3.今日は決断の日
テーブル近くの窓から朝日が差し込み、バタートーストが光を反射し、財宝のように輝く。山盛りサラダと牛乳もまた然り。
バターがお皿に垂れないよう気を付けながら出来たてふわふわ熱々のトーストをいつもより頬張って口に詰め込む。耳はサクサク生地はもちもちである。つまり最高、だ。
今食べているパンは、デロスの街、略してデロス街の凄く賑わっている方に一店舗だけ構えているパンと言えばここ! と言われている超人気高級店、「輝」のパンだ。
毎日行列ができては毎日完売する人気っぷりらしい。時には深夜から並んで買いに来る人もいるそうだ。
そんな「輝」の名前の由来は店長のアカリさん曰く、どんなお店のパンよりも輝く最高のパンを作りたい、という思いかららしい。競争心が強いのはいい事だ。
それはさておき、何でそんな超人気店のパンをこんなに優雅に食べれているのかと言われそうなので一応説明しておこう。
私の姉、ユーラ・テオールは昔から人気者で、しかも小学生の時から剣の才能があったとお父さんは言っていた。それだから、色んな所で有名になり、いつしかアカリさんとも知り合ったらしい。
そして、お姉ちゃんはアカリさんの夢であるパン屋を開く事を知った時、ふと思い付いてこんな約束を中学三年生の時にしたらしい。
「パン屋がオープンしたら、私が最優先客な!」「分かった、約束!」
と。毎日パンを作って忙しいのに、お姉ちゃんにだけは必ずパンを提供してくれるアカリさんは優しい人だなあといつも思う。そのお陰でこんなに美味しいパンが大体毎日食べられるのである。……まあアカリさんに会った事は一度もないけど。いつか会えたらお礼ができるといいな。
という訳で、毎日行列ができる輝に優先的にパンを買いに行けるよ、という話でした。
多分何でお姉ちゃんだけ優先されてるんだって誰かが妬んでそうな気がする。多分。
「やっぱアカリんちのパンは最高だよな! そうだ、アスナ、今日デロス街に行ったらどうだ? 先生になるってのはもう決まったようなもんだしさ! それに、まだアカリに会ってないんだろ?」
「へ!? はひ!?」
いきなり過ぎて口に詰め込んでいたパンを吹き出しそうになる。
これでも高級パン! 一つも無駄にできない!!!
ならばと牛乳をせかせかと喉に流し込む。けれど、それが仇となり急に食道に押し寄せたパンが呼吸困難を引き起こす。
ヤバい、い、息ができない……苦しっ……
これは死んでしまうと思い、鳩尾を軽く叩く。苦しすぎて左手がプルプルしたけど、何とか堪えて飲み込んだ。
「はあ、はあ……危ない、死ぬとこだった……」
「大丈夫かアスナ!? すまない、驚かせてしまって悪かったな」
荒い息をしたせいで少し咳き込む。何だか今日は朝からぐったりするなあ。
「急にお姉ちゃんが街なんて言うから……まあ、いつか街に行かざるを得ないのは承知の上。けど、流石に今日行くのはどうかしてるんじゃない? まだ私この村出た事ないんだよ? それに、きっとお父さんも心配して__」
「その件については、大丈夫だ。安心して街へ行ってきなさい。父さんもアスナが先生やってる姿が見たいからな!」
と、少しドタドタしながらメガネを掛けたお父さんが降りてきてお姉ちゃんの隣に座る。多分話をこっそり聞いていたんだろう。それで慌てて降りてきたんだろうな。
「本当にいいの? 私、常識とかもしかしたら普通の人と違って変に見られるとかあるかもしれないし、それに、買い物もマトモにできない。とても私には行けそうにないよ……」
産まれも育ちもこの村、ティアトナ。知人はこの村の人しかいないし、地理もこの辺にしか詳しくない。
しかも、街に行けば「顔めっちゃ似てる! 絶対勇者の子供だ!」って勇者認定されるに違いない。魔力操作しかできない16歳が勇者!? そんなの絶対駄目だ! やっぱりもう少し後から街に行かないと、私にはまだ心の準備というのができていない。
「アスナ、心配すんなって。大丈夫。私も同行するし、もしもの事があれば私に何でも頼ったっていいんだ。私はお前の姉ちゃんなんだからよ! きっとお前が母さんに似てるなんて誰も気付きやしないって! 心配し過ぎると体に良くない。もう少し自信を持ちなって!」
いやいや、お姉ちゃんがいると逆に目立ちそうで怖いんですケド!? 国の三大剣士だよ!? そんな人に付き纏ってたら注目されるの不可避だって!!!
「お姉ちゃん自分の立場分かって言ってるの!? 国の三大剣士が街をウロウロしてるとこなんて見られたら確実に人が集まっちゃうじゃん! そしたら私が似てるのも気付かれるし……お姉ちゃんはお母さんの娘だ、っていうのは公表してないんでしょ? だったらお姉ちゃんにも疑いがかかるし、付いて来るならお父さんかアスカじゃなきゃ心配だよ。もうちょっと色んな視点で考えてよ……」
と、私がグチグチ言っているとお姉ちゃん「あ、アァ……」と言って白目を剥きかけていた。また私の悪い癖だ。一回ダメ出しすると止まんなくなっちゃうのは誰に対しても失礼だろう。デロス街に行く時はそんな事ないよう静かに、目立たず探索しよう。
「そうだな、アスナの言う通りだ。なら、街へ行った事のあるアスカはそれでもまだ幼いから、今日は父さんの出番って事でいいな!」
「ちょっと待って、何で街に行く前提で話してるの!? まだ承諾してないんだけど!?」
いくら魔法の才能があるのが分かったからって、今日早速街に行こう! と乗り気にはならない。今まで行った事のない何もかも新しい場所だ。
この辺は田舎だから、ビルなんてないし、そもそも5m以上高い建物は電波塔と電柱位だ。お店もそんなお洒落な洋服屋とかデザート屋なんて物もある訳ない。つまり、私にとってデロス街は未開の大地そのもの。
知らない物、知らない事だらけで頭がクラクラしてしまうだろう。だから、予習の時間も設けた方が絶対いい。絶対いいんだけど……
実際、私も最近デロス街に興味が出てきたのだ。お姉ちゃんのデロス街での土産話。そのどれもが私にとって未体験であり、ワクワクのそれだった。
食べた事のない食材、見た事のない人種の人、やった事のない遊び、数えきれない位色々ある。私ももう16歳。そろそろ巣立たないと行けない頃合いなのかもしれない。
魔法の才能があったのも何かの縁だ。そうだ。きっと何かの縁。……それなら今はこの縁に従ってみる事にするよ、お母さん。
「そっか、やっとアスナにも故郷を離れる時が来たんだね」
うん。私、行くよ。デロス街に。
「それで、アスナはどうしたいんだ? 承諾するのか? きっといい経験になる筈だ、一回は行ってみてもいいんじゃないかと父さんは思う。まあ、全て決定権はアスナにある。行こうが行くまいが、父さんには関係ない。だが、そろそろ親の引いた線路の上を歩くのを止めたっていいんじゃないか?」
今のお父さんの言葉には私にとって凄く説得力があった。つまり、私がデロス街に行くのを後押ししてくれた。
もう心に決めた。私はもう戻らない。先生になる事を決めたのなら、何も恐れずに全てを受け入れ、いつか凄い魔法使いにもなって、凄い先生になってやる!
「行く! いや、行かせて! デロス街に!」
「見違えたな、アスナも。じゃあ、ユーラはアスカと留守番、頼んだぞ」
「はーい……」