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蒼き日のユーリ  作者: 蒼之ユリ
1/4

【プロローグ】 ~飯田皐月(さつき)の憂鬱~

────……世界。

僕たちの住んでいる、この世界。

この世界は、広くて、狭くて…。

少し(うるさ)いけど、美しい。


僕の住んでいる、この世界。

この世界は少し(うるさ)くて、そして───。

…醜くて、退屈だ。



キーンコーンカーンコーン…


 一日の始まりを告げるチャイムが学校中に鳴り響く。


ざわざわ…ざわざわ…


 いつもと変わらぬ喧騒、教室の生徒達は思い思いの行動をしている。

 すると突然、ガラッと教室のドアが開かれる。

「はーい全員席つけー。ホームルーム始めるぞー。」

 教室へと入ってきたその気怠そうなメガネの男は、目の前の生徒達へ向かってそう言った。

 生徒達が全員席に着いたかと思うと一人の女子生徒が号令をかけた。

『起立。気をつけ、礼。』

 生徒達は号令に従い立ち上がると、次々と挨拶を口にする。

『お願いしまーす。』

「お願いしまーす……。」

 またか…。

 そう思い僕は周りと同じように挨拶をすると、やや小さくため息をつきながら席に座った。

 また…。

「………。」

 また…今日も一日が…始まるのか…。

 飯田皐月(さつき)、十七歳。今年で高校二年生になった。そんな華の高校二年生を迎えた僕なのだが、いつもとやる事は変わらない。

「えー今日はこの前やった、現代文と化学のテストを返していくぞー…」

 今僕たちの目の前で話しているこの人。この人は林先生。僕たちのクラス、2-Cの担任である。メガネを掛けていて、その佇まいと振る舞いからは何となく気怠そうな印象を受ける。

「…………。」

 いつものように頬杖をつきながらホームルームを聞き流す。変わらない日常。変わらない毎日。いや、『代わり映え』しない毎日とでも言った方が正しいか。

「それとこの前出した提出物、明後日までだから出しておくようにー。」

「…………。」

 僕──飯田皐月は憂鬱であった。

 ふと、僕は目を閉じて窓から聞こえてくる自然の音に耳を澄ました。


サアアァァ………


 窓からは微かに遠くで流れる波の音と、鳥のさえずりが聞こえてくる。

「…………。」

 この瞬間。僕にとっての(いこ)いの時間だ。学校においての全ての現実を忘れられる、この瞬間。そう、この瞬間だけは───。

 僕は再び目を開けると、教室内の世界へと意識を戻した。

「…とりあえずこんな感じかな。朝のホームルームは終了っ!」

『起立。気をつけ、礼。』

『ありがとうございましたー。』

 朝のホームルームが終わると、各々好きなように動き出す。そして僕は何をするかというと……何もしない。

 次の教科の教材を机へと並べると僕は『いつもと同じ』ように机へ突っ伏した。

「…………。」

 もはや言葉を発することも無く机へ突っ伏す僕。

 今日は火曜日だ。火曜日の一時限目は現代文で、いつもこの教室から始まる。火曜日は最初の授業から他の教室などへと動かなくていいからまだ楽な方だ。

「……………。」

 こんな喋りもしない僕を見てたってどうせ暇だろうから、学校の紹介でもしよう。


 〇〇県澄川市、澄川高等学校。

 それが僕の通っている高校の名前だ。

 山、林、海。様々な自然に囲まれたこの豊かさ溢れる高校に僕は通っている。特に一番の特徴はこの高校から十分ほど歩いた先にある海で、それは他のものには代え難い絶景が広がっている。

 元はと言うと、この高校もその海の近くに建てたことによって『澄川高校』と名付けたらしいが、どっちかっていうと川ってより海だろ。

 少し話は()れたが、それを理由にうちの高校の生徒は学校の帰り際にその海に寄ったり、他の学校の生徒が寄ったり、親子連れは勿論、カップル等もデートスポットとして利用しているのが頻繁に見られる。まぁ最後の文章に関しては個人的な感想を言うと『くたばれ』って感じだが。

