6 みんなで仲良く、練習を
「まずはみんなの実力を知るための、実践といこう。さあ、こちらへ」
そう言うと、ヒッチ教官は教卓の後ろにある扉から、隣の部屋へと子供たちを誘います。
そこは白く高い天井、素朴な白いだけの壁、よく音の鳴る固い白い床の、遮蔽物のなにもない、広くて明るい広間でした。
その空間を前に、六名は横一列に並びます。
「まずは確認だが、一層五枚二十五式を描けない者はいるか?」
「大丈夫です」
「できます」
「余裕ですわ」
術式は、真円一つを一枚と表し、外に五枚まで重ねていって一陣と呼びます。
単に薪を焚くために小さな火をつける、というだけなら一層一枚で事足りますが、攻撃魔術を発現するためには、一層五枚二十五式一陣と呼ばれる術式が、最低限必要とされています。
今回の参加者たちは、全員がその一陣を描けるとのことでした。
ちなみに、ハイラマリーが目指す大公というのは、魔王に次ぐたった七名しかいない強者です。そうなるためには、最低でも四層百式と呼ばれる術式を、顕せられる実力が必要だといわれているのでした。
「それではまずは、各人の距離と威力をみることにしよう。標的に向かって順番に、一層二十五式一陣の単純な火の攻撃を放ってもらう」
「え、たったの一陣? わたくし、二陣くらいいけましてよ」
ハイラマリーが不服げに声をあげます。
しかし、教官はそれには応えず、爪のとがった黒毛の手を、肉球の音をたてるようにして叩き合わせました。
「では、まずはナルテラーナ」
「あ、はい」
まさか自分からと思っていなかった妹は、突然のことに少し驚きます。
教官からすれば、一番幼いであろう子供を選んだだけかもしれません。
「一層、五枚……」
近頃ナルテラは転身ばかり行っていたので、普通の術式を描くのは、かなり久しぶりでした。
母がお手本に見せてくれた火の術式を思い起こし、ゆっくりと描きます。
細い火柱がまっすぐ前に向かって伸び、教官が各々の前方に建てた分厚い氷の障壁を、三つ向こうまで溶かしました。
氷といっても自然のものではないので、魔術が当たった形通り、そこだけが消えるような仕様になっています。ですので、各人の魔術の跡が、一目瞭然なのでした。
「次、ニラリヤ」
「はい」
姉は得意と言うだけあって、同じ一陣の術式でも、ナルテラより太く長く、障壁を大きくえぐって、炎は五つ向こうまで届きます。
「ハイラマリー」
「わたくしだって負けませんわ!」
彼女は姉よりいっそう幅のある炎を出しましたが、長さは及ばなかったらしく、突き破った障壁は四層まででした。
「でも、私の炎の方が、あなたよりぐっとえぐりましてよ」
年が近いために対抗心がそそられるのか、ハイラマリーは姉に向かって鼻を突きだしてきます。
ところが、残りの三人は、それまでよりもっと幅広で、長い炎を出して見せたのです。
もっとも長かったのはマーミルの出した炎で、八つ目の障壁まで溶かしてしまったのでした。
これにはさすがにハイラマリーも、憎まれ口をきく気にはならなかったようで、一瞬とはいえ、ぽかんとしてしまったようでした。
「よし、いいだろう。では、いったんさっきの部屋に戻るぞ」
生徒たちは教卓のあった教室に戻り、それぞれの席につきました。
「さて、みんな同じ一層一陣だったわけだが、威力が違ったな。どうしてだと思う?」
「術式の大きさが違ったから、ですわ」
ハイラマリーが当然といわんばかりに答えます。
「確かに、それも理由の一つだ。一番威力の弱かったナルテラの術式は、一番小さかった。だが、ほかの五人はそれほど違いがなかったはず。ではなぜ、威力に差が現れたのか?」
「中に描いた文様の違い――」
姉がぽつりと呟くように言いました。
