4.私の育った村
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ネックウォーマーの上に唯一持っているお洒落な「LIFE」の文字が刻まれた厚手で灰色の長袖とクリーム色のフード付き上着に同じ色のマフラー。白色の長ズボンに長めの白靴下。そして白の手袋を着る。これでやっと準備万端だ。
ここまでしないとティアトナの冬では普通の人じゃない限り死んでしまう。
お母さんの場合は防御魔法とかいうチート魔法で寒さそっちのけで海に行ったりしてたけどさ。
カバンとか、そういう類の物は普通出歩いたりしないから持たない。しょうがないじゃない。こんな事になるなんて思ってなかったもの。
玄関から外に出ると、一昨日位に降った雪がまだたんまり残っていた。昨日から多分減っていない。それだけ冬が厳しいと、家から出たくなくなる日なんて山程ある。
デロスは元々冬が厳しい国ではあるけれど、時にここ、ティアトナでは−40℃にも達する。そんな日はそもそも部屋からも出たくない物だ。
外に出て間もなく山の方から北風が私の頬を針で刺すように激しく擦り、通り過ぎると次はドアをガタガタ軋ませる。
うるさいな、と思いつつ、この家の歴史を思い出してみる。
この家ができたのはお父さんが産まれるずっと前。ひいおじいちゃんが別荘として購入した物らしい。
そして、お母さんが狭い、と言ってたから家を増築して、大豪邸に仕上がった、という感じらしい。
だから玄関なんかは古くなってガタが来ている。
「もうこっちもリフォームしちゃった方がいいんじゃない?」お母さんは質問する。そっか、話聞こえてるんだっけ……
まあ、気が向いたらね。特に今問題が起きてる訳でもないし、まだ使えるだろうから。
しかし、その意志とは反してドアはそよ風でもキリキリと軋み、鍵を掛けているのにも関わらず半開きになる。
「やっぱり駄目じゃん! 変えよ変えよ!」
いや、まだ、まだ修理すればきっと使える!
「頑固だなあ、アスナは」
それはお母さんも同じでしょ。
軽く笑い、焦点を現実に引き戻す。一つ、ゆっくりと溜め息を吐くと、水が飽和して空気が白く濁る。そして、最寄りの山から流れてくる乾燥した風に吹き飛ばされて空気に混じって消えていく。
吐息の行く末をぼーっと見つめていると、家の隅から雪を被って小さく咲いた一輪の花が見えた。アカツメクサだ。
アカツメクサの花言葉には「上品」という意味がある。他にも「勤勉」や「善良で陽気」があって、ポジティブな花だと小さい頃から思っていた。
でも、何か可笑しい。普通アカツメクサは初夏や夏に咲いて、冬には咲かない。……まあ、強く生きてる証拠だろう。「実直」という花言葉には反しているけど。
この村、ティアトナを囲っているのは、鬱蒼とした木々の生えている「生きた森」だ。そして、またその周りを淡々と聳える山々が囲っている。
ふと連なっている山の方を見上げると、それらは山肌を浮き彫りにして、他者からの意思疎通を許さないような佇まいを見せている。また、他者の侵入を拒絶するように稜線はほぼ垂直だ。草の一つもそこには生えていない。
その為、周囲の村、そしてデロスからは隔離された秘境のようにひっそりとそこに存在しているのだ。つまり、デロスの中でも一際異質な存在だ。
もしかしたら、それを逆手に取ってお母さんはここに移り住んだのかもしれない。となれば、それは賢明な判断だった。ここに来る人は他国の者は疎か、デロスの者すらここには来ようともしないのだ。
それが、全国を旅し、世界地図を作り上げようとしている者だとしても。
美しく、威厳を放つ山に見入っていると、「どうだ、アスナ。やっぱり、少し緊張してるのか?」赤色の長袖と黒の長ズボンをバッチリ着こなしたお父さんが私に話しかける。
元々お父さんは寒さに強いらしいけど、流石に−20℃とかで上着も何もなしっていうのは完全に猛者じゃない。産まれも育ちもこの村ティアトナらしいから寒さに強いのは分かる。でも、いや……やっぱりお父さんどうかしてるでしょ……
「緊張? ううん、その逆。今から行くデロス街には、何があって、どんな事ができるんだろうって、ワクワクしてるの! その興奮が抑えきれなくて」
「そうか、なら……良かった」
お父さんはあの山のように威厳のある顔を少し緩めて口角をほんの少し上げる。
私のお父さん、ズニエア・テオール、39歳。鍛冶屋である。19歳の娘がいるのに若すぎでは、とか言われそうだけど、この国デロスでは16から成人として誰でも結婚が許される。つまり、高校生の夫婦とかが当たり前なのである。
だから、私の両親は、全体的に見たら子供が産まれた歳が早い方だけど、そんなに変な訳じゃなく、至って普通という事だ。
ていうか、今私は誰に向かって話してるんだか……
「いやー、ズニとは18の時なんかは、まあそりゃあラッブラブでもう濃厚で__」
はいはい自慢話は受け付けておりませーん。
「えー、こっからがいいとこなのにー」
もう四年前に嫌ほど聞かされてるから覚えてるって。出会って2年もしない内にお姉ちゃんが産まれたんでしょ?
