7 午後からは、授業を二コマ受けられます
姉妹が父母の元に戻ると、一家は修練所から少し離れた休憩所にあるテラス席で、お昼ご飯を食べました。宿泊所の台所を借りて、料理人である母が作ったお弁当は、いつも通りにとても美味しいものでした。
食事をしながら、姉妹が午前の授業を楽しそうに語るのを聞いて、父母は来てよかったという思いを強くしていました。
おなかいっぱいになった後は、少しお昼寝です。
今日は天気もぽかぽか気持ちよく、芝生の上に敷布を敷いて休むにはもってこいでした。
子供の回復は早いもので、目が覚めると少しあった午前の疲れなど、どこへやら。
姉妹は再び元気いっぱいで、修練所への参加に意欲を示したのでした。
教室の場所はわかっていますが、参加のためには先に申し込みが必要です。
姉妹は午前の分しか参加申込をしていなかったので、再度カウンターに立ち寄ります。
そこには朝と同じお兄さんが立っていて、向こうも姉妹を覚えてくれていたらしく、笑顔で対応してくれました。
「午前の授業はどうだった?」
「とってもたのしかったです!」
「教官の教え方が、とってもわかりやすかったです!」
姉妹が答えます。
「そうか、よかったね。教官をつとめたのはヒッチだったかな? 彼も君たちにそう言ってもらえて、喜んでいるだろうな」
その語り口から、どうやらお兄さんはヒッチ教官と同じか、上の地位にあるようです。
「お兄さんも、教官になったりするんですか?」
姉が尋ねました。
「ああ。今日は受付だけど、役は持ち回りだからね。といっても、もちろん苦手なところには教えに入らないから、そこは安心して」
有爵者にありがちな厳しさがなく、優しげな雰囲気を醸し出しているこの青年が、教官になってくれたらいいなと思っていた姉は、この返答を喜びました。
「つぎは、土の魔術がいい」
最初に姉の得意な魔術を教わったので、今度は妹の希望をきくことにしました。
母と姉が得意なのは火の魔術ですが、土は庭師の父が得意としている魔術なのです。妹が土を希望したのは、そのためでしょう。
「今からだと、まだあと一コマ参加できるけど、どうする? もちろん、最初の土の授業が終わってから決めてもいいよ」
姉妹は父母の顔を見上げます。もう一泊するのか、それとも今日帰る必要があるのか、まだ予定を聞いていなかったからです。
「いいわよ、二つとっても。今のところ、明後日の午後に帰る予定だから」
そうすると、明日も入れて、その気になれば五つの授業、全部を受けることができそうです。姉妹は顔を見合わせて喜びました。
父母も、せっかく魔王城にまで遠出してきたのだから、すぐに帰ろうとは思っていないようです。
彼らは娘たちが授業を受けている午前中、もう一度魔王城の頂上に登って、綺麗な庭を見学してきました。
とはいえとても広かったので、すべてを見ることはできていません。午後からまた、その続きを見に行ってもよいと思っていました。
それに、魔王城の台所にいる知人にもまだ会えていませんでした。
「えっと、さっき一緒に教室に参加したマーミルって子から、『その他』の授業はその子のお兄さんが教えるって聞いたんですけど」
姉が質問します。
「ああ……うん、そうだね……。でも、あまりおすすめしないかな……。たぶん、参加者は子供ばかりじゃないし、閣下はちょっと教え方が……」
受付のお兄さんはゴニョゴニョと言葉を濁しつつ、手元の帳面に視線を落とします。
「あ、ごめん。参加者には上限数があるんだけど、もう今の段階で埋まってるみたいだよ!」
名簿を見ながら、なぜかお兄さんは嬉しそうにそう告げました。
「そっか、残念……」
マーミルにはおすすめされませんでしたが、彼女のお兄さんが教官というので、やはり興味がでていたのでした。
「あの、そのことなんですけど……」
突然、一家の後ろから、声がかかります。
遠慮がちに手を挙げているのは、デーモン族の成人男性でした。
「俺と友人で、今日一日、その他の授業、全部申し込んでいたんですけど……取り消させてください」
なにがあったのか、男性は疲労困憊の表情です。
よく見ると、むき出しの腕には大きな湿布がはってあります。
修練所で怪我をした場合、待機している医療班が治してくれるのですが、治療が終わった後に、その効果を促進するため、湿布などを貼ることがあるのでした。
つまり、彼は午前の『その他』の教室で、なんらかの怪我をしたのでしょう。
男性は受付に自分と友人の名前を告げると、一家に向かってこう言いました。
「よければ俺たちの枠を、お嬢さんたちにどうぞ……でも、受付の伯爵閣下同様、俺も小さいお子さんにはあまりおすすめしません」
彼は「こんなことなら、普通に挑戦エリアにいけばよかった」と、力なく呟きながら、よろよろと修練所の扉を出て行きました。
「なんでみんな、おすすめじゃないっていうのかな? マーミルもそう言ってたよね」
妹が不思議そうに首を傾げます。
「……子供にはさすがに脳筋対応じゃない可能性もあるかなと思ったけど、妹が言うくらいなら、やっぱり何か難有りなんだろうしなぁ」