 とにかく僕は、そんな感じでこの高校に通っている。

 すると、同じクラスの女子の会話が耳に入ってきた。

『次現代文だねー。』

『そうだね〜。課題やった〜?』

「……………。」

 会話を聞いているだけで気分が落ち込んでいく。

 どんな状況であれ、良くも悪くも人は慣れる生き物だと言うが、僕もこの状況に、この毎日に、慣れてしまったのかもしれない。それがどんなに苦痛であったとしても、毎日同じ日々を重ねていれば大抵は慣れてしまうのかもしれない。まぁ、僕の場合はもしかしたら『壊れて』しまったの方が正解かもしれないが。



『えーこの問題はですね、作者の意図をどれだけ本文から読み取れているかが重要になってきます…。』


コツ、コツ…


 コツコツ、と現代文の先生が生徒達に渡されたプリントの問題についての解説を黒板に書いていく。

「……………。」

 僕は黒板に写された問題の解説をノートに余すこと無く書き出していく。

 するとふと、後頭部に謎の違和感を感じた。

「…………!」

 あぁ、また始まった。

 それと同時に後ろの席から微かではあるが、笑い声のようなものが聞こえてきた。

 僕はもう、この違和感の正体に気付いていた。

「おい、やめろよ……(笑)」

「それデカすぎじゃね?!やばいって(笑笑)」

「泣いちゃうから、それ(笑)」

 半笑いの、本当はやめるつもりも気遣うつもりも一切無い三人の会話が聞こえてくる。


ポト…ポト……


 頭に感じる違和感、それは消しカスであった。

 後ろの席の三人が僕〝だけ〟を狙って消しカスを投げてきているのであった。


ポト…ポト………


「やべぇ!でかいの当たっちゃった(笑笑)」

「おいやりすぎだって!(笑)マジで泣いちゃうから(笑笑)」

「…………。」

 今となっては、もはや何も感じない。

 本来であれば『異常』であるはずの光景を、誰も目にとめず、誰も気にせず、誰も我関せずと言った表情で見過ごしていく。消しカスが見えているはずの後ろの席の人間でさえ知らないふりをしている。

 これがいつもの日常なのだ。もはや何も感じない。 何をされようが、何を言われようが、僕はこの状況に慣れてしまったのだから。

 僕は自分に消しカスを投げてきているその生徒────石田、新井、上戸の三人の行為をひたすら無視していた。

 こうなってしまったのには(わけ)がある。(わけ)というか、『強いて言うならば』という感じだけど…。



キーンコーンカーンコーン…


「…という事で、本日から皆さんの担任をさせていただく林というものです。皆さん、どうぞよろしくお願いします。」

 拍手とともに終わるこのクラス初めてのホームルーム。

 林、と名乗ったその先生の自己紹介が終わるとクラスは自由時間へ、各々のやりたい事を好きなようにやる時間がやってきた。

『俺は〇〇、よろしくな〜。』

『〇〇です。よろしくお願いします~~。』

 周りの声が執拗に耳に入ってくる。僕は焦っていた。仲良くなる者。元々親しかった者。たまたま気があった者。一人を拒もうとする者。様々な人間がこのクラスという小さな社会で自らのアイデンティティ、地位を確立させようと奮起していた。

 すると突然、クラスの後方からとある笑い声が聞こえてきた。

『ギャハハハハハ!!!』

 一瞬だが、クラスが静まり返る。それはなんと言うか、悪魔の笑い声であった。下品で、攻撃的で、周りのものを不快にさせるような、なんと形容すればいいのか、『毒』を含んだ笑い方であった。

「そしたら〇〇が〇〇でよ~~。」

「じゃあアレじゃね!?〇〇が~~…」

 そのやり取りを聞いた瞬間、僕は直感で本質的に合わないだろうなと察した。振る舞い、喋り方、その一挙手一投足。間違いない。いわゆる『カースト上位』と言われる存在だ。

 当時僕は怖くて、聞こえていた会話の内容も曖昧であったが、会話の節々からその三人は元々知り合いであり、中学や小学校からの同級生でここまで来たのだろうということが推測できる内容であった。

