10 娘たちの、魔術的才能について
「どうだったね、今日一日」
「楽しかった?」
食卓につきながら、父母が尋ねます。
「うん、楽しかった……」
けれど姉ですら、そう答えるのが精一杯です。なにせ妹など、スプーンを持ったまま、すでに半分寝かかっているような有様です。
教室が終わってから、姉妹は受付で待っていた父と合流し、手をつないで宿泊所で待つ母のもとに帰りました。そこまではなんとか頑張っていましたが、夕飯にありついたとたん、眠気がおそってきたのでした。
無理もありません。姉妹は朝から夕方まで、一日中、使ったことのない魔術をたくさん習って頭を使ったうえ、魔力もたくさん消費していたのです。しかも、ほとんどが年かさの、見知らぬ人びとばかりの中で。
今日も食堂を借りてではなく、部屋での食事にしてよかったと父母は思いました。
夕飯も母が台所を借りて用意したのですが、こんなこともあろうかと、つくったのはスープリゾットでした。
姉妹は寝ぼけながらもなんとか食事を終えると、本格的に食卓に突っ伏して寝込んでしまいます。父母はそれぞれを抱き上げて寝台に運びおえると、今日の振り返りと今後について、相談を始めたのでした。
翌日は、昨日受け損ねた風と水の授業を午前午後に分け、一コマずつ受けました。本来は午後からもう一コマ受けられましたが、それで一巡しましたし、約束もあったので、ゆっくりすることにしたのです。
今日の受付はヒッチ教官でした。
教官はデヴィル族なので、デーモン族の見分けが難しいでしょうに、姉妹のことはちゃんと覚えてくれていました。
「そうか、今日は風と水か。幼いうちから色んな魔術を経験するのはよいことだ。自分には何があっているのか、しっかり見極めなさい」
昨日は指導者の立場としてですから、あれでも厳しい対応だったのでしょう。今日はニコニコと、愛想よく姉妹に頷いてくれます。
「君たちは筋がいいから、きっと強くなれる」
「それは、本当でしょうか」
「あの、強くって、例えばどのくらい……」
ヒッチの言葉に食いついたのは、本人たちではなく父母の方でした。
「そうだな……このまま鍛錬すれば、爵位は確実だと思うが。昨日、閉所後に報告会があったのだが、大公閣下も娘さんたちのことは誉めていらしたよ」
父母は驚きに目を見張り、互いの顔を見合わせて頷きます。
彼らは、何か秘められた能力があるですとか、実力はあるのに無爵に甘んじている、というわけではありません。紛れもない無爵です。
ですが、無爵の全員が、強くなるための努力をしなかった、というわけではありません。
父母も、姉妹ぐらいの年頃には、有爵者を夢見て鍛錬していたこともあったのでした。
ですが二人とも、魔力量が思うほど伸びず、今の生活に落ち着いているのです。
ですから、魔力量は遺伝しないとはいえ、娘たちが有爵者二人から――それも一方は大公閣下です――、強くなれるとお墨付きをもらえたのは、この上ない喜びでした。
そうして優しいヒッチ教官と、喜ぶ父母に見送られ、姉妹は午前の授業に向かいました。
午前の水の授業は、優しい口調が特徴の鹿顔の教官でした。もっとも、口調に反して、指導姿勢は割と厳しいものでしたが。
その回では、またもハイラマリーと一緒でした。どうやらよくよく縁があるようです。
「ねぇ、あなたたち、見所があるから、わたくしのお友達にしてあげるわね」
「え、ありがとう」
本当を言うと、姉妹はもうとっくに彼女の友達のつもりだったのですが。
「今日はこれからどうするの?」
午前の授業が終わるや、ハイラマリーが問いかけてきます。
「午後は風の授業を受けるの。今日はそれでおしまい。そのあとはお母さんのお友達の、夕食にお呼ばれしてるんだって。だから、魔王城にいくの!」
