5 はじめての、魔術教室
翌日は、待ちに待った修練所の開所日です。
魔王城土台の北面に設けられた修練所は、外からでは一見してわかりませんが、三つの棟、六つのエリアに分かれているのです。そのうち、五つのエリアは男爵から公爵までの、有爵者のための挑戦所で、残り一つが無爵者や子供が自分の実力をはかったり、鍛錬したりする場所です。
その無爵・子供向けのエリアへは、彼らが宿泊している場所の、右手側の二つの扉から入るとのことでした。
宿泊所について教えてくれた青年が立っていたのは、その一番右の扉でした。
ちなみに、昨日はあれから〈御殿〉や庭を散策し、東の〈竜舎〉も見に行ったりして、あちこち巡って、夕方遅く、修練所横の宿泊所に帰りつきましたが、青年は扉の外にはもういませんでした。
さすがに彼も、夜は宿泊所の部屋に泊まっているのでしょう。そもそも、なんのために開かない扉の前にいたのだか、疑問といえば疑問ではあるのですが。
とにかく、父母と姉妹は、一番右の扉から入室したのでした。
修練所はその運営担当者によって、中の仕様が完全に変わるそうです。今回は、入るとまず樫の木の少し背の低いカウンターがあって、向こうにデーモン族の男性が一人、立っているのでした。
「ようこそ、修練所へ。四名とも受付でいいのかな?」
どこか印象の薄い、けれど人の良さそうな笑顔を浮かべた青年が、遠慮がちに入ってきた一家に、親しげに声をかけます。
「いえ、子供たちだけお願いします」
「そうか。なら、どこに参加をするかをまず、選んでくれるかな? こんなに小さい子たちなら……うん、おすすめは教室だね」
彼の説明によると、無爵・子供のためのエリアは、内部でさらに二つに大別されているそうです。子供を中心とした、魔術を教えてくれる教官がいる教室エリアと、それ以外の無爵のため、実践を中心とした挑戦エリア、という風に。
もっとも、大人であっても、一から魔術を学びたいと、教室に参加するのは認められているようでした。
「教室、ですか?」
「きょうしつ、ってなに?」
魔族の子供はほとんどが、両親から基本的な魔術を習います。もちろん、赤の他人である先達が、親切にも指導をしてくれる場合もありますが、一所に集まって、父母以外から指導を受けるだなんてことは、無爵の姉妹にとっては経験のないことなのでした。
「この教室エリアでは、テーマを火・水・土・風・その他、の、五つに分けて、魔術の訓練教室がもうけられているんだ。今日もそれぞれの教室に有爵者が一人ずつ、指導についているよ。お嬢ちゃんたちは、どの魔術が得意かな?」
「わたしはどちらかというと、火の魔術が得意です」
姉がハキハキと応えます。
確かに姉は、火を燃やしたり、調整したりすることを得意としていました。
「妹ちゃんは?」
「えっと……あたしはどれとか別に……」
一方で妹は、どれが得意ということもないのでした。とはいえ、どれにも秀でていないというだけで、苦手があるわけではありません。
ただし、姉妹は『その他』の魔術というものが何なのか、見当もつきません。
「全部の教室を順番に巡ってもいいし、得意なところだけ参加してもいいし、逆に苦手なところを練習のために受けてもいい」
それで姉妹は、まずは姉が得意な火の訓練を、揃って受けてみることに決めたのでした。
教室といわれたその部屋に入ると、正面に黒板を背にした教卓があり、それを囲むように、六席の丸椅子が扉の左右に三席ずつ、等間隔に置かれていました。
「奥から順に座ってくれるかな」
教卓に立っているフェネックの顔をした大人のデヴィル族が、優しい声音で指示します。その低い声からして、男性のようです。
そのうち、入って右手の三席は、すでに埋まっています。ですので、妹は左手の奥に、姉がその右隣の真ん中に、座りました。
向こうの三人と、なんとなく黙礼を交わします。
右手の奥に座っていたのは、姉より少しだけ年上に見えるデーモン族の子で、真ん中と、扉に近い方には、少し年かさのデヴィル族が座っていました。
姉妹の家の近くには、デーモン族ばかりが住んでいたので、同じ年頃のデヴィル族の子供と会うのは、これがはじめてです。
デヴィル族の子は二人とも、頭部は牛で、顔がそっくりに見えます。どちらも頭に小さなツノが生えており、一人は青、一人は緑のリボンをつけているので、きっと女の子だろうと思われました。
奥の子はデーモン族なので、一目で女の子であることがわかりました。こちらは黄金色の髪に真っ赤な瞳をした、姉妹が見たこともないほどの美少女でした。
デーモン族とデヴィル族とはいえ、三人は色も形も揃いのツナギを着ています。きっと仲良しなのでしょう。
三人とも緊張しているようでしたが、なかでも奥のデーモン族の子の表情は、こわばって見えるほどでした。
ちなみに、姉妹も今日はズボンをはいています。昨日と同様、宿泊所で借りたものです。修練所では魔術の実践が当たり前なので、動きやすいよう、子供には等しくズボンスタイルの洋服を貸し出しているとのことでした。
フェネック教官は、生徒の顔をざっと見渡すと、一つ、頷きます。
