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7話 駅のブルース


 



 俺はいつの間にか改札を通り抜けて、会場の最寄り駅のホームまでたどり着いていた。



 何だか息苦しい。



 知らないうちに、街の風景は水晶を通したように歪んで見えていた。



 頬骨のあたりがじんわりして、目の下が熱くなっているような気がする。



 もう立っていられなくなって、ホームのベンチに座り込む。





 反対側のホームを通過する快速がものすごいスピードでホームを通り抜けた。


 生暖かい風が俺の体を突き抜けるように横を走り抜ける。



 

 きっと瞼を閉じ損ねて目が乾いてしまったのだろう。


 歪んだ視界の端が震えて揺らぐ。

 




 泣いて、たまるものか……






 泣いてしまえば俺がどうしようもなく惨めな負け犬だと認めることになってしまう気がして嫌だった。


 誰が見ている訳でもないが泣いて被害者面をするなんて事は許せなかった。



 俺はどこまでいっても中途半端で、プライドを捨て切れないみたいだ。






「……」





 エスカレーターを降りてきた誰かの靴音。



「来週テスト!? ヤバくない?」

「いや、まだ大丈夫でしょ~」


 女子高生の楽しそうな会話。



「うん、こっちは大丈夫だから――」


 電話で話している若い女性の声。


 


 誰かが探し物をしているのか荷物を漁っている音。




 このホームにはいろんな人たちの音が入り乱れている。




 きっと大勢の人たちのそれぞれの人生がこのホームでは毎日すれ違っているのだろう。


 このホームを訪れる人の中には、子供もいれば大人もいるだろう。そして若者もいれば老人もいる。学生もサラリーマンもいる。


 他人への思いやりを持てる善人もいれば、自分の都合で人を害する悪人もいるだろう。


 明るくて快活で物事に積極的な人間もいれば、根暗で消極的で何か行動することに怯えて躊躇している人間もいる。

 

 陰惨な青春時代を送ったが今は幸せに生きている人間もいれば、学校や家という狭い世界で生温く生きてきたが社会に出て打ちのめされた人間もいるだろう。



 人それぞれの人生が歴史が考え方が交錯している。



 だが彼らは挨拶を交わすでもなく、目線を交わす訳でもなく、互いの事を何も分かることなくただ他人のまま無関心に通り過ぎるだけだ。




 そして俺もそうやって同じようにこの場所ですれ違う1人だ。




 今日が俺にとってどんなに悲しくて辛い日だろうと、世界は俺を待ってくれるわけでもなく知らぬ顔をして周り続け、通り過ぎてゆく。




 今、駅のホームにいる人たちには悲しいときに話を聞いてくれる、寄り添ってくれる誰かがいるのだろうか。


 何となくそんな事を思う。



 俺には誰もいない。

 


 今この時に自分の隣に誰もいてくれないという事実が、自分が無価値であることの何よりの証左のような気がした。





 でも



 それ以上に俺は少しだけ穏やかな気持ちになっていた。




 このホームにいる人の誰もが俺の事など気にも止めないで自分の人生を送っている。


 自分の醜悪な容姿を見たくなければ鏡を部屋に置かなければいい。


 今この場所では自分の醜い心を誰にも関知されないということが心地よかった。




 だがそれと同時に



 今は1人になりたくなかった。




 1人で悲しみだとか、罪悪感だとかを抱えるのがしんどかった。


 一時的にでも楽になりたかった。


 だから人が周りにいることで心がちょっとだけ軽くなった気がした。

 

 


 



 ジリリリリ……


「間もなく3番ホームに電車が到着致します。安全柵の内側までおさがりください」


 駅のアナウンス音が聞こえる。


 無機質な声だ。




 電車がホームにたどり着く金切り声のような甲高い音がする。




 電車に人が乗り混む雑踏の音がする。

 


 

 色んな音がまぜこぜになって、耳になだれ込んでいた。


 


 そこで一瞬遅れて気づいた。

 


 俺の乗る電車は今ホームに止まっているあの電車だ。


 ここに来て電車を待つ間の約10分間、ずっと思考に耽っていた。だから自分の乗る電車がどちら側のホームに来るのか、いつ来るのかということを失念していたのだ。

 



