44.ヒロインが原作の続きを教えてくれるそうです
「婚約なんてぜーーーーーーったいダメよ‼」
拳を力いっぱい握りしめ、少女はそう断言しました。
淡い紫色の髪。
すらりと伸びた優美な手足。
誰もが目を奪われる豊かな胸元。
全身から放たれる輝かしいオーラ。
ヒロイン令嬢、エリシャ=カトリアーヌは肩をぷるぷる震わせながら、さらにこう言い足しました。
「フラウちゃんは私のものなんだから!」
「……どうしてそうなるのですか」
私はため息まじりに返します。
エリシャが地下牢から解放されて数日。ようやく話をする機会が巡ってきました。
毒殺の件は濡れ衣であったと発表されたものの、フレイムローズ家とカトリアーヌ家の間にはぎくしゃくした空気が流れていました。
特にカトリアーヌ家は愛娘を無実の罪で処刑されるところだったのですから、複雑な感情を抱くのも無理はないでしょう。
しかし、両家の間に立ち込める暗雲を吹き飛ばしたのは当の愛娘──エリシャでした。
『もうっ、お父様ったらいつまでも過去をぐじぐじ引きずるなんておやめになって! 今回のことは不幸な事故で、誰も悪くなんかないでしょう? それに、これくらいで私とフラウちゃんの友情にヒビが入ると思ったら大間違いよ。私たちの愛はね、永久に不滅なんだから‼』
そうまくしたて、両親を説得して我が家に遊びに来たのです。まあ、今日のところは庭のテラスでほんの短い時間お話するのを許されただけですが。
……永久に不滅。なんだか前世で聞いたことがあるような気がしますね。
そうした感覚に陥るのも不思議ではありません。
彼女は私と同じ