姉が答え、妹が頷きます。
この修練所などがある土台をも含めて魔王城ではありますが、姉のいう魔王城は、頂上に建つ魔王様の居城のことです。
母の友人がそこで料理人をしているので、訪ねていく約束になっていたのでした。
もちろん、その友人は台所勤めの一魔族に過ぎませんので、お呼ばれしていると言っても、魔王様を交えての正餐などではありません。
しかし、そんなことは姉妹にとっては問題ではありません。なにせ、あの大きなお城の中で、楽しくご飯が食べられるのです。
「あら、そう。じゃあ、わたくしとは別ね。明日は?」
「明日は帰るから……」
姉は少し元気を失って答えます。
「午前に一つ、なにか受けられるかもだけど……」
「だったら、一緒にその他の授業を受けましょうよ。明日は召喚魔術の回なんですって。あなたたち、まだ受けていないでしょう?」
「しょうかんまじゅつ……?」
無爵家に生まれた姉妹にとって、実は召喚魔術という言葉自体、聞いたのは昨日の受付が初めてです。言葉だけではいったいどういう魔術なのか、見当もつかないのでした。
しかしだからこそ、興味津々です。
「かぁかにいってみる」
「そうね、お父さんにもお願いしてみましょ」
「いい、ここだけの話よ?」
ハイラマリーはキョロキョロと周囲を見回し、近くに誰もいないことを確認すると、それでも慎重そうに姉妹に耳打ちします。
「教官はヒッチ伯爵なんですって。あの方、教え方がとってもわかりやすかったでしょう?」
姉妹は優しいフェネック顔を思い浮かべます。
「うん、やさしかったし、わかりやすかった」
「でしょう! だったら決まりね。ちゃんと、明日もくるのよ! じゃあね!」
姉妹はハイラマリーと別れ、受付で待つ父母の元に戻っていきました。
一家は今日は大瀑布のところまで足を延ばし、母のお手製弁当を食べたのでした。
午後の風の授業は、元気のよいピューマ顔の教官が担当でした。
午前午後とも、成人したてと見える大人の参加者がいましたが、その中で誰より幼い妹が、どの魔術も上手に淡々とこなすのを見て、姉は、自分の妹はやはり特別なのだ、という思いを強くしました。
午後の授業が終わると、今度は転移陣を使って、魔王城の頂上まで一気に移動します。
大公閣下にぶつかって以降、父母は大階段での移動に消極的になっているようでした。
母の友人との約束には、まだ時間があるようですが、父母は気にせず魔王城本棟である、〈御殿〉の正面玄関をくぐります。
高位魔族のお城は、ある程度の場所まで普段から解放されているとのことで、ここ魔王城では、訪問者の用件ごと、受付をわけた小部屋が、玄関に隣接して幾部屋もありました。
その一室に入り、父母は本棟内部の見学を申し込みます。この〈御殿〉のあちこちの部屋を巡って解説してくれる、案内人付きのツアーです。
それでほかの数組と一緒に、会議室や謁見室、いくつかの食堂や応接室、遊戯室などを見学して回ったのでした。
魔王城の本棟である〈御殿〉の内部は、姉妹が先の〈魔王ルデルフォウス大祝祭〉で見た、どのお城より豪華で立派でした。
とはいえ、百一日続いたかのお祭りの間中、魔族の移動は解放されていましたし、かなりの有爵者のお城も開放されていましたが、ラ・フォンしか飼っていない一家が足を延ばせたのは、せいぜい隣近所の伯爵城まででしたので、いろんなお城をみてきたとは言い難いのですが。
ツアーは玄関ホールから始まり、玄関ホールで終わります。
そのタイミングでちょうど母の友人が待ってくれており、一家はすぐに別の一室に誘われました。
そこは、確かにさっきのツアーで見た部屋の数々ほどは、豪華ではありませんでしたが、それでも十分、広くて、意匠も素敵な家具の置いてある部屋でした。
