第4話
が、ここでめげるわけにもいかない。納得できない。ひと言あやまれ。少女の本音としてはそう言い放っていまいたい。
ところが気が削がれてしまった。そこはおぶけさまの素なのか心得なのか、いちいち細やかに反応しない。親切しない。ほったらかしであの面だ。
そうされると妙なもので、急にバツが悪くなってくる。そんな性根が疼きだす。これがこわい。ガタガタする。ギャン泣きして大人を困らせるわるい子というやつで、殺しにかかるくらい抑えつけておかなければ命の怯えを感じるくらいだ。
それだのにビンタをかましてしまった。大人を相手に、一発とはいえ力まかせに、思い切り、だ。昏倒したいほど悔やまれる。今はカエルでも怒らせれば鬼か蛇か化け物か。それが大人だ。歯向かったところで到底勝ち目がないのは、前前前世からあきらめている。
となれば、今は辛抱が吉だろう。大人の都合に寄せればいい子だ。カタチしおらしく、わかったようなフリでやり過ごすのだ。そもそもこちらはただの子ども。まともな関心など無いはずだから、案外にころっと騙されてくれる。きっとそのはず。そうやってずっと息をしてきた。
(この憶えは、いずれ)
おとなになったら…! と、少女は前前前世から来来来世にわたる息の長い算段を終わらせた。
「あの…」
と上目。
「ありがとうございました!」
ぺこりとお辞儀。顔を上げたときには腹がすわった。膝をそろえて向き直った。
「たすけていただきまして。その…」
「…」
「クビをくっつけていただきまして!」
「…」
「あの…ぅ…」
………と、おぶけさまの横顔が微妙にわらった。が、すぐ消えた。少女には目も呉れず、袂から煙管を取り出した。
たっぷりひと息。
ぷわっと空に向かって吐き出したのは煙…ではなく、
(シャボン玉???)
呆気にとられる少女にかまわず、シャボン玉はのびのび育つ。風にふくらむ。長大な龍体となって昇り出す。上へさらにまた上へと天を蔽って満ちてゆく。
キラキラと霧のような雨がふる。
山野に虹をかけてゆく。
雲間から大きな瞳をのぞかせる。青銀色の氷河をたたえる。おそろしく澄んでいる。見上げる少女の目とぴったり見合う。
瞬間、チカッと光った。雷光がほとばしって雲を裂いた。少女目がけて矢の雨となって降ってきた。
(ひぇえっ!?)
と少女の膝がはねる前に、おぶけさまの片手がうごいた。おおらかに天を薙いだ。大気がうごいて雲が巻く。宙まで流れる。眼前いっぱい、巨大な渦があらわれた。
その中心へ、その向こう側へと、雷矢は引きつけられる。ぐんぐん透ける。すべてが音もなければ形もなくなる。一切合切うしなわれてゆく。
その内のひと筋を、おぶけさまはちょいとつまんで引っ張り出した。魚の尾ひれでも捕らえるようだ。バチバチと暴れて跳ねるのも気にしない。分厚い掌で包み込めば、ギュギュギュッとむすんでひらいた。くり返し何度かやって玉をつくった。そこらへんの小枝を拾い上げると、先っちょにブッ刺して少女にくれた。
(わああっ、りんご飴!!!)
紫電を放つのを大目に見れば。
「塩梅はどうだ」
「あぁあ熱っ! ぶぶうっ! なにこれ苦っ!」
「わあっはっはっはっはっはっ!」
「でもなんかヤバッ!? お口がパチパチ! のどがビリビリ! クセになりそう!?」
「そいつはよかった。まあ、それ。あれだ。オレが言うのはそなたのクビな」
「はっ」
と少女は口をぬぐった。だいじょうぶですと首をおさえた。赤くなったり青くなったり、それとは別にそこそこ可笑しい。クビが落ちたりくっついたり、変なものを見たり食ったり、「だいじょうぶ」も「塩梅」もないはずだがそこは今さら。
さて少女困ったぞと、少女は目線を泳がせた。このりんご飴(?)をどうしたものか。
「…あの、ひと口いかがでしょう」
よろしければと畏れながら、
「こちら側でしたら口をつけておりません。わたくし、あの、もう胸いっぱいで」
「んむっ」
と、おぶけさまはまさかの丸呑み。刺していた棒ごといった。太い喉がごきゅんっと鳴った。どんっと腹が暴れて、げふっとゲップ。紫の煙がただよった。
「なんぞその顔」
「こういう顔です」
「へーえ」
「あ」
「あ?」
少女はやっと気が付いた。
(このひと、さっき爆笑したな)
それがちっとも嫌でない。そんなことが少女の胸には変に堪えた。嘲笑いには慣れすぎるほど慣れているから、いっそそれでお願いしたい。尻のあたりが落ち着かない。それでいてよくとおる鼓の音を聴くのに似て心地よい。そんな自分には逆らえない。いつの間に心がほころぶ。言いたいことを言いそうになる。思いがけず笑い出しそうにまでなってくるのが、少女は息苦しくてたまらない。
「小用か」
「ちっ、ちがいます!」
ぶしゃっとクシャミ。あわてすぎた。鼻水まで飛んで垂れたが、おぶけさまは笑いもせず懐紙をくれた。
(あ…いいにおい)
わけもなく泣きたくなった。ちんっと鼻をかんでごまかした。
(あぶない、あぶない)
大人相手に不用心きわまりない。
少女はわざと取り澄ました顔をした。
「おぶけさまこそ…」
「ん?」
「その、だ、だいじょうぶでございますか」
「んん、まあな」
おぶけさまは煙管をしまった。
「腹はまずまず丈夫な方よ」
「ではなく」
「???」
双方、会話がいまひとつ噛み合わない。
「つまり、えっと、その、気になっておりまして。わたくしが噛んでしまった御肩とか…目玉とか…」
「ビンタとか、な」
「そッ」
「そこ」
と、おぶけさまの手がとどめた。少女の座る敷物の縁を指差した。
「その内より外には出るな」
「は…」
「立つなとまでは申さぬが、ちんまりしておれ」
「あの…なにか」
「そろそろ来よる」
「な、なにが」
「厄介なのがよ」
「もしやあの黒いものども」
「あれは」
おぶけさまは軽くわらった。
「かわゆいものよ」
「か、かわゆい」
(あれが??? どこが???)
思い出すのもためらわれると、少女は鳥肌を強くさすった。
「まともそうな顔をぶら下げたやつほど厄介よ」
心しておけと、おぶけさまはゆらりと立った。燈心に火が立つようだった。
「そこから出るな。なにがあろうと」
「なにかあるのでございますか。どこへゆかれますか」
「オレはどこにも」
「たわむれはもうたくさんでございます!」
おぶけさまは笠をとった。少女の頭にちょんと載せた。
「紐は結べるな」
「はい。あ」
すでに居ない。
「は、は、はくじょうもの!!!」
うそつき、ばか、ひとでなし。
思いつく限りの罵詈雑言を叫べども喚けども、丘は丘。林はしずかで空は薄青。雲の群れに陽がにじむ。変わり映えのないただの朝だというのが相当こわい。
かぶせられた笠が傾いた。
少女は急ぎ紐を結んだ。ふと足もとの陰影に目がいった。
上を見た。
雲がまったくうごいていない。