2 どうせなら、家族旅行として
姉妹の父は、翌日、魔獣にひかせた車に、たくさんの食材が詰まった木箱をいくつかと、いくらかの日用品を積んで、帰ってきました。
人間の社会とは違い、魔族には貨幣というものがありません。労働の報酬は、実物や行為で支払われるのです。
バーユと父が名付けた魔獣は、ラ・フォンと呼ばれる種の魔獣で、足が太くて短く、歩行速度はそれほど速くはありませんが、弱者が相手でもよく慣れ、サイに似た皮膚は丈夫で、体力にも優れているため、荷車をくくって荷物を運搬するのに適しているのです。
そのため、出入りの多い仕事をする無職者には好んで飼育されており、姉妹の家でも唯一飼っている魔獣なのでした。
「ただいま」
「おかえりなさい、とぉと!」
妹が父から喜色満面、手綱を受け取ります。
性質が穏やかなため、子供にでも刃向かわないそのラ・フォンの世話は、平時、姉妹に与えられた仕事でした。
姉妹が手綱を任されている間に、父母は荷台から荷物を下ろしていきます。すべての荷物がおろされると、姉妹が獣舎にバーユを連れてゆくのです。
道行きをねぎらって水をあげ、おなかがすいているようなら餌もやって、皮膚を硬いブラシで磨きます。それから蹄に挟まった土をきれいに拭って、額に生えた角を布巾でぴかぴかにして、干し草を整え寝かせてあげるのです。
もちろん糞尿の始末も、姉妹の仕事でした。
けれど妹は、このときどうしてか、バーユをすぐに獣舎に連れようとはしませんでした。もしかすると、すぐにまた魔獣が必要になるかもしれない、と思っていたからです。
「どうしたんだい、ナルテラ?」
「あの、とぉと……つかれてる?」
「ナルテラ、まずはバーユを獣舎で休ませてあげなさい。お父さんだってそうよ。ゆっくりお家で一服しないと」
「……わかった」
母に諭されて、妹は観念したように魔獣をひいていきます。
妹と一緒にバーユの世話をするため、姉がその後に続きました。
「どうしたんだい、ナルテラは?」
「ええ、それが……」
居間……といっても、一家の家では台所と食堂と居間が同じだったのですが、食卓の長いすに腰掛けた父に、母がお茶を入れながら、昨日、姉妹と交わした会話を伝えます。
父はもちろん、母と同様に、新しい魔王城に〈修練所〉というものがあることを知っていました。両親とも、もう有爵者になることはとっくに諦めているので、自分たちが挑戦しようとは思いませんが、まだ将来の決まっていない娘たちに経験させることを、反対する理由はありません。
魔族にとって強者となることこそ、よりよい未来であることに変わりないからです。
「もちろん、お疲れでしょうから、今日じゃなくていいのよ」
「そうだなぁ……」
庭の仕事は昨日一日で終わっていて、遠路を夜に帰るのを避けるため一泊してきただけですし、男爵邸の寝台の寝心地がよく、ぐっすり休めたため、疲れなどはないも同然でした。ただ、たくさん食材を持って帰ってきていたので、その収納や始末のために、妻と協力しないと、と思っていたのでした。
「そうだ、だったら荷物が片づいたら、みんなで出かけて、いっそ魔王城に泊まってくるのはどうだろう? 修練所には宿泊施設も備わっているそうだし、せっかくだから、僕たちは魔王城の見学をしてこないか?」
「あら、すてきね! あなた、お庭を見たがっていたものね」
母は嬉しそうに、両手をパンと叩きあわせます。
大公領から魔王領へ、支配者の違う領土を移動するためには、本来領主の許可が必要です。
その手続には時間がかかる上、面倒なので、無爵者は容易に領地を移動することなどできません。
ですが昨今、修練所での鍛錬のため、といえば手続は省略されるということを、父は知っていました。
そうはいっても遠路はるばるのことなので、無爵にとってはそうそう気軽に組める行程ではありません。だから、父がいっそのこと家族旅行としようと考えたのも当然でした。
「君だって、魔王城で出される料理には興味があるだろう? それに確か、台所に知人がいたとかいっていなかったかい?」
「ええ、いるわ! 彼女にも久しぶりに会えるのね。だったら、ワンゲルさんに魔豹を借りましょう? その方が、早く着くもの!」
「ああ、それはいいね。魔豹を借りられるならありがたい!」
魔豹は頭胴長4mほどの、魔族が地上を征く騎獣として利用する中ではもっとも足の速い大型の魔獣です。歩いて三十分ほど向こうの平原に住む無爵のワンゲルさんが繁殖させて、数頭、所有しているのでした。
なにせ、このサーリスヴォルフ領から魔王領まででも、かなりの距離があります。ただでさえ足の遅いラ・フォンで出かけていては、魔王城に着くのに五日、いいえ、もっとかかるかもしれません。途中では野宿することになるでしょうし、幼い姉妹を連れてでは、先行きに不安があります。
そこを魔豹であれば、昼から出発しても、夜にはなるでしょうが、今日中には到着できるでしょう。
「よし、なら早速、この野菜を持って行って、交渉してくるよ」
いろんな食材が混ざるよう詰め直した木箱を一箱もって、父は立ち上がります。
「あら、なら、やっぱりバーユは出しておいたほうがよかったわね」
「いいや、その必要はないよ。歩いて行ってくる。帰りは魔豹を借りられるわけだからね」
「それもそうね」
父はそう言うと、意気揚々出かけて行きました。