ガラスのテーブルはありませんが、マホガニーの重厚な食卓があります。背の高い椅子の背もたれや座面は、姉妹が触れたこともない、なめらかな革張りでした。
食卓の上にはこれでもかと珍しいごちそうが並んでおり、燭台の温かな光が、育ち盛りの姉妹の食欲を刺激します。
アイボリーの壁に飾られているのは、お祭りに騒ぐ人びとの楽しい様子を模したものや、一生懸命に屋獣のお世話をする子供を題材とした素朴な絵で、高位魔族のお城にありがちな殺伐としたものが一つもなく、和みます。
むしろ、さっきまでの部屋でご飯を食べろと言われるほうが、父母などは緊張のあまり、食事ものどを通らなかったことでしょう。
この部屋は、勤め人が私的な会食をする目的で利用できるよう、魔王様が用意してくれた食堂とのことです。そんな使用人たちのための部屋が、ほかにもいくつかあるとのことでした。
「さすがはルデルフォウス陛下ね。慈悲深いと言っていた人がいたけれど、本当にそんな感じね」
「そうなのよ。同僚に前の魔王様の時から働いているって人がいるけど、そりゃあぜんぜん違うって言ってるわ。その人だって、デヴィル族なのに、よ」
母の友人は、話しやすい雰囲気の、気安いデヴィル族の女性でした。
大人の話には入っていけませんでしたが、それでも彼女はよく姉妹にも気を使って、あれを食べろ、これを食べろとすすめてくれます。
「それでねぇ、ちょっと相談があるのだけど」
母が、友人女性とコソコソと小声で話をしだします。
姉妹には聞かせたくない話なのか、途端に父が「ほらほら、デザートがあるぞ。ニラリヤ、このイチゴ、とっても甘いぞ。ナルテラはチーズのが好きだろう? 二人とも、せっかくだから遠慮せずいただきなさい」と、わかりやすく気をそらせようとします。
別に大人の話には興味もわかなかったので、姉妹は素直にケーキに飛びつきました。
「ねぇ、とぉと。あした、お家にかえるんだよね?」
「ああ、その予定だ」
「一回だけ、しょうかんまじゅつのが受けたい……ダメ?」
「明日の午前にあるらしいの。お友達が、一緒に受けましょうって」
ニラリヤとナルテラは、父にねだるような視線を向けます。
「ああ、いいぞ」
アッサリと、父は許可をくれました。
「いいの?」
少しは説得が必要かと思っていた姉妹は、驚いて顔を見合わせます。
「いいさ。おまえたちはどうやら魔術が得意なようだし、せっかくここまで来たんだから、やりたいことは遠慮せずやりなさい」
「なら」
思った以上の好感に、姉はもう一つ、希望を口にしてみます。
「もう一泊する、とかは……」
「ああ、それはダメだな」
残念ながら、今度はアッサリ撃沈でした。
「父さんも母さんも、次の仕事があるからね」
「そう、だよね……」
「ざんねんだね……」
「でも、仕方ないよ」
「そうだね。お仕事だもんね」
「帰ったら一緒に練習しよう」
「うん」
姉妹はお互い、慰めるように言葉を掛け合います。
そんな自分たちに、母とその友人の視線がじっと注がれていることに、姉は気づきました。
「ほらね、この通りなのよ」
「たいしたものね……大人だって、なかなか召喚魔術なんてできないのに」
母の友人が、感心したように息を吐きます。
「わかったわ。私に何ができるかわからないけど、気にとめておくわ」
「ありがとう。助かるわ」
どうやら二人の内緒話は、姉妹に関することのようでした。
「なに?」
「なんでもないのよ。さ、いただいちゃいましょう」
母は、姉妹には相談事の内容を教えてくれそうにありませんでした。
結局、一家はおいしい食事をいただいて、それから再び転移陣を使って宿泊所に戻り、その日を終えたのでした。




