83.諦める、とでも思いましたか?
わかっています。
私はもう、子供ではありません。
自室に戻ると、心配そうな顔のミアがそばへ来ました。私の顎で結んだリボンを解き、そっと帽子を外します。
「ありがとう、ミア」
帽子を手にしてうつむくミアに、私は微笑みました。
「お兄様が庭にいらっしゃると知っていて、散歩を勧めてくれたのね?」
「………」
「おかげでお兄様とお話できたわ」
うなだれる彼女の肩に手を触れ、ゆっくりと顔を近づけます。
「大丈夫よ。お兄様がいずれ結婚なさることはわかっていた。貴族にとって、婚姻は何より大きな交渉材料。お兄様はそのカードをお切りになった。ただ、それだけ」
彼女の腕をつかんで、その耳たぶに唇をつけ、
「…………………………………………………………なんて」
囁いて。
「本気で言うと思いましたか?」
ミアの全身がビクッと震えました。
思わず一歩下がる彼女に合わせ、私も一歩前に出ます。
「お、お嬢様……」
「あなたならわかってくれるでしょう?」
「……わ、わ、私……!」
「誰よりも近くで。誰よりも親身に」
「………」
「私に仕えてくれた──あなたなら」
壁に追い詰められたミアは、小刻みに震えながらうなずきました。
その表情は恐怖に歪み、それでいて狂おしい崇拝の念に溶かされています。
「ミア」
そんな彼女に私は明るい声で言いました。
「お願いしたいことがあるの」
深く、濃い、緑の海。
鬱蒼と茂る木々を見上げていると、溺れるような錯覚にすら陥ります。
ひたすら緑に覆われた長い道を通ってお屋敷にたどり着き、私は門衛に手紙を差し出しました。
「紹介状です」
しばらくして使用人入り口に呼ばれ、そこで待っているようにと言われます。
それからまたしばらく経ち、初老の女が表に出てきました。
眼鏡をかけた厳めしい顔つきのメイド──おそらくはこの屋敷の女中頭。彼女は灰色の眉をきりりと吊り上げて言いました。
「ここで働きたいというのは、あなたですか?」
「はい」
「……ふん」
鋭い目で上から下まで観察します。その視線が、荷物を持った私の手に留まりました。
「ずいぶん真っ白な手だこと。メイドというより、まるで貴族のご令嬢ね」
「家事は一通りこなせます」
「ここの仕事は楽ではありませんよ」
「なんでもします」
「なんでもと言ったって……ねぇ」
私は小さく息を吸うと、荷物を降ろし、ひざまずいて両手と額を地面につけました。
「ちょっと──」
「お願いします。他に行き場がありません」
「やめなさい。こんなところで」
「お願いします‼」
「わかったからお立ちなさい。ネリ! ちょっとこちらへ」
奥のほうから「はいっ」と返事がして、私よりいくつか年上のメイドが現れました。途中で思い切り転倒し、したたかに顔面を打ちつけながらも大慌てで走ってきます。
「なんでしょうか!」
「あなたに新人を任せます。しっかり教育なさい」
「は、はいっ。かしこまりました!」
「頼みましたよ」
そう言い残し、女中頭はつかつかとその場を去っていきます。
若いメイドはぶつけた額を必死に前髪で隠しつつ、色黒の人懐っこい顔をこちらに向けました。
「あたし、ネリ。あんた名前は?」
「………ローザ」
「そっか。よろしくね、ローザ!」
「どうぞよろしく」
彼女に向かって小さく膝を折ります。
ネリに先導され、私は一歩ずつ屋敷の中へ進んでいきました。
森に覆われた広大な屋敷──《深緑》エメル家。
今回は、ここが私の戦場です。




