1.今日は誕生日
二十二年前、魔王は剣の国デロスの勇者によって討たれた。死闘であった。
人々は歓声を上げ、勇者の名を叫び、喜びを分かち合っていた。
名は、アスラ・マレア。歴代の勇者の中でも特に稀な女性であり、なんと十八という若さでその偉業を成し遂げた。
アスラの髪と瞳は、全ての緑の中でも一層輝いて見え、その美しい容姿と色から、大地の守護者の二つ名を持っていた。
そんなアスラの功績は瞬く間に世界に広まり、伝説となる。
魔王を倒したアスラはその後冒険者を引退し、一般男性と結婚。アスラ・マレア改め、アスラ・テオールとなった。
三人の娘を抱えるようになったアスラは、デロスの外れにある集落で平穏な暮らしをし、時には娘達を特訓させる事もあった。それ以外は何の変哲もない優しい母親だった。
だが、そんな事はもう昔話。
次女のアスナ・テオールは今日で十六歳、成人である。
皆が私を見つめ、その時を今か今かと待っている。
盛り上りが最高潮に達した時、蝋燭の火を吹き消した。その時、ビリビリと脳裏に電流が走って走馬灯のようにあの日を思い出す。
お母さんがペンダントをくれた、最後の贈り物の日を。
その日は丁度十二歳の誕生日の前日。指先が痛む真冬の時期にお母さんのいる病院へお見舞いに行った。
何度も訪れ、病院まで一人で行けるようになってからは、毎週一回は必ずお母さんの元へ向かうようになっていた。
病院に着くなり暖炉に近付いてほっと溜め息をつく。
受付を済ませ、お母さんのいる入院室へと向かう。何度も来ているせいか、ここの患者さんとは仲がいい。
お母さんの部屋の近くにいた患者さんと軽く挨拶をして、ドアノブを持つ。そして、ゆっくりとドアを開いた。
「お母さん。今日は体調、大丈夫?」
ベッドで寝たきりのお母さんに話しかける。
この声掛けは私が来た合図としての役割も果たしている為、毎回体調を聞く。お母さんも私と話すのが楽しいのか、飽きずに毎回付き合ってくれている。
数年前までは体調を聞くなんてせずとも元気だと分かる程私としゃいだりしていたのに、今では歩く元気もないらしい。
「大丈夫。元気いっぱいよ」
お母さんは今、「がん」っていう病気と闘っているらしい。そのせいか、体は痩せ細って、前まで綺麗だった髪の毛の光沢や色も落ちて、そして沢山の長いチューブに繋がれ、独りそのベッドに座っている。お母さんは何だか元気がないようだった。そのせいか、病室全体が暗く淀んで、埃っぽくて、空気も悪いような気がした。
私にはお母さんの元気をなくすそれが何なのか分からないけど、きっとお母さんを困らせている悪い物だ。
昨日はとても苦しそうだったけど、今日は元気そうで安心した。
「お母さん。がんに負けないで! 私が大人になったら、きっとお母さんを助けてあげるから!」
そう言うとお母さんは笑顔になってこう返す
「私を助けてくれるのね、ありがとう。じゃあ、はい、あなたに贈り物」
お母さんはそう言って、ベッドの横にある小さいチェストから茶色の箱を出して渡してくれた。
何かと思って箱を開けると、青色の宝石がはめられたペンダントが入っていた。
「ペンダント? もしかして私にくれるの!?」
驚いた。お母さんが何もない日に贈り物なんて珍しい。
もしかしたら、お母さんは私の誕生日が待ちきれなかったから早めの誕生日祝いをしたいのかもしれない。
早とちりやな所は病気になった今でも健在だ。
「そうよ。これはあなたの物。大切にしなさい。きっと、それがあなたの心の支えになるから」
「分かった! ずっと大切にする!」
ペンダントを首にかける。心なしか、お母さんの緑色に輝く目が悲しそうだった。不思議だと思いながら、その日は家に帰った。
次の日の早朝、お母さんは天国へと旅立った。「がん」の急速な悪化による物だった。
その話を聞いた時、頭から爪先まで全てが凍りつくような不安感と悪寒に襲われ、その場にうずくまるしかなかった。葬式は家族だけで執り行われた。
もっと話せば良かった。もっとお母さんと一緒にいたかった。まだ、大人になって助けてあげられていないのに。
「そんなの、ずるいよ。お母さん……」