「ああ、そうだな。一枚一枚の円の大きさは同じでも、中に描く文様が違えば現れる効果も違ってくる。さあそこで、君たちがさっき描いた術式をこの黒板に描いてみなさい」
子供たちは一斉に前に進み出て、チョークを使って自分の術式を描きます。
もっとも、手で描くのですからさっきと全く同じとはいかず、銘々、好きな大きさの円を描いています。それがまた、各人の性格を表しているようです。
六人のなかで、術式を一番小さく描いたのは、ネネリーゼでした。けれどその中の文様は、ほかの誰より多様でしたし、配置もはかったように等間隔で、バランスのいい、綺麗なものでした。そんな彼女の炎は、長さと幅のバランスもとれていて、マーミルの次に威力のあるものだったのです。
ネセルスフォは、ネネリーゼより大きく板書しましたが、中の文様は歪でもっと少なめでした。配置も等間隔とはいかず、適当に置いてみた、といわんばかりです。
彼女たちは双子とはいえ、術式は見る者に正反対の印象を与えました。
マーミルが描いた文様は、ネネリーゼより種類こそ少ないのですが、ただし彼女だけが、色とりどりのチョークを使っていました。
実際にさっき描いていた術式もカラフルなものだったので、事実に即しているといえます。
ハイラマリーのものは魔術教本に載っているような、お手本のようなスッキリした術式でした。文様も火に関係のあるものばかり、癖がないといえるかもしれません。
姉妹の姉の術式も、ハイラマリーと似通っていましたが、料理人の母が考案した、炎の威力を上げる文様がちりばめられています。それが、二人の飛距離に差を付けたのでした。
実際の威力が一番、弱かったのに、黒板には一番大きく描いたのは妹でした。描いた文様は必要最低限で、むしろよくこれで三層まで届いたな、というような感想を皆に抱かせました。
「同じ炎の魔術でも、人によってこれだけ術式が違う。では、それぞれの魔術の中身をみていこうか――マーミル。君だけ色を使っているが、これはどうしてかな?」
「文様は、大きさや形だけではなく、色もその効果に大きく付与するからですわ。たとえば炎だと、やっぱり暖色系の色にするほうが、一層、その効果を強めてくれるのです」
「そう、その通りだな」
その後、彼女たちはお互いの術式の中身を教えあい、教官が知識の補足をして、最後にはもう一度、隣室で同じように一層一陣を放ってみたところ、全員の炎の威力があがっていたのでした。
「では、そろそろ終了の時間だ。今回の感想を、また一人ずつからもらおうか」
ヒッチ教官の言葉に、一番に反応したのはマーミルです。
「私、とっても楽しかったですわ!」
彼女は頬をバラ色に染め、瞳を輝かせて言いました。本当はピョンピョン飛び上がりたいのだというように、肩がピョコピョコ動いています。
「教官の教え方、とってもお上手でしたわ! お兄さまの百倍丁寧だし、わかりやすかったですわ! ね、ネネ、ネセ!」
「マーミルのお兄さまと比べるのは……」
ネネリーゼが苦笑を浮かべています。
「私が火の魔術を教えていただいた中では、二番目くらいにお上手だったと思いますわ。一番お上手だった方は、最近、お兄さまにお城への出入りを禁止されて、もう教えていただけなくなったの。だから、またぜひ、機会があればお教えいただきたいわ」
「いや、さすがにちょっとその言葉は重すぎるというか……」
どうしたことか、ヒッチ教官はほめられて嬉しいと言うよりは、困惑気味に手を振ります。
「ニラリヤーナ、ナルテラーナ、君たちはどうだったかな?」
慌てた様子の教官は、とってつけたように姉妹に水を向けます。
「楽しかったです。ね、ナルテラ」
「うん。面白かった。知らない文様もいっぱいしれたし」
本心から、姉妹もこの授業をとても楽しんでいたのでした。
