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90/173

90.邪魔をしないでいただけますか?




 まだ、息が、上がって。

 考えるには酸素が──

 自分の置かれた状況を分析しようと努めながら、どうにか言葉を紡ぎます。



「ゼト様。どうしてこちらに──」


「なぜ貴様がここにいるんだ」



 かぶせられたのは針山のように刺々しい声。

 薄闇の中でもくっきりと際立つ藍色の髪。滑らかな褐色の肌。夜空に浮かぶ不吉な月のように赤みがかったオレンジの瞳。鋭角的で整った異国風の顔立ち。

 カフラーマ国王子。同時に、エメル家被後見人。

 ゼトがまなじりを吊り上げてこちらを見下ろしています。



「備品を探してくるように言われただけです」



 とっさの言い訳でしたが、言ってすぐに後悔しました。



「探し物だと? そんなふうには見えなかったぞ。この嘘つきめ」



 ……やはり見られていた。

 私のあとにドアを開け閉めする音は聞こえませんでした。

 つまり彼は、私よりも先にこの部屋にいたことになります。



「ゼト様こそ、このようなところで何をなさっていたのですか?」


「使用人風情がこの俺に質問できると思ってるのか?」



 切り返しを試みるも一蹴されてしまいました。

 そう。私はただのメイド。相手は一国の王子。

 本来の身分ならばともかく、今の私では交渉する余地がありません。

 でも──

 おかしいですね。

 初対面のとき、いきなり掴みかかってくるような乱暴者だったはずですが。今は私との間に一定の距離を置いているような気がいたします。

 何かを恐れている?

 私を? いえ、まさか。

 ですが……賭けてみるしかありません。



「なぜここにいらっしゃったのか、当てて差し上げましょうか」


「あ?」



 ゼトの目つきがギロリと凶悪なものになります。

 私はひるまず、彼をまっすぐ見つめながら言いました。



「フィーお嬢様と公爵様のお話を、盗み聞きするおつもりだったのではありませんか?」


「ッ!」



 ゼトがカッとしたように拳を振り上げます。

 思わず両手で顔をかばって歯を食いしばると、



「……やめろ」



 他ならぬ彼に、静かな声で止められました。



「大声を出すな」


「………?」



 と、言われましても。

 壁の向こうにいるお兄様に聞かれては大変ですので、むしろ悲鳴をこらえようと必死だったのですが。

 どうやら彼も騒ぎが起こることは望んでいないようですね。



「その拳を下ろしていただけるなら、大声は出しません」


「……チッ」



 軽く舌打ちし、ゼトが手を下ろします。

 そのとき。



「…………様。……を…………た……」



 背にした壁越しに、かすかな少女の声が聞こえてきました。

 フィー=エメル。

 彼女が応接間に入ってきた。

 ゼトもその声が耳に入ったのか、はっと目を見開いたあと、先ほど私がしていたようにぴたりと壁に耳を当てました。



「おい」



 低めた声で言います。



「動くな。静かにしていろ」



 私もすかさず壁に身を沿わせ、挑むように見上げながら囁きました。



「そちらこそ」



 ゼトの顔がひきつります。が、怒鳴りつけるのをどうにかこらえ、獣のようにフーと息を吐き出しました。

 そんな彼の様子に満足してから、私は目を閉じます。

 ──壁の向こうに集中しなければ。

 やがて、いとおしいお兄様の声が聞こえてきました。




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