 関わらないようにしよう…。

 そう思うのは当然、この学校という小さな社会で自らの身を守ろうとする手段として至極当たり前のことであった。もしもここで何らかしらのミスをしてあの三人に目をつけられるようなことがあればそれこそ本当の終わりだ。ここから始まる高校生活の全てはここで終わってしまうと言っても過言では無い。

 ただ人の会話を聞いただけなのに僕は手の中にじっとりと湧いてくる汗と、緊張感を感じていた。


 すると突然、とある男子数名のグループがこちらへ向かって歩いてきた。

「……?」

「あの、こんにちは…」

「あ、こんにちは…。」

 その立ち振る舞い、雰囲気、様子。僕は直感的に、目の前のグループは明らかに後方のグループとは違う、いわゆる『カースト下位』側の人間であることを察していた。

「染井中学校から来ました、青木です…。」

 僕に声を掛けてきたその男子生徒は青木と名乗った。

「…え?あ、あぁ…澄川中学校から来ました、飯田皐月です…。」

 突然の事に一体なんの事かと反応が遅れたが、すぐに挨拶を返す。

 こちらが挨拶を返すと後ろの二人も自らの名前を名乗り出した。

「久保です…。」

「あっ、佐藤です……。」

 間違いない。圧倒的『陰キャグループ』である事をその彼らの立ち振る舞いが表していた。

 あの時の事を思い出すと、自分で自分に虫酸が走る。何度思い返した事だろう。あの時をやり直せればと。

「飯田さんは澄川に住んでるんですか…?」

「あっ、はい。澄川って言っても結構遠くて。青木さんは染井の方に住んでるんですか?」

 そう青木の問いに返事をする。会話が滞らないように言葉を紡いでいく。

「はい、そうです…。ここまで電車で通ってて。」

「へぇ~~。…久保さんと、佐藤さんは?」

「あっ…僕も同じです。染井中学校から来ました。」

「僕は違うんですけど…出身は染井です。」

「なるほど〜。じゃあ皆、同じ出身なんですね!」

「そうですね…。飯田さんはどのようにして来られてるんですか?」

「僕はここまで二十分ぐらいかけて歩いて来てます。全く、どんだけ歩かせるんだよって感じですよね!」


 今思えば、あそこでやめておけば良かったのかもしれない。彼らがカースト下位である事を勝手に決め付けて、本来そういう性格ではないのに無意識的に上に立とうと、相手より優位に立とうと調子に乗ってしまうから、あんな事になってしまうのだ。そこで優位に立ったところで、なんの意味も無いというのに。

「大体、こんな距離なら送迎のバスかなんかでも出せばいいんですよ!俺らをどんだけ歩かせたら気が済むんだよって話ですよね!!」

 火がついたかのように勢いづいて、机をバンッと叩き突然立ち上がる。

「ホント、何なんだよって感じですよね!!!」

「…………。」

「───…?」

 声を掛けてきた青木が少し引いていることに気付いたのはその時だった。そして一瞬の沈黙が流れたかと思うと────。

『ッギャハハハハハハハ!!!!!!』

 突然、後方から大きな笑い声が聞こえてきた。そう、あの『毒』を含んだ笑い声だ。

「…………。」

 つい気になって、ゆっくりと後ろを振り返る。

「────…っ。」

 すると、あの下品な笑い方をしていた三人の真ん中の男とちょうど目が合ってしまった。

「…………。」

 その男───石田は、僕と目が合うとただ一言だけこう漏らした。

「………きしょ」



 これが僕の壊れた高校生活の始まりであった。

 それ以降、僕は授業中、授業外問わず石田や彼らの視界に入れば悪口を言われたり授業中に消しカスを投げつけられるようになった。

 ちなみに青木君達とのグループとはどうしているかと言うと、あの初めの一件以降一度も会話をしていない。

 それどころかどのグループ、同じクラスメイトの人間とも授業以外で会話をしていない。それも当然の事である。僕と関われば、同じように目をつけられ同じようにいじめられる可能性がある。だからこれは仕方の無い事なのだ。