誰もいない家で一人ベッドの上で蹲って泣いた。私だけ葬式には行かなかった。まだ現実を受け止められなかった。
ペンダントを抱き締める。何で、分かってあげられなかったんだろう。最後に、何か出来た筈なのに。
自分が壊れそう。でも、お母さんは多分それを望まない。
この部屋に漂う暗闇が、私を連れ去って行けばいいのに。何かの手違いで、お母さんの元へ行けないかな。
なんて、叶わない事をグルグルと頭の中で考える。
ふと気付いた。何か違和感がある。胸が締め付けられるような、そんな気分。
あれ、息が出来ない。上手く、息が吸えない。まさか、本当に私を連れ去ろうとしてるんじゃ……助けて、死にたくないよ。助け__
「大丈夫。私はあなたの側にずっといるよ」
お母さんの声がした。息切れがする。汗もかいて服がびしょ濡れだ。
今の時間だけ少し現実とは違った何かを感じた。世界が歪んで生まれたような、そんな時間だった。
振り返ってお母さんがいるか確認する。勿論誰もいない。見えたのは幼少期に撮ったお母さんと私達三姉妹が写った写真だった。そして、夕焼けのオレンジが染み付いたようにそこだけが陽に当たっていた。
何が起きたか分からない。でも、今行動しなければならない、そんな気がした。
泣くのを止め、涙を拭き、ペンダントを首にかけ、立ち上がる。
お母さんの分まで、いい人生を送らなくちゃ! そう思って外に出た。
◇◇◇◇
あれ? 今私はドアを開けた筈。目の前が真っ暗だ。
暗闇の中で遠くから「おーい、おーい」と、聞こえて来る。私を呼んでいるみたいだ。でも、その声はどこから来ているの?
「おーい、おーい」
誰? 誰が私を呼んでいるの? ねえ、答えて。誰が私を__
「おーいアスナー? ぼけーっとすんなよー? 今日はお前の誕生日アンド成人式だろ? 妄想に耽るのはいいけどさ、私達を置いてけぼりにはしないように、な!」
お姉ちゃんのその言葉ではっとした。そうだ。今は私の十六歳の誕生日パーティーと成人式を並行してやっている最中だ。机の上には食べ物の山。お肉なり、野菜なり沢山だ。真ん中には後で食べるホールケーキ。部屋は飾り付けしてキラキラしている。
それに、暗いのは蝋燭の火を消したからだった。私はさっきまで何を考えて……?
「ったく、電気付けたら無表情になってると思ったらまたか? ……母さんの事、考えてたのか」
私はお母さんの事が大好きだ。だからペンダントは一日足りとも外した事はないし、外そうと思った日もない。
だから毎日お母さんの事を考える。もし今もお母さんが生きていたらどんな生活を送っていただろう、と。
「う、うん……」
少し強めの口調で話すこの人は長女、ユーラ・テオール、十九歳。私の三つ上で、いつも明るく、良く背中には大剣を据えている。今は流石に外しているが。
お姉ちゃんには良く私の考えている事を当てられる。今のだって正にそうだ。
お姉ちゃんだから私の考えている事が分かるのか、それとも私の考えている事が分かるからお姉ちゃんなのか、真相は定かではない。
そして、身長はなんと175cmもある(目分量)。褐色の肌で、瞳と髪は真紅の赤という言い方が相応しい。
髪は闘い易い方がいいのか、短くしている。そして、お姉ちゃん自体髪にそれ程興味がないのか、いつもボサッとしている少し気に食わない。
だが、お姉ちゃんかなりの美人なのである。正に容姿端麗。普通の人から見れば、非の打ち所がないのである。
そんなお姉ちゃんは、昨日までなんと私より四つも上だったのだ。でも、そうこうしていると再来月にはまた四つ上に逆戻り。ならばお姉ちゃんの誕生日まで三つ上をしっかり満喫するとしよう。
お姉ちゃんは、時には今のように人に寄り添い、話を聞いて励ましてくれる。お姉ちゃんであり、そういう人でもあるからこそ、私が一番信頼を置いている人だ。
そして、簡素な服装と目元が何とも私のお父さんを彷彿とさせる。見比べたら本当に親子だなあと感じる程に一緒だ。
でも、そういう私は究極のお母さん似である。私の身長は162cmで、お母さんと4、5cmしか変わらない。
声も、性格も、顔も、目も、体型まで、何から何まで似ているせいで、お姉ちゃんや妹のアスカ、お父さんからはクローンだなんて言われる始末。
