91.嘘だと言ってください
「突然の訪問になってすまない」
「いいえ、公爵様。遠慮なさることありませんわ」
「ヴィクター殿は南方か」
「はい。父は祖父の名代としてカフラーマ地方を回っております」
「連合国にも教会が増えたそうだな」
「戦後、家を失った人々を受け入れたことで信仰者が増えていて……父にとってはうれしい悲鳴ですわ」
「神鳥派は他の宗教を否定しないからな。カフラーマ人も受け入れやすいのだろう。フォルセイン王国との交流も盛んになっていると聞く」
「帝国との融和も同じように深まればよいのですが……」
…………。
ずいぶん真面目な会話をなさっているようですね。
「ところで公爵様、今日はどのようなご用事ですの?」
「ああ。例のものについて進展があった」
「……本当ですか⁉」
急にフィーの声のトーンが跳ね上がりました。
驚いて一瞬壁から耳を離してしまいます。
なんでしょう?
例の、もの……?
「もう少しで準備が整う。ヴィクター殿が戻られるまでには用意できるだろう」
「本当に、私の願いを叶えてくださるのですね?」
「ああ。我々の結婚には必要なものだ」
「ありがとうございます。公爵様」
「礼を言うのはまだ早い。手に入ってから喜ぶといい」
「……はい!」
お兄様がフィーに何か贈ろうとしている?
結婚に必要なもの?
それって何?
何?
何?
まさか…………………………………………………………………………………指輪?
「おい、貴様ッ……」
壁にギチギチと爪を立てはじめた私を、ゼトが小声で諫めます。
今度は私のほうがフゥゥゥと息を吐き出しました。
「失礼いたします。お話し中に申し訳ありません」
そのとき、再び侍従長の声が聞こえました。フィーの祖父である大司教、それに母や兄弟たちも交えた昼食会が開かれるようです。
和やかな雰囲気で移動する彼らの足音が遠ざかっても、私は壁に貼りついたままでした。目の前がうっすらと曇っています。
嘘。
ですよね。
だって。
心を通わすことはないと。
形ばかりの結婚だと。
……言ったのに。
「聞きたいことがある」
冷たい声が降ってきて、見開いたままの目でそちらを見ました。
「………」
「さっきから何を呆けている?」
「そういえば……いましたっけ……」
「なんだと⁉」
乱暴に襟首をつかまれ、脱力した体がだらりとぶら下がります。
まったく。
壁の向こうに誰もいなくなった途端これですか。
「離しなさい」
「俺に命令するな!」
「もう一度言います。手を離しなさい。私は今……とても不機嫌ですので」
私の表情を見たゼトが口ごもり、思わずというように手を離しました。
床にすとんと降り立ち、乱れた襟元を整えます。
「……その瞳。見覚えがあるぞ」
ゼトの嚙みしめた歯の隙間から、唸るような声が響きました。
私はつと彼を見上げます。
「貴様、フォルセイン王家の人間だな」




