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第54話:拝啓 お台場


ブーッブーッブーッ


机の上にある僕のPHSが振動した。


ピッ


「もしもし?・・・おう久しぶり!元気してる。


・・・うん、うん、うん。


おう、日にちは?今度の土曜日? あーいいよ。


うん・・・うん。おうわかった!それじゃあなあ」


ピッ




数日後。



「おうココがあの有名なところか~」


僕は、港区にあるお台場に来ていた。



そうここは、今年の1月、日本を揺るがす事件があったばかりの場所。



それは、少年による小学生人質事件。



当時16歳の少年が、ビルの一角で小学生を包丁で脅し人質にとったあの事件だ。



丁度、少年法について色々議論がなされていたときに起ったあの事件。



僕もまた未成年であったため色々考えさせられていた時期に起ってしまった事件でもある。



そして、この事件はテレビ中継を通して全国に生放送されたため、当時お台場は【観光名所】というよりも【人質事件があった場所】という印象の方が大きかった。



僕はそんな事件がまだ記憶に新しい時にこのお台場に来てしまったのだ。



それはなぜか。


それは高校時代の友人で進学のために上京してきた数少ない友人に会うためだ。


実は、鹿児島から進学のため上京する人はそんなに多くはない。


どちらかというと、九州や関西の大学に進学する人が多い。



事実、僕の高校からもほんの数人しか上京していない。



僕はこんなジンクスを聞いたことがある。



それはこういうものだった。



「鹿児島から上京した者は数年で鹿児島にまた帰ってくる」

と。



なぜこのような事が言われるのか。



鹿児島の教育の方針はどちらかというとひたすら教え込むという教育だというのだ。



ひたすら教え込む。



つまり、子どもは指示された事をひたすら遵守するのだ。



僕の高校も考えてみたら校則にうるさい学校であった。



「スカートの丈はひざから●●センチまで。」


とか


「茶髪は禁止」


とか


「弁当は必ず教室で食べなければならない」

など。



そう言えば、弁当を教室のベランダで食べていた奴らが生活指導に見つかって弁当を蹴飛ばされ弁当の中身が散乱した事もあったっけ。


これはさすがにひどいと思ったけど・・・。



もうすこし過去を振り返るならば、


小学5年生の時、【チェストイケー】と書かれたハチマキをしながら、


妙円寺という市内から20キロ離れているお寺を目指して午前6時に学校を出発し、


【チェストイケー】のノボリを先頭に、休憩なしで約20㎞の道のりを4時間半かけて歩いたりもした。



この行事の目的は、





「あの関が原の戦いの苦労を忘れるな!」




という精神を子どもの体に叩き込むこと。





関が原の戦いって・・・もしかして400年以上前の?



と思うかもしれない。






まさにその通りだ。



あの島津義弘軍が果敢にも敵陣を突破して、苦労して帰国したあの関が原の戦いだ。



「あの戦いを忘れるな!」


という事を後世に伝えようというのである。




この話を他県の子に話すと引かれてしまう事が多々ある。



『鹿児島は・・・ヤバイな』

と。



僕にとっては誇りなのに・・・。



他県から見ると鹿児島は管理教育的に見えてしまうようだ。



しかし!


鹿児島の名誉のためにこれだけは言っておこう。


鹿児島が他県からどんなに管理教育的に見られたとしても、


人間関係には熱いものを持っており、すべてにまっすぐな心を持てる環境だと僕は胸を張って言えることを!





ともあれ、話を元に戻そう。




鹿児島のこのひたすら教え込むという教育は受験にはめちゃくちゃ強い。



なにせ言われことを子ども達は必死に遵守するのだから。



しかし、この【教え込まれる事】は時として、仇となる。



どうしてか?




それは自分で考える事に不慣れだからだ。



つまり、教え込まれる事のみに特化しており、自分で考えるという事には慣れていない。



そんな子が、すべてにドライすぎる東京に出てきたらどうなるか?



答えは一つ。




路頭に迷ってしまう。





誰も何も教えてくれない、また興味すら持ってくれないドライな人間関係の東京。




心にゆとりが持てないストレス社会の東京。




なんとなく【マッチ売りの少女】のような感覚だ。





「誰かこのマッチを買って下さい。



このマッチをどうか・・・



どうかこのマッチを・・・・



はああ、寒い・・」


しかし、人々はマッチを売る少女には目もくれずに通り過ぎていく。



そんな感覚にピッタリの東京。





こんなすべてにドライな東京は、鹿児島人にとっては非常に住みにくい。




事実、僕の友達のほとんどは鹿児島に戻っていってしまった。



今回、お台場で会う友人も数ヵ月後、突然


「1人になりたい」


と、僕に借りていた1000円を返しにきた後、連絡がプッツリ途絶えてしまう事に。





こうして僕の周りから数少ない友達はどんどん減って行き僕の心の闇は大きくなっていく事となるのである。






「ここがお台場か~」



僕はそこで男友達と待ち合わせをし、嫌な事も忘れ、共に食事をし、アミューズメントパークで楽しく遊んだりしたのであった。




そう、僕は少年犯罪増加が増えてきた東京で、そして尚かつ僕たちは人質事件の記憶が新しいお台場に来ている事も忘れて・・・。






楽しそうに遊ぶ僕たちの後ろには、常に2つ影が怪しく後をつけていたにも関わらず。




姉さん事件の予感です。


つづく。

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