを感じる事ができて嬉しい。仲直りできた事が嬉しい。これまでに迷惑や心配を掛けた事が申し訳ない。

 様々な感情が一気に押し寄せて、僕の気持ちはぐちゃぐちゃになる。

 しかし、一番の感情はやはり母さんと仲直りできて嬉しいという晴れやかな感情だった。

 僕はこの嬉しさを伝えようとさらに力強く母さんを抱き締める。

 母さんも泣きながらさらに強く抱き返してくる。

 僕は時間も気にせず、泣き喚きながら母さんと抱き合っていた。

「ああぁぁ……!! お母さんごめんなさぁぁぁい……!!」

 僕はただ純粋に母さんと心から分かち合い、そして和解できた事が嬉しかった。

 こうして、僕達は長い家族の不和から解放されたのであった。

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