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偏見

私は勉強を始めた。我が家の資金力では私立には行けないので必然的に公立を目指すことになる。母はきっと就職してほしかっただろうけど、公立を目指すと言ったら喜んで応援してくれた。その難関大は就職先も大手企業が多く、母は「もし里香がその大学に入れたら私も安心して仕事を辞められるよ」と言っていた。この頃になると、母は著しく老いてきた。まだ40代だというのに、私には50代後半に見えた。

 勉強して。バイトして。勉強して。バイトして。そんな日々を繰り返しているうちに、私は三年生になった。

 三年生になる直前にバイトもやめた。本格的に受験に集中するためだ。三年生になると、周囲も全員がいよいよ受験、という雰囲気になってくる。先生たちも毎日のように「受験はもう始まっている」と言うようになった。

 三年生になり、沙優と同じクラスになった。最初は陰鬱な気持ちになったが、休み時間も勉強していれば気の遣える沙優は近づいてこないだろう。

彼女はクラスでも人気者になった。橋田先輩との付き合いは既に公然のものとなっており、卒業した先輩とどう付き合っているのか、とみんなに聞かれて困ったように答えていた。……それに反して私は沙優がどんどん嫌いになっていた。みんなは「いい子」と言うけど、私にはそれが嘘くさく、芝居がかって見える。

私だけが、沙優の本性に気付いている。

きっと彼女のような子はSNSで裏垢を持っていて、周囲の悪口を言ってガス抜きをしているのだろう。でないとおかしい。あんなにずっといい子を演じられるわけがないのだ。

 同じクラスになって初めて、彼女が勉強もできることを知った。受験に向けての勉強を優先している分力を入れていなかったが、定期テストで沙優に負けると悔しかった。しかしその度に「定期テストなんてどうでもいい。受験さえ成功すれば、そんなのどうでもいいのだ」と自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせた。

 沙優は最後までマネージャーをやり抜いて引退した。マネージャーのリーダーとして後輩たちの育成もしたみたいだ。結局今年も野球部は甲子園に行けなかったみたいだけど。

 沙優の志望校が私と同じだと知った時には腸が煮えくり返る思いだった。なんで二年生の途中から部活をやめて必死に勉強している私と、今から本格的に勉強を始めるお前が同じところを目指すのだ、と。そんなの無謀だ。どうせ落ちるだろう。そう思っていたのに、模試ではあいつの方が上位の成績だった。またふつふつと、イライラがマグマの泡ように湧き上がる。

どうせ必死に勉強しているのだろう。寝ず、食事もろくに摂らず。そんなの今だけで、受験まで続かない。どうせ受験前に潰れてしまう。私はあいつと違って計画的に、受験だけに照準を合わせてやっている。模試で負けたって別にいい。




 この頃の私は、沙優のことで頭がいっぱいだったように思う。嫌い過ぎてずっと意識してしまう。意識しないようにしても、同じクラスだから視界に入る。そのせいで、沙優が脳の何割かを占有していたと思う。好きの反対は無関心、という言葉は的を射た言葉だと思う。だって、好きと嫌いは似ているから。事あるごとに相手のことを考えてしまう。それが好意か悪意かのちがいでしかない。




 私は母親と一緒に合格発表を見に行った。冬の冷え込みは厳しかったけど、そんなの気にならないくらい緊張していた。自分の番号がありますようにと、わざわざ近くの神社にお祈りしてから志望校へ向かった。

 私と同じようにハラハラした思いを抱えた人たちにもみくちゃにされながら、私は必死に番号をさがした。母は私の肩を抱いて願っていた。

「あ、あったよ!! あった!!」

 私は自分の番号を見つけて歓喜に震えた。これまでの勉強漬けの日々を思い出し、久しぶりに涙を流した。母も「良かったね」と喜んで抱き締めてくれた。

久々に、母の愛情を感じた気がした。

「じゃあ、手続き行ってくるね」

 母と分かれてそのまま合格者の手続きに向かおうとした時だった。

「やったー! 受かった!!」

 けたたましい喧騒の中でも、聞き慣れた、あの甘ったるい声を私の耳は聞き逃さなかった。……沙優だった。そして沙優が喜んで抱き着いた人にも、見覚えがあった。髪を伸ばして茶色く染めているが、その男は間違いなく橋田先輩だった。

あの二人、まだ付き合っていたのか。

私は受験合格の喜びに水を差された気持ちで、二人に見つからないようこっそりと手続き場所へと向かおうとした。

「あ、里香ちゃん!」

 しかし、沙優が私に気が付いてしまった。「おーい」と手を振りながらこちらへ向かってくる。さすがに無視するわけにはいかなかった。

「沙優ー」

 私は必死に笑顔を取り繕った。沙優は私が手続き場所に向かっているのを察して、笑顔をより大きく膨らませた。

「……里香ちゃんも受かったんだね。おめでとう!」

「……ありがとう。沙優も?」

「うん! 大学でも一緒だね」

 そう言いながら沙優は私の手を握る。

「……そうだね」

 私は暗い気持ちでいっぱいになった。だがその後話をして、沙優と私は違う学部だということ、校舎も別だということが分かった。沙優は残念そうにしていたが、私はホッとした。これ以上、こいつに私の人生を狂わされてたまるか。そう思った。




 この受験勉強は後にも先にも私の人生最大の努力だったと思う。そしてそれによって得られた結果が沙優と同じということが許せなかった。沙優が私と同じくらい勉強しているとは思えなかったから。……沙優だって必死に勉強していたはずなのに、私はその事実に目を向けようとしなかった。


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