90.邪魔をしないでいただけますか?
まだ、息が、上がって。
考えるには酸素が──
自分の置かれた状況を分析しようと努めながら、どうにか言葉を紡ぎます。
「ゼト様。どうしてこちらに──」
「なぜ貴様がここにいるんだ」
かぶせられたのは針山のように刺々しい声。
薄闇の中でもくっきりと際立つ藍色の髪。滑らかな褐色の肌。夜空に浮かぶ不吉な月のように赤みがかったオレンジの瞳。鋭角的で整った異国風の顔立ち。
カフラーマ国王子。同時に、エメル家被後見人。
ゼトがまなじりを吊り上げてこちらを見下ろしています。
「備品を探してくるように言われただけです」
とっさの言い訳でしたが、言ってすぐに後悔しました。
「探し物だと? そんなふうには見えなかったぞ。この嘘つきめ」
……やはり見られていた。
私のあとにドアを開け閉めする音は聞こえませんでした。
つまり彼は、私よりも先にこの部屋にいたことになります。
「ゼト様こそ、このようなところで何をなさっていたのですか?」
「使用人風情がこの俺に質問できると思ってるのか?」
切り返しを試みるも一蹴されてしまいました。
そう。私はただのメイド。相手は一国の王子。
本来の身分ならばともかく、今の私では交渉する余地がありません。
でも──
おかしいですね。
初対面のとき、いきなり掴みかかってくるような乱暴者だったはずですが。今は私との間に一定の距離を置いているような気がいたします。
何かを恐れている?
私を? いえ、まさか。
ですが……賭けてみるしかありません。
「なぜここにいらっしゃったのか、当てて差し上げましょうか」
「あ?」
ゼトの目つきがギロリと凶悪なものになります。
私はひるまず、彼をまっすぐ見つめながら言いました。
「フィーお嬢様と公爵様のお話を、盗み聞きするおつもりだったのではありませんか?」
「ッ!」
ゼトがカッとしたように拳を振り上げます。
思わず両手で顔をかばって歯を食いしばると、
「……やめろ」
他ならぬ彼に、静かな声で止められました。
「大声を出すな」
「………?」
と、言われましても。
壁の向こうにいるお兄様に聞かれては大変ですので、むしろ悲鳴をこらえようと必死だったのですが。
どうやら彼も騒ぎが起こることは望んでいないようですね。
「その拳を下ろしていただけるなら、大声は出しません」
「……チッ」
軽く舌打ちし、ゼトが手を下ろします。
そのとき。
「…………様。……を…………た……」
背にした壁越しに、かすかな少女の声が聞こえてきました。
フィー=エメル。
彼女が応接間に入ってきた。
ゼトもその声が耳に入ったのか、はっと目を見開いたあと、先ほど私がしていたようにぴたりと壁に耳を当てました。
「おい」
低めた声で言います。
「動くな。静かにしていろ」
私もすかさず壁に身を沿わせ、挑むように見上げながら囁きました。
「そちらこそ」
ゼトの顔がひきつります。が、怒鳴りつけるのをどうにかこらえ、獣のようにフーと息を吐き出しました。
そんな彼の様子に満足してから、私は目を閉じます。
──壁の向こうに集中しなければ。
やがて、いとおしいお兄様の声が聞こえてきました。