そんなに似ていると心配する事が一つある。
それは、お母さんはまだ生きていて、魔法で不老不死になっているという迷信を信じている人達が集まる街中に私が行ってしまったら大変な事になるのでは、という事だ。因みにこの事を危惧し、街へは行った事もないし見た事すらない。
しかも、私が勇者なんて似合わない。私はひっそりと暮らした方が性に合っているのだ。
その為、学校へは行かず、義務教育をしっかり受けているお父さんが先生として私に授業をしてくれている。
まあ、流石伝説になった人。そんな迷信が一つや二つ生まれたってしょうがない。
今説明した迷信は、世界で最も有名な迷信で、今もお母さんはどこかで悪と闘っているという話だ。それが本当だったらどれだけ嬉しいだろう。もうお母さんはいないと言うのに。
そんな中私がのこのこと街に行こう物なら大騒ぎどころの話ではない。世界中でニュースになり、辛うじて娘だと説明できたとしても次期勇者候補として選ばれ、訓練所に行くなり、ろくな生活なんざできないのは火を見るよりも明らかだ。
と、考え事をしているとついつい難しい顔をするのもお母さんの癖であり、私の癖だ。
「アスナ、また考え事か? そんなんより今日は思いっきり楽しめ! その方が母さんも幸せだろ?」
「……それもそうだね! じゃあ、私の誕生日に、乾杯!」
10人以上の親戚が「誕生日おめでとう」と言い、私のコップに同時に乾杯する。親戚に埋もれて乾杯出来なかったお父さんとの乾杯も忘れない。
それより、親戚が沢山集まるとやはり賑やかで楽しい。多分、お母さんの財力がなければ14人以上も一部屋に集める事は難しかっただろう。なんせ、この家の広さは500坪は下らないもんな……
乾杯を済まし、オレンジジュースを喉に通す。オレンジジュースを飲むと、何とも気分がふわふわして落ち着く。小さい頃からオレンジジュースが好きだった。今も小さいだろ、なんて言われると反論できないのは内緒だ。
そして、そのふわふわした時間を楽しんでいると、
「お姉ちゃん、私と乾杯!」
と、アスカがコップを差し出してきた。恐らくさっき出来なかったから乾杯したいのだろう。
それに応えるように私はカチン、とアスカのコップに当て、「乾杯」を言い、アスカは笑顔で「ありがとう」と言う。この純粋無垢な笑顔を見れる日々が、何より幸せだ。
アスカは私の一個下の末っ子。元気いっぱいで、優しくて、まさにこの家の天使だ。
身長は私の口元まで位で、透き通るような白い肌。そして何とも不思議なのは瞳の色であり、お母さんの目の色でもなく、お父さんの目の色でもない青色をしているという点だ。
その目はどことなく神秘的な魅力があり、美しい。
髪色はお母さんと私と同じように緑色なんだけどな。
アスカは早く大人になってお母さんみたいに逞しくなるのが夢らしい。
夢、か。私には勇者になるっていう選択肢はなかったから、夢なんて考えた事がなかった。今まで生きているだけで満足な生活だった。それでいいんじゃないかとも最近思う。
けど、今一度夢について考える。強いて言うなら、家族を守れるだけの力と勇気が欲しい。私にそんな力があるとは思えないけれど。
でも、お母さんがそうだったように誰かを助けられずに自分だけ生きるなんて嫌だ。嫌だけれど、かと言って誰かを助けられなかったら死にたいのではない。
いつも自分の考えが矛盾する。勇者にはなりたくないのに、そういう力を望んでしまう。欲は少しでいい。そう思わないと何度も間違った大きな一歩を踏み出してしまう。
今はこの平穏な暮らしが出来たらそれで満足だ。十六歳の誕生日おめでとう、私。
誕生日ケーキを皆で取り分け、食べ始めた頃、私は一人ケーキを取り、生クリームを追加でかける。この日の為に用意した大量の生クリームだ。
甘い物には目がないので今日はチートデイで無双だ。一口食べただけで無意識にニヤけてしまう。
これがほっぺが落ちる事の心理だ。そうに違いない。
そして、この間皆は私が幸せそうな顔をしているのをじーっと見ていたらしい。私に構わずケーキを食べればいい物を!
