表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

85/173

85.スキャンダルの匂いがします




「……………チッ」



 狼のような目をした男は、忌々しそうに私を睨みつけてから顔をそむけました。



「ゼト。ちゃんと謝って」



 緑髪の少女がぐっと男を見上げます。



「俺に指図するな」


「指図ではありません。当たり前のことです。それとも、この子があなたに何かした?」


「……俺をジロジロ見やがった」


「たったそれだけで掴みかかったの?」


「どうしようと俺の勝手だろ‼」



 ビリッと壁が震えるほどの怒声。

 怯えたネリがか細い悲鳴を上げます。



「誰が使用人になんざ謝るか!」



 そう吐き捨てると、男は階段を強く踏み鳴らして下りていきました。



「……うぅぅっ」


「ごめんなさい、ネリ」


「フィーお嬢様ぁぁぁぁぁぁ」


「怖い思いをさせましたね」



 震えるネリを、少女の手がいたわるようにさすります。

 細身でありつつ、やわらかさも備えた体の線。ウェーブのかかった緑髪。ふんわりと白い頬と首筋。大きなエメラルドのように美しい瞳。

 フィー=エメルを、私は穴が開くほど見つめました。



「?」



 フィーが微笑んで小首をかしげます。

 それから、



「あなた、は……」



 記憶を探るように呟きます。

 ……こんな至近距離で顔を合わせてしまうなんて。

 せっかくミアの手を借りて潜入したというのに、計画が台無しです。今さら顔を隠すわけにもまいりませんし。

 彼女と社交界で近しく言葉を交わしたことはありませんが、互いの姿を見かけたことなら何度もあります。

 バレたものは仕方ありません。とにかく、今はこの場を切り抜けて──



「………………………………………どなた?」



 にっこり。

 一点の曇りもない笑顔で、フィーが私に尋ねました。



「は?」



 思わず不躾な声が漏れます。



「フィーお嬢様。この子、新人です」


「まあ」



 途端、フィーはうれしそうに目を輝かせました。



「うっかり忘れてしまったかと思って、私、ドキドキしてしまいました。ここで働いてらっしゃるみなさんのお顔とお名前はぜんぶ憶えているつもりですのに」


「お嬢様に限って忘れるなんて! この子、本当についさっき入ったばかりで」


「あらあら」



 自分の頬に手をぺたりと当て、先ほど男と対峙したときとは打って変わっておっとりした声で言います。



「自己紹介が遅れました。私はこの家の長女、フィーと申します。あなたは?」


「……ローザ」


「ローザ! 素敵なお名前ね。ローザ、ローザ。はい。しっかり覚えました」



 何でしょう──この女。

 たかが新入りの使用人ごときに名乗るなんて。

 それに、働いている使用人の顔と名前をすべて覚えているですって?

 社交界で見かけた公爵令嬢の顔すら覚えていないのに?



「先ほどはゼトが乱暴な真似をしてごめんなさい。当人に代わってお詫びします」



 などと神妙に頭さえ下げてみせます。



「…………あの方は?」



 私が呟くと、フィーは困ったように眉根を寄せました。



「彼はゼト=アンバー。カフラーマ連合国の王子で、当家の被後見人です」



 被後見人──

 なるほど。

 帝国はかつてカフラーマを追い詰めましたが、王国の介入によって滅ぼすことなく戦争を終えました。しかし二度と争いを起こさないようにするため、カフラーマの盟主である部族から子息の身柄を預かっていると聞いたことがあります。

 被後見人。要するに人質。

 その身柄がエメル家の預かりになっていたとは知りませんでした。



「あんな振る舞いをする人ではないのですが……このところ気が立っているようなの。どうか許してあげて」


「公爵様にお嬢様を取られたのが気にくわないんですよ、ゼト様は!」



 ネリがふんっと鼻息を荒くして言います。



「こう言ってはなんですけど、お嬢様があんな乱暴者と結婚しないで済むようになって、私は──」


「ネリ」



 鋭い囁き。

 その声にはっとした顔になり、ネリは慌てて口を閉じました。



「もも、も、申し訳ありませんっ。お嬢様……!」


「いいのよ。でも、そのお話はしないようにしましょうね」



 フィーは諭すように言い、次いで私を振り返ります。



「ローザ。あなたもお願い。今の話は口外しないでおいてほしいの。もし公爵家のどなたかのお耳に入ったりしたら……きっとお気を悪くされるわ」


「──はい」



 エプロンの端を掴み、私は彼女に向かって深々と頭を下げました。



「かしこまりました。お嬢様」



 こうすれば──

 ()()()を見られなくて済みますから。

 あふれてくる笑みに頬がひきつるのを感じながら、私は心の中でそっと呟きました。


 ……見つけた。

 フィーお嬢様のスキャンダル。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