 初めの原因は自分にあるし、石田達から『そういう事』をされても仕方のない人間だと自分でそう思っている。

 だから僕がこうして悪口を言われたり消しカスを授業中にぶつけられても当然無視されたり見て見ぬふりをされても仕方の無いことだと思っている。


ポト…ポト……


「…………。」


 頭に当たる消しカスの感触を感じながら過去の事を振り返る。

 自分では仕方ないと思っている反面、後悔の気持ちがあるのも確かだ。

 何度あの時をやり直せればいいかと思ったか。何度あの時あんなことをしなければ…。調子に乗らずに自分の身の丈にあった行動をしていればよかったと思ったか。

 しかしもう、今更そんな事を言ってももはやどうしようも無い。『消しカス』のことが始まってからもうすぐで一年経つが、僕はもう何も感じなくなっていた。自分が悪い、ほっといてれば終わる。もはやどうでもいいとさえ思っていた。

 どうでも、いいと────。

「…………。」


────……世界。

僕たちの住んでいる、この世界。

この世界は、広くて、狭くて。

少し(うるさ)いけど、美しい。


そして僕の住んでいるこの世界。

この世界は、少し(うるさ)くて、そして…。

…醜くて、退屈だ。

なんて平凡で、単調なくだらない世界なんだ。

人生を変えるようなサプライズも、あまりに突飛なトラブルもこの世界には存在しない。


この世は───…。

───…この世は、腐っている。

間違ったことが間違ったまままかり通り、下らない人間達が幸せに生きて真っ当な人間が損をする。低俗な人間が力を得て子供が戦争で簡単に亡くなったりする。

「…………。」

 書き出していた手を止め、僕はノートに書かれた文字を睨んでいた。


 僕は…。

 …飯田皐月は、憂鬱だった。



ガチャ……


「ただいまー…。」

 僕が学校から帰宅すると、通りがかった台所で母さんが出迎えてきた。

「…あ!おかえり~~!今日は学校どうだった?」

「…別に。普通だよ」

 僕はそう素っ気なく返事をする。

「ごはん作ったけど、食べる?今食べるなら───…」

 …やめてくれ。関わりたくないんだ。

「今日バイトだから帰ってきてから食べる」

 僕はそれだけ言い残すと台所を後にした。

「あっ───…」

「…………。」



 母さんとの会話を終えると僕は自分の部屋に戻ってきた。

「…………っ!」

 母さんと話したせいで脳裏に幼い頃の記憶がフラッシュバックした。



『…なんでこんな事も簡単に出来ないのっ!?』

『…………っ。』

振り上げられた手が僕を目がけて振り下ろされる。



「………っ。」

 少し嫌なことを思い出してしまった。

 すっきりしない気持ちを振り払うかのように僕はバイトの準備をし、部屋を後にした。



「飯田くーん!次七番テーブルおねがーい!!」

「わかりました!」

 とある街の居酒屋。僕はここで働いている。ちなみにどうしてここで働いているのかというと、初めは軽い気持ちで入った居酒屋であったが人が少ない為、辞めようにも辞められなかったのだ。勿論、お金を稼ぎたかったからという理由もある。