「さて、それではまずは自己紹介からいこうか。私が教官をつとめる――」
そのときです。入り口の扉が、派手な音をたてて勢いよく開きました。
「わたくし、ハイラマリーですわ!!!」
扉の中央に立っていたのは、これまたデーモン族らしき女の子でした。鬣のように真っ赤な髪をなびかせた少女は、腰に両手を当て、両足を大きくふんばり、自分の名を声高に叫びます。
堂々とした態度ではありますが、突然のことに、五名の生徒はみんなポカンとして彼女を見つめました。
自分が注目を浴びているのを感じ、ハイラマリーと名乗った少女は鼻を膨らませて自慢げに笑います。
「あー、ハイラマリー。わかったから、座りなさい」
フェネック教官がため息をはきながらも、そう優しく諭すのを聞いて、姉はホッとしました。有爵者には怖い人が多いと聞いていますが、少なくとも、先生は優しそうです。
「わたくし、大公を目指していますの!」
ハイラマリーは姉の右隣に座ると、姉妹に向かって瞳を輝かせながら話しかけてきました。
「あ、そうなんだ……」
勢いに押されながら、姉が応えます。
「あなたはどう? 何を目指しているの? 同じくらいの年よね!」
「ハイラマリー。今から自己紹介を行うところだ。まずは黙りなさい」
さすがにさっきよりは固い調子で命じられたからか、ハイラマリーはようやく口をつぐみました。
「では、改めて。私の名はヒッチだ。ここでは、火の魔術について教える。ジャーイル大公麾下、第五十軍団長で伯爵だ。次は、君たちにも順に挨拶をしてもらおうか。なお、簡潔にね。では、君から」
ヒッチ教官が、右手奥の子を指名すると、少女は立ち上がって緊張みなぎる表情で、口を開きました。
「マーミルと申します。いつもお家で魔術の鍛錬をしていますが、強くなりたいと思って参加いたしました。どうぞ、よろしくご指導くださいませ」
固い口調ながらも、優雅な仕草でちょこんと頭を下げて座ります。
次に右手真ん中の、緑のリボンをつけた牛の子が立ち上がります。
「ネセルスフォと申します。マーミルとはお友達、隣のネネリーゼとは双子の姉妹です。私もマーミル同様に、強くなりたいと思って参加しました。不器用ですが頑張りますので、よろしくお願いします」
「ネネリーゼですわ。成人したら、男爵か、子爵くらいにはなりたいと思っています。どちらかというと、火は不得意なので、苦手意識を克服したいと思っています」
青のリボンの子が続き、三人はそつなく挨拶を終えました。
待っている間に、妹はそうでもないようですが、姉はだんだんと緊張してきました。
「わたくし! ハイラマリーですわ!」
さっきと同じ名乗りで、隣の少女が勢いよく立ち上がります。その声が大きかったので、隣の姉は思わず耳をふさいでしまいました。
「わたくしは火が得意ですから、いっそうの上達を目指して、こちらに参加しました! みなさまの魔術熟練度は存じませんけれど、うちは伯爵家で、お父様がいい教師をつけてくれているので、もしかするとレベルが違うかもしれませんわ! 末は大公、つまり、ベイルフォウス様のような炎の業が得意な大公を目指しているのですわ! それというのも、見ていただければわかるとおり、私の髪もかの大公閣下と同じで炎のような――」
「ハイラマリー。簡潔に、といったはずだ」
ヒッチ教官の声に、苛立ちがちらつきます。
「あ、あら、失礼」
コホン、と咳払い一つ、ハイラマリーは大人しく指示に従います。
ヒッチ教官が続けるようにいうので、姉は立ち上がりました。なにを話そうか、ちっとも考えられなかったので、思いつくままに口を開きます。
「ニラリヤーナといいます。隣は妹で、ナルテラーナです。えっと……たぶん、お話を聞いてて思ったんですけど、わたしたち以外はきっと、家族が有爵者なんだと思うんですけど、うちはお父さんもお母さんも無爵者です。でも、できれば強くなりたいので、今回、ここに参加しました。よろしくお願いします」
時々言葉をつまらせながら言い切ると、ペコリと頭をさげます。
「ほら、ナル」
交代するように、妹が立ち上がります。
「ナルテラーナ、です。あたしも強くなりたい――大事なものを、守れるようになりたいです。おねがいします」
全員が挨拶を終えると、ヒッチ教官は頷きました。
「この教室では、親兄弟の地位は関係ない。考慮もしない。高かろうと、低かろうと、同様に個人の実力にあわせて、対応をさせてもらう」
ヒッチ教官は、ぐるりと六名の生徒の顔を見回します。
彼は、内心では六名全員が女の子なこと、しかも、上司の家族が参加していることに、やりにくさを覚えていました。しかし、顔にも態度にも出しません。
彼は比較的若く、伯爵位に就いてから十年も経っておらず、さらには軍団長という、栄えある地位についたのも、この三年以内だったものですから、なんとか威厳を保ちたいと頑張っているのでした。
「この教室では私が絶対だ。その教えが気に入ろうが、気に入るまいが、な。今教室では実践もあるから、きちんと話を聞いて、従うように。怪我ごときなら、医療員が助けてはくれるが、死からは救えないことを覚えておくように」
最後の一文は、ハイラマリーを見つめての直言でした。