受付のお兄さんは腕を組んで思案顔です。
「あの、そんなに駄目な教官なんですか?」
父が不安顔で尋ねます。
「いや、駄目ってことでは! そういう意味じゃないんだ!! そこは誤解しないでほしい。俺がそんな意味で言ったって思わないでほしい!!! それだけは、本当に!」
穏和なお兄さんが、焦燥感いっぱいでワタワタしだします。
「ただ……」
彼は近くに誰もいないことを確認すると、父母に近寄れと手招きをしました。
彼は顔を近づけてきた父母にだけ聞こえるよう、彼らの耳元にささやきます。
「毎回、教室の教官は発表していないんだ。なので、ここだけの話にしておいてほしいんだけど、今日の担当は、ジャーイル大公閣下なんだよ」
「えっ!」
その名前を聞いたとたん、父母が青ざめます。
「そうなんだ。発表していないのに聞きつける者たちはいて、閣下の教室はもう参加者でいっぱいなんだよ。ただ、閣下はちょっと、自分が強すぎて弱者の気持ちがわからないというか……。教え方がなんていうか、ざっくりしてる上に、脳筋みいっぱいで……。なので、こんな小さな子にはおすすめしないって、みんな言ってるんだと思う」
「ククノス、ジャーイル閣下って、昨日の……」
「ああ、そうだな……」
父母は〈大階段〉で妹がぶつかったその人を思い浮かべます。
「まぁでも、確かに貴重な機会ではあるから、判断は任せるよ。お嬢さんたちだって、むしろ強者の指導をうけて、才能を開花させる可能性だってあるしね。万が一、怪我をしたところで医療員がちゃんと治してくれる。そこは安心してくれていい。それに、今からマーミル様たちが参加されるはずだから、指導方法にダメだししてくれるかもしれない。もしかすると、最後には優しく教えてくれる可能性も……。けどまぁ、閣下が教えるのは今日一日だけの予定だから、明後日まで居るならその他は明日、受けてもいいんじゃないかな」
父母は顔を見合わせます。
魔王に次ぐ大公閣下、しかも他領の、だなんて、昨日のような偶然でもない限り、近くに寄る可能性すらありません。
魔力がすべての魔族、しかも無爵の父母にとって、強者は恐怖の対象ではあります。
けれど、受付の青年の言うとおり、これは貴重な機会なのです。まだ可能性に満ちた娘たちが強者に触れて、自分たちの才能を開花させないとも限りません。
なにせ妹は、無爵の自分たちのもとに生まれたというのに、すでに転身という、珍しい特殊能力に目覚めています。
世間には、無爵者の子供が無爵者になることが多いのは、周囲にお手本となる者がいない環境のせいだ、という説があることも知っています。
今の一家は、まさしくその通りの環境に身をおいています。
確かに父母は有爵者の屋敷に出入りをしていますが、仕事についていく機会のない姉妹は、近所の無爵者たちとしか交流がないからです。
それに、姉は妹を特別だと思っているようですが、父母からすると、娘たちはどちらも大人の無爵者たちとは何か違うものをもっているように感じるところがあります。
自分たちの臆病のせいで、そんな彼女たちの未来の芽を摘む危険性を、父母は危ぶんだのでした。
「その教室は、たとえばあまりにも子供にはそぐわないものだと判断されたら、途中で棄権はできないものでしょうか」
母が、迷いながら尋ねます。
「そうだな……初回は特に退場者はいなかったみたいだけど……今日は気のつく伯爵がサポートについているしね。もし参加するのなら、いざというときには途中退場できるよう、彼には言っておくよ」
「その他とはいいますが、内容は最初にわからないものでしょうか」
父が、心配げに尋ねます。
「ああ、えっと……初回は魔剣の扱い方、二回目は召喚魔術、三回目は造形魔術、となっているな……。ああ、だからさっきの……」
受付のお兄さんはどこか同情したような瞳を、さっきの男性が去っていた方に向けています。
「造形魔術……」
火や土の魔術なら、父母もいいところまで教えることはできます。
風や水も、得意ではないですが基礎は大丈夫です。
ですが、造形魔術といった複合的な魔術は、彼らでは教えることができません。
父母は、顔を見合わせます。お互いに迷いはあるものの、何が何でも参加に反対だ、という気持ちではありませんでした。
魔族にとって、勘はとても大切なものです。なにかわからないけどそうしたい、という想いは、魔力によっての気づきが無意識に働きかけている結果だ、という説もあるくらいです。実際に、今までの人生のうちで、父母もそれを裏付ける経験を、何度もしてきました。
ですから父母は、決定を本人たちにゆだねることにしました。
「ニラリヤ、ナルテラ。その他の授業を受けてみたい? 造形魔術を教えてもらえるんだって」
「造形魔術?」
「そう。魔術でいろんなものを作ることができるようになるの」
これを聞いて、瞳を輝かせたのは姉です。
彼女はすでに、いくらかのモノを形作る魔術を、自分でも創造していたのでした。
「受けてみたい!」
「あたしも!」
そうして姉妹は、土の魔術教室に次いで、その他の魔術教室を受けることにしたのでした。