「失礼しまーす。ご注文お伺いします。」

 そう言いながら七番テーブルの前へ立つ。七番のテーブルには男性四人が座っており、酒やつまみ、大皿の料理などが並んでいた。

「あーーすいませーん。ハイボール十杯いただけますかァ~~??」

「じゅ、十杯……?」

「ちょっとぉー!店員さん困ってるじゃーん、ダメだよ無茶ぶりなんてしたらぁ」

 そう笑いながら他の客が酔っ払っている客に対してツッコミを入れる。するとそのテーブルにいた他の客もそのやり取りを見て大いに笑っていた。

「いやいや、ダメなんだよぉ!こういう時はキリッとはい、十杯ですねって返せなきゃあ!」

「あはは…」

 突然言われたので一瞬固まってしまったが、なんとか笑って誤魔化す。居酒屋で働いているとこういう客は日常茶飯事なのだ。

「すみませんねぇ。この人、酔ってるんです」

「あぁ、いえいえ。大丈夫ですので…」

「まぁ、そういう私も、酔ってるんですけどね!」

 ガハハと男達が釣られて笑う。

「アハ、アハハハハ……。」

 男達の空気に合わせるようなんとか笑って誤魔化す。でなければ逆に客の機嫌を損ねて理不尽なクレームをつけられたり揉め事になりかねない。

「あっ、注文しなきゃぁ。」

「…はい、ご注文の方をお伺いします。」

「えーチューハイが二つ、梅酒サワーが一つ…。」

「はい…はい…。」

 客の注文に合わせて、書き漏らしが無いように伝票に頼まれたメニューを書いていく。

「イカ焼きと冷奴が二つずつで!」

「かしこまりました!確認します。チューハイが二つ、梅酒サワーが一つ、イカ焼きが二つ、冷奴が二つでよろしいでしょうか」

「うん、それでおっけぇ。」

 酔っているからか、その男の口調はやや呂律が回っていないように感じる。

「かしこまりました!ただいまお持ちします。」

 そう言って頭を下げ再び厨房へと向かう。その際に、そのやり取りをしばらく見ていた初めに酔っ払っていた男と他の仲間との会話が耳に入ってきた。

「…アイツダメだよ!全然だめ」

「どうして?」

「面白くねぇもん!ぜんっぜん上手く返せねぇ!」

「笑いってのを何にも分かってねぇ!!アイツはダメだな!」

 聞こえてきた会話につい鼻で笑ってしまう。

 こっちから願い下げだよ、バーカ。

 そう思い厨房へ戻ると店長が僕に向かってこう言った。

「…あのさぁ、いつまで無駄話してんの?注文来てるのわかってるよね?早く仕事してくれない?」

「…すみません!今やります!」

「今やるとかそういうんじゃなくてさ…はぁ。もういいよ、早く仕事して」

 そう投げやりに言葉を投げかけると店長は再び自分の仕事に戻った。

「…はい、すみません」


 そう、僕は店長と仲が悪いのだ。仲が悪い、というより一方的に嫌われているといった方が正しいが、なぜ嫌われているのかは分からない。

 僕は新しくメニューの追加された伝票を店長の方へ置き、ジョッキの入っている冷蔵ショーケースからグラスを三つ取り出した。



「ありがとうございましたー!」

 会計を終えた客が帰って行く。僕は客がいなくなった後の席の片付けをし皿をまとめると、汚くなったテーブルを水気を含んだ布巾で拭いていた。

『すいませーん!』

 そう向こうから聞こえてきた。この声は七番テーブルだ。七番テーブルはさっき会計の連絡を受けたからその支払いの事だろう。

「はーい!ただいまお伺いしまーす!」

 そう言うとまとめた皿を厨房へ持っていき、七番テーブルへと向かう。

「お伺いしまーす。」

「あ、これ。これで払っといて。」

 そう言うと男は財布から万札を出し金額の書かれた伝票とともにこちらへ渡してきた。

「ちょっと待ってよぉ〜〜。兄ちゃん、これ。俺の方で払っといて。こっち!」

 先程の酔っ払っていた男も財布から万札を出しこちらへ渡してきた。

 チッ、と僕は心の中で舌打ちをする。こういう事は店員を呼ぶ前に事前に決めておいてほしいものだ。

「いやいいんだよ〜。俺に払わせてよ、こっち。こっち。」

「いやいいんだって~~。俺が払うからさ!こっち。こっち。」

「えっ、いや、あの…。」

 どちらからお代を貰えばいいか悩んでいると酔っ払っていた男が突然大声で怒鳴り始めた。

「だからこっちで払うから渡すっつってんだろうよ!!!使えねーなぁ!!」