「正解。ちゃんと覚えてたのね」
当たり前でしょ。一日一回は必ず聞かされてたんだから……
お母さんは幾つになれどかまってちゃんなのは治ってないらしい。もう歳を取る事はないから、それはつまり一生治らないのと一緒。これからはあの騒がしい日常に私だけが戻っていくんだろう。
「いやいや、私はかまってちゃんなんかじゃないって!」
それは流石に無理あるよお母さん。
「何をー!」
そうやって頭の中で話していた時、私はお母さんとの会話に夢中になっていたようで、すっかり街の事を忘れてしまっていた。
それにお父さんは気付いて「アスナ、ぼーっとするな、体が冷えるだろう。これからデロス街に歩いて行くんだから、少しでも体を動かしておかないと……」と注意。
私は生返事をして渋々ストレッチを始めた。
だけれど、厚着をしているせいでストレッチがし辛い。四肢の行動範囲が狭まってなんだかぎこちない動きになってしまう。
これじゃあ温まる物も温まらないぞ、と次はジャンプして体を温めようとしてみる。
何回か跳んでいると、今度はマフラーが首からスルスルと落ちてしまった。
結果、逆に首周りに風が容赦なく猛烈に吹き込んで体温が下がる。それも数秒、短時間でだ。
「はあ……全く、先が思いやられるな。ここは馬車も通っていない。だから道中何が起こるか分からん。15分程度とは言え、デロスまでに魔物が出ないとも限らない。細心の注意が必要だ」
「了解です! 隊長!」
そう言って地面に落ちてしまったマフラーを拾い上げて首に巻き、うろ覚えで敬礼のポーズをする。今の私にとってお父さんは心の拠り所だ。敬礼したって問題はない。
「隊長? ……まあいい。そろそろ行こうか、アスナ」
「うん!」
何だか今日のお父さんはやけに良く喋る。いつもは無口であまり喋らないのに、しかもちょっと上機嫌そうだ。内心、私が街へ行く事を決めたら喜んでるのかもしれない。
「そうだと、いいわね」
お父さん、なんだかいつもどこか遠くを見る目、してるもんね。
お父さんは、お母さんが亡くなった日から変わってしまった。必要な事以外は喋らず、顔は笑えど目はいつも暗く、ハイライトがなくなっていたようだった。
お母さんが生きていた頃は、とても明るくて、生き生きしてて、幸せそうだった。
もし、私がお母さんと話せる事を知ったらどうだろうか。お父さんは元に戻るだろうか。
話せる、とは言っても、お母さんの姿が見える訳じゃない。ずっと電話しているような感覚だ。お父さんはお母さんに会いたがっている。
そんな中、話だけできるこのペンダントをお父さんに渡したら、逆にお父さんがもっと壊れてしまうんじゃないかと不安になる。
今はまだこのペンダントを渡すべきじゃない。いつか、私がお母さんを現実に呼び出せるような、そんな魔法を使えるようになるまでは。
そう思ってデロス街への第一歩をお父さんと踏み出した。
私とお父さんの白い足跡は、勇気と希望で満ち溢れているようだった。