84.公爵令嬢ですが、メイドはじめました
「今日からみっちり仕事を教えてあげるわ!」
「はい。よろしくお願いします、ネリ」
「ふふ、任せておいて! ローザ」
フラウ=フレイムローズ改め──
ここでの私の名はローザ。
《深緑》エメル家に仕える新人メイドのローザです。
お仕着のメイド服を身に着け、さっそく屋敷内の掃除に取り掛かることになりました。
「さ、準備はいい? まずはねぇ……えーーーと」
「階段から始めましょう。少し汚れているようです」
「あ、そうそう! 昨日お客様が来たからね」
「桶を運びますので、そちらのモップと雑巾をお願いします」
「はーい! ……ん? あたしが先輩だよね?」
やや不安げな顔で呟くネリをよそに、水の入った桶を運びます。
本来のフラウは公爵令嬢。自分の手で掃除をしたことなどただの一度もありません。
しかし私は前世にて、コンビニのほかにビル清掃と家政婦の仕事を掛け持ちしておりました。扱う道具こそ違いはありますが、基本となる部分は変わりません。
「手際がいいのねぇ。前もこういう仕事してたの?」
黙々と作業する私の隣でネリが感心したように言います。階段や手すりをすばやく丹念に磨き上げながら、私は小さくうなずきました。頭では、まったく別のことを考えながら。
ひとまずこの屋敷への潜入には成功しました。
あとは〝エメル家のスキャンダルを見つけ出す〟だけ。
そうすれば、お兄様の結婚を止めることができる──‼
ええ。私はまったくもって納得などしていません。
たとえ愛のない政略結婚だったとしても、お兄様を他の誰かに渡すなんて絶対にできない。
それに、どんな人間にも裏の顔があるものです。清廉潔白なフィーお嬢様とて例外ではありません。
隠された闇を暴いてみせる。
そしてこの手で、お兄様との婚約をぶち壊してさしあげます。
「ロ、ローザっ」
ふいに袖をつかまれ、私は顔を上げました。
階段を下りてくる背の高い男。
服装からして貴族。ですが、エメル家の特徴である緑の髪と瞳ではありません。
暗い藍色の髪に、瞳はギラリと光る濃いオレンジ。なめらかな浅黒い肌。少し尖った耳には異国風のピアス。顔つきは険しく、どことなく狼を思わせるような雰囲気があります。
誰──?
訝しんでいると、
「貴様」
男が低い声で言いました。
「何を見ている?」
はっとして目を逸らします。
使用人は貴族の顔をまともに見てはいけない。すれ違うときは姿勢を正し、目線を下げ、通り過ぎるのをじっと待たなくてはなりません。
慌てて顔を伏せましたが、手遅れでした。
男は舌打ちすると、つかつかと降りてきて私の頭を鷲掴みにします。
「なあ」
「………!」
メイドキャップごしに髪が引っ張られ、思わず呻きそうになります。
「カフラーマ人がそんなに珍しいか?」
カフラーマ人……?
ということは、カフラーマ連合国の。
かつて帝国に滅ぼされかけた国の民が、なぜエメル家に?
「ゼト様っ! もも、申し訳ありません! この子は今日入ったばかりで……!」
「貴様には聞いてない。黙ってろ」
間に入ろうとしたネリがひゃっと震えあがります。
「おい、なんとか言えよ」
「っ……」
無理やり頭を引っぱられ、私はもう一度男を見ました。
知らない。
……こんな男、原作には出てこなかった。
「ん?」
私の顔を見た男が目を瞠ります。
「その瞳の色──」
「ゼト!」
トトトトトンッ。
階段をすばやく駆け下りる音がして、華奢な少女の手が一瞬のうちに男から私を奪い取りました。
突如乱入してきた少女はキッと男を睨みつけ、私を守るようにきつく抱きしめます。
「何をしているの?」
ぴんと張った楽器の弦のように凛とした少女の声。
私は自分を抱きしめる彼女の髪と瞳を見て思わず息を止めました。
この屋敷を囲む森のように、どこまでも鮮やかな緑。
《深緑》。
……あなたが。
フィー=エメル。
殺したいほど憎い──お兄様の婚約者。




