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ハナサカ  作者: 水也空
3/9

第3話

 「あのっ」


 と少女はそれでも粘る。ホッとした途端に訊きたいことが山ほど出てきた。

 が、勢いでブッ飛ばされる。好奇も不安も景色といっしょに横っ飛びに飛んでゆく。さらにぐんぐんと加速してゆく。谷を吹き下り、あるいは巻き上がり、山の木立はすり抜ける。川の水は自ずと退く。ついには尾を引き消えてゆく。墨が水に流れるのを眺めるようだ。


 (つむじ風になったみたい)


 少女はぐるぐる目を回す。驚くより圧倒されて青息吐息だ。骨の髄まで溶けてしまう。どさりと大地におろされたところでなかなかカタチにまとまらず、しばらく声も出なかった。


 (あああ…)


 それでも光が射すのがぼんやりわかった。

 丘の上で、まわりは林。縁取る空は薄青だった。

 新鮮な空気が肺腑に満ちた。

 鼻腔を湿らせる土の匂い。露を含んだ草葉の青っぽい匂い。ほのかに甘酸っぱく刺すようなのはタムシバの花の香か。ずんずん沁みて、五体が透きとおってゆくようだった。それではじめて気がついた。


 「うわ臭ッ!」


 屍臭に腐臭、それに骸の焼ける時の独特の臭いがうわっときた。ほかでもない自分の臭いだ。羊の生臭みをもっと強烈にしたやつで人も殺せる。これが肌やら髪やらに悪霊のようにまとわりついて離れない。こすっても落ちない。叩いても仕方がない。着物を()てて丸裸になってみたところで変わらない。やすやす祓えるものでない。急に光が絶えて(くら)くなったのには嘔気にかまけて気づけない。

 少女は吐けるだけ吐くも止め処がない。やめられない。このままでは内臓まで吐き出しそうだ。なんとか堪えようとしてなおわるい。涙と鼻水、それに脂汗がダダ洩れで七転八倒。そこへ、


 「ふぎゃっ」


 滝の雨が叩きつけた。

 瞬時に止んだ。

 少女はしたたかに打ちのめされた。白目になった。それほどの仕打ちで半分死んだ。が、


 「!」


 と跳んで後じさり。気配に敏いのが幸か不幸か、おちおち死にかけてもいられなかった。


 (だっだっ誰っ!?!?)


 細面の女人がひとり。白拍子姿をしてそこに居た。月影を背に銀にかがやく。これが微かにもうごかない。息をしているのかもわからない。天女の塑像(そぞう)が立つかのようだ。その眼差しは瞬きもせず、水面のように少女をうつす。垂れ髪が風にそよぐ。顔が隠れたかと思いきや、次にあらわれたのは老翁だった。

 雲をかぶったような頭に、白髭は胸まで垂れる。よく日焼けした皺深い顔は松の木肌を思わせる。女人とちがってニコニコしている。おもむろにひと足踏み出し、扇を開く。くるりくるりと回して遊ぶ。扇絵の胡蝶がつぎつぎに飛び出す。鱗粉をぱちぱち散らす。少女のまわりで戯れて唄って星となる。

 うわわわっと払いのけて、少女は逃げた。

 その先には青い焚火。向こうに禿(かむろ)がうずくまる。よくよく見れば、少女と瓜二つの顔をしている。それが白玉を串にして頬張っている。なにかの目玉のようにも見えてくる。てらてら光り、うにょうにょ動く。()んでも食んでも泡が湧くように()えてくる。禿は面白がってケラケラわらう。立ち上がって、少女に串の一本を差し出してくる。

 棒立ちの少女はなにも言わない。言えやしない。串に目をやったきり顔面蒼白。いまにも引っくり返って卒倒寸前。そんなところか。

 …と、禿は小首をかしげた。思案気にうつむいたが、嗚呼と手を打ち敷物をひろげてみせた。その上に少女を手引いて座らせた。串はひっこめて、かわりに(ひさご)を差し出した。


 「え」


 少女の顔がきょとんとした。目の前の瓢をしみじみ眺める。いつの間に座っている自分にそこで気づく。着衣まで真新しいのにあたふたする。素裸だったのが小袖に軽杉(かるさん)。飛び模様の梅花が開いたり閉じたり。これが一番ぎょっとした。

 それにしても何がどうやら、まったくもってわからない。どうしようもないが、となりの禿もまたピタリと動かない上に物も言う気色もないから、向ける顔にこまってしまう。なにかを言おうと口が開く。

 そこへ瓢の吸い口が突っ込まれたからたまらない。大いにむせたが、注がれる清水の冷たさに生き返る。渇き切っていたことをようやく知る。途端、玉粒の涙が噴いて出た。疲労、それにワケもない感情という感情が嵐となって耐えられず、しばらく無心でわんわん泣いた。あとは急に落ち着いた。


 「小ざっぱりしたな」

 「はい。ぶっ」


 少女は思いきり水を噴いた。はずみで相手の頬をビンタした。


 「化かしたなこの人でなし!」


 うふっと、おぶけさまは頬を撫でた。禿など当たりまえに居やしない。もちろん老翁も、白拍子も、この人の気もわからないヒトデナシの詐術か妙技か冗談か。いずれにせよ良いご趣味だ。

 見渡せばもとの丘。林はしずかで空は薄青。多少なり雲はふえてはいたが、太陽は白けるほど明るく風はさわやか。何でもないただの朝に違いないが…


 (…なにものだろう、この御方)


 ブルッと少女は肩をすぼめた。

 今ここさえ夢か現か、嘘か真か。その両方あるいはどちらでもないものか。この手の正体は探れば探るほど自ら沼地に浸かるようなもので、止すのがいい。触らぬ神だと、本能の警鐘を遠くに聴きつつ、少女の胸はザワザワと落ち着かない。

 片やおぶけさまは、ぼやっとしている。少女の剣幕にもどこ吹く風。敷物の外を選んでゆったりしゃがんだ。草の芽をつまんでもぐもぐしている。なにを思うでなし考えるでなし言うでなし、煙ったような風情で相手にならない。

 これには少女の方がイラッとくる。さんざん脅かされたあとのこともある。たかが子どもと侮られたか。弄ばれたか。どういうつもりか検めたい。子どもといえども次第によっては怒りますよと、少女はムカッ腹を抑えきれない。


 「あのッ、ひと言申し上げたく。わたくし」

 「ん?」


 と言うように、おぶけさま。空を向くカエルのような面だった。


 (なんだこのひと)


 これが大人のやる(かお)かと、少女はあきれた。力という力が抜けた。怒りも緊張もやる気のないゴムのように伸びてしまった。

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