「あっ!す、すみませんっ!お代、頂戴致します…!」

 そう言いながら頭を下げ、お金を貰うと僕は再び厨房へ戻った。

「七番テーブルさん、お会計お願いします…。」

「…………はーい。」

 金額を確認しお釣りを渡される際に店長と不意に目が合った。

「………。」

「────…フッ。」

 ふ、と鼻で笑うと店長は自分の仕事へ戻って行った。おそらく七番テーブルでの大声が聞こえていたのだろう、僕が怒られた事が嬉しくて心の中でほくそ笑んでいるのだ。

「…………。」

 お釣りを渡そうと七番テーブルへ向かおうとしていたら、ちょうど帰ろうとしている七番テーブルの客とすれ違った。

「あっ、すみません。こちら、お釣りになります。」

「あぁ〜、向こうのあの人に渡してあげて」

 そう呂律の回っていなかった客は指を指すと、そちらの方向から先程の大声を上げた客がやってきた。

「あっ、すみません。こちらお釣りになります。」

「あぁ~~、どうもどうも。」

「さっきは済まなかったねぇ大声出して」

「いえ、こちらこそ申し訳御座いませんでした。」

 僕は謝りながら客の手元へ釣り銭を渡す。

「じゃあ、お釣りもらったから!それじゃ」

「あっ…。ありがとうございました!」

 そう言い、客の方へ頭を下げる。

 七番テーブルの客が店を出て行くと、店長が再び声をかけてきた。

「…飯田くんさぁ、さっさと七番テーブル掃除してくんないかなぁ〜。まだやること残ってるんだからぁ〜。」

「…わかりました。」

 頼むよ、と最後に見えた店長の顔は『まるでいい事があった』かのようにほくそ笑んでいた。

「…………。」


この世は───…

───…この世は、腐っている。



 僕がバイトから帰宅すると、台所には皿に盛り付けられたカレーとスプーン、コップ、そしてお母さんが残したであろうメモ書きが置いてあった。

『カレー作ったから食べてね。お皿は水に漬けておいて。』

「…………。」

 僕はメモ書きをサラッとゴミ箱へ捨てコップに水を入れると、カレーとスプーン、そして水の入ったコップを自分の部屋へ持っていった。



 夕食を食べ終え、歯を磨くと僕は自室のベッドに仰向けになり、しばらく天井を見つめていた。

「…………。」

 目を閉じて横になると僕は無意識の世界へと落ちていくのだった。



「そういう事で来週までに数学の課題出しておくことー。いいなー?」

「…おーい、石田。聞いてたか〜?」

「………はーい。」

「じゃあそういう事で今日のホームルームは解散!」

 すると、背後から声が聞こえてきた。

「…おい、見ろよ。アレ(笑)」

 おそらく新井の言う『アレ』とは僕のことを指しているのだろう。

「……きっしょ(笑笑)」

 …ほらな。

「…………。」



「飯田くーん。もっと早く仕事してくんないかなぁ。やる気が感じられないんだけど。」

「…すみませんでした。」

 そう頭を下げると、遠くの席からこちらを呼ぶ声が聞こえる。

『すみませーん!』

「…っはーい!ただいまお伺いしまーす!」



ポト……ポト……


「おいそれデカすぎじゃね!?流石にやばいっしょ(笑笑)」

「大丈夫大丈夫、いじめじゃないから(笑笑)」


ポト…ポト……


「…………。」



「なんで先にそっちを持ってっちゃうかなぁ!あのさぁ、そういうのでこっちに迷惑がかかるって分からない?飯田君はそもそもやる気を感じられないって言うか…」

「すみません、すみません……。」



 バイトの帰宅途中。僕は疲弊しながら自転車を押していた。

「…………………。」

 …やはり、この世界は腐っている。

 僕は、解放されたいんだ。自分を縛り付ける何もかもから。

 解放されて、もう楽になりたいんだ。

学校からも、家からも、バイトからも、人間からも。

 …いや、違う。僕は解放されたいんじゃない。

 きっと……死にたいんだ。

 もう死んでいなくなりたいんだ。消えて何もかも無くなって、忘れ去られてしまえばいいと思ってるんだ。

 それがきっと、本当の解放なんだ。


僕は───…

僕は────……。

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