同年代の女の子たちとワイワイできたのも初めてでしたし、その延長線上に、ちゃんと魔術の強化という結果を得られたことも、二人にとっては自信につながるいい経験になったのでした。
「私が思うに、あなたたち二人は、圧倒的に知識が足りないだけですわ。もっと文様とか術式の勉強をすれば、きっと強くなりますわよ。毎日ここで勉強すれば、成人する頃には立派な有爵者になれますわ!」
マーミルが、姉妹に向かって太鼓判を押してくれます。
「あ、ありがとう」
最初の緊張がほぐれてくると、大人しく見えたマーミルが、元気溌剌とした気の強い少女だということが、姉妹にもわかってきました。
最初に破天荒なイメージのあったハイラマリーより、よっぽどあけすけに意見を言うようです。
「そうしたいけど、そんなに何日もいられないよね。だって、とぉともかぁかも、仕事があるもん。ね、ねぇね」
「うん、そうね。でもあと二、三日なら、きっと大丈夫じゃないかな」
「ほんとに? そう思う?」
妹は、魔術教室がよほど楽しかったようです。また別の教室で別の魔術を習いたいと、瞳をキラキラ輝かせるのでした。
「わたくしも、今回この授業に参加して、本当によかったです。ずっと火の授業だけ受けようとおもっていましたけど、ほかの文様を組み合わせることで、より一層強化したり、思わぬ効果をつけたり、減力できたり、いろいろなことができるのだって気がつけて、とても勉強になりましたもの。午後からは、ほかの授業も受けてみるつもりですわ」
お互いに知識を教えあうという経験をしたためか、ハイラマリーこそ、午前いっぱいの教室が終わる頃には、謙虚な態度が見え隠れしてきたのでした。
「だったら、一つご忠告してさしあげるわ。『その他』のところは、今日は避けた方がいいかもしれませんわ」
「マーミル、そんなことをいっていいの?」
緑のリボンをつけたネセルスフォが、咎めるような口調を友人にむけます。
「あら、だってお兄さまってば本当に、魔術を教えるのが下手なんですもの。私、こうしてほかの人にもいろいろ教わって、ようやくその事実に気づいたんですわ。子供のうちは特に、混乱したり自信を失ってしまわないためにも、お兄さまに教わるのを避けた方がいいんですわ、きっと!」
「つまり、『その他』の授業は、マーミルのお兄さんが教えるってこと?」
同じ授業を受け、すっかり仲良くなった姉が、マーミルに尋ねます。
「ええ、そう聞いていますわ。私だって本当は、初日の初回だし、お兄さまの授業を受けてあげようかなと思ったのよ。でも、お兄さまってば本当に――」
「ネセルスフォにネネリーゼ、君たちの感想も聞かせてもらえないかな!?」
教官の叫ぶような大声は、マーミルの言葉を打ち消すためのようにも思えました。
「今回の授業、私にとってはとっても勉強になりました。なにせ私は細かな調整が苦手なので……。それはそれでいいとおっしゃっていただいて、気が楽になりました。ありがとうございます」
最終的に、一番威力の強い魔術を発現させたのは、そう感想を述べたネセルスフォでした。相変わらず文様は歪に並んでいたけれど、それでも改良を加えられた魔術は、いっそいきいきとその効果を発揮したのです。
「本当に、とても勉強になりましたわ。今までも文様の解説をいろんな方にしていただきましたけど、あまりにも洗練されていて、自身で組み立てる手がかりにはなりませんでした。今回、ほかの方の試行錯誤を見られたことで、自分の術式もまだまだ改良の余地があることがわかって、とても参考になりましたし、面白かったですわ」
最後に、ネネリーゼがそう感想を述べて、授業は終了となりました。
こうして、修練所開所日初日の午前の授業を終えた姉妹は、父母のもとへと戻っていったのでした。