 だが腰を浮かようとした瞬間。



 ジリリリリ……



 発車ベルが鳴る。



「……」



 扉が閉まる。


  

「……」




 電車はそのまま俺を取り残して加速して見えなくなった。




 ホームには俺の他に2,3人だけしかいない。


 空っぽの心に風が突き抜けたようなそんな寂しい気分だった。



 力が抜けたようにまたベンチに座る。





 だが






「あっ……っ……」






 一瞬気が緩んだ隙に涙が流れ出していた。


 さっきまでは涙を溜めても決して流さぬように堪えていたが、電車に気をとられて油断したのだ。




「ああっ……う、うっ……」




 もうこうなってしまっては歯を食いしばっても、涙を押し留めることはできなかった。



 いつの時も、きっと涙は遅れてやってくる。



 全てが終わって取り返しもつかなくなって激しい感情すら過ぎ去ってしまったある時に奥底に蓋をしていた何かが溢れだしてくる。




 人を害そうなどと計画した自分自身に幻滅しているのか。


 結局最後まで何も為せなかった自分を嘆いているのか。


 あの男に同情しているのか。


 愚痴を吐ける人が隣にいないことが辛いのか。


 全部が全部、自己責任で、自業自得で、無理矢理に自己完結させなければならないことが辛いのか。


 それとも、悲劇のヒーローにでもなったつもりでいるだけなのか。


 自分は可哀想な人間だ、などと自惚れているだけなのか。





「く、そっ……」





「なんで、だよ……」





 俺のデニムのズボンに涙が一滴、また一滴とこぼれ落ちていく。





「……な、んで……」





「なんで、なん、だ、よっ……」






 自分が何を思っているのか、もう自分でもわからなかった。


 ただ何もかも全部が首を締めつけてくるようで、水の張った浴槽に頭を抑えつけられてブクブクもがいているようで、息苦しくて、窒息しそうで、溺れそうで嫌だった。



 肺や心臓がギュッと締めつけられるような気がした。



 堰を切ったように涙が止め処なく溢れ出す。


 俺は汚い泣き声を漏らさぬように、みっともない泣き顔が見えぬように気付かれぬように、シャツの袖で顔を隠すので精一杯だった。





 その後、30分ほど涙が涸れるまで俺はただ一人、ベンチで泣き続けた。












「いらっしゃいませ~」


 間の抜けたようなコンビニ店員の声。嫌に明るい蛍光灯が床に反射している。


 店内は嫌に冷房が効いていて、汗で濡れてまだ乾ききっていないシャツが体温を奪っていき、身震いすらしそうだった。


 店の中には、店員の他に休日だというのに壮年のサラリーマンが一人だけいて、雑誌コーナーで立ち読みをしていた。


 ここは大通りから外れた場所にあり、立地も悪いのだから人も少ないのだろう。


 何となく自分の姿を見られたくなくて俺はレジの前を避けるようにしてお酒コーナーへと向かった。



 安価で度数の強いとよく聞く種類のお酒を何本か買い物かごに入れる。



 次はお酒コーナーを通り過ぎて、日用品のコーナーに行く。


 大きいサイズのゴミ袋が何枚かセットになっているものを買い物かごに加える。可燃物用と不燃物用と両方だ。



 レジに持って行って決済する。



「レジ袋おつけしますか~」


「……お願いします……」


「……」



 支払いを済ましてコンビニを出る。



 家から最寄り駅までの最短コースから外れた場所にあるからここは1度も利用したこともないコンビニだ。




 そしてきっと



 もう2度と利用することはないだろう。




 駅の東口に面した大きな通り道に来た道を引き返すようにして戻る。


 俺のアパートは丘の上に位置していので、駅の方から家までは緩やかな坂道を登って行かなければならない。


 こうしている間に日が落ちてきていた。


 太陽の沈む茜空も紫色に浸食されつつあった。


 不安になるような、それでいて恐ろしく美しい色だった。


 よく名前の分からない夕闇に住む鳥の鳴き声、長い坂を日が落ちて気温が下がったのを肌で感じる。




「……」




 15分ほど歩けば、俺の住むコンクリート3階建てのぼろアパートが見えてきた。


 




 だが、俺はその前を素通りする。






 俺にはまだ最後に――




 やらなきゃいけないことがある

次話で完結です。

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