ケーキも食べ終わり、夜が更に深くなった。そう、最後の仕上げは皆お待ちかねのプレゼント開封の儀だ。
勿論開封するのはこの私。積み重なったプレゼントの山のてっぺんから一つ取り、包装をビリビリ剥がして開けていく。
大きさからして人形だろう。でも、重さは異常な程だった。鉄でも入っているの? そう思って入っていた物を持ち上げると、それは意外な物だった。
「魔導書?」
魔導書。その名の通り、魔法の情報が全て記され、人を導く書物とされている。
だが、そんな魔導書があったとしても、魔法なんて限られた者にしか使えない高等技術だ。
何年も訓練し、体の中を循環している魔力の流れを感じ、それを操る事が出来てからやっと少しの魔法が使えるようになるのだ。
そんな書物が私に合うわけない。きっと誰かの嫌がらせで……
「どうだアスナ、気に入ったか?」
と言われた所で気付いた。まあ、今までの人生を踏まえて考えればそう結論が付く。
「お姉ちゃん。私に魔法はいくらなんでも勇者の娘でも無理なんじゃ……」
「自信がないのか? 私は剣の才能しかないけどさ、アスナは私と相対的な立ち位置にいるから魔法、向いてると思うな!」
一応こんな姉でもデロス国内トップクラスの戦士、国の三大剣士の一人だ。
そうなれば私にも才能があると考えるのは自然。だとしても魔法と言えば話は別。
なぜならお母さんでも魔法を操るのは至難の業だと言っていた。
「まあ、明日ちょっとだけやって、それで無理なら諦めるよ。それでいい?」
この魔導書は恐らく正式な物で、この国が出している書物だからきっと数万円はする。
そんなの捨てたりするのは勿体ないとは思うけれど、いっその事潔く止めてしまった方がこれから生きていく中でけじめが付く。
「良し、それなら条件提示、いや、賭けに出よう。アスナに魔法の才能があったなら、将来は街へ出て学校の先生になれ。そして、もし才能がなかったとしたら、私はこれっきりアスナの将来の事には関わらない。これでいいか? いい、よな!」
少し「街」というワードに戸惑ったが、その賭けに出る事にした。
家族を守れる力と勇気が欲しいと言うならこれに一つ賭けるのもありだと考えたからだ。
そして、他のプレゼントにもこんなのが忍んでいるのでは、と警戒して慎重に全て開けていった。
だが、流石にそんな事はなく、ぬいぐるみ、クッション、鞄などを貰った。
そして、お父さんからは置き時計を貰った。日用品はありがたいので部屋に飾って置こう。
これにて、私の十六歳の成人誕生日パーティーはお開きとなった。
翌日、お父さんに貰った時計を早速使い、朝早くにセットした目覚ましを止めて眠い目と震える手を擦る。起床し、過冷却水みたいに冷たい水で顔を洗い、タオルで拭く。
そして魔導書に書いてある内容を実践してみる事にした。
私は手っ取り早く諦めてしまいたいのだ。お金とか、名誉とかが欲しいんじゃない。最低限の幸せな生活が出来ればそれでいい。
私は魔王を倒したお母さんに激似なだけのただの十六歳。
勇者の娘だからって、一般人よりも優遇される訳でもない。世界はそう甘くはなく、誰に対しても運命は平等に働くのだ。
毎月第二、四水曜日の21時から22時の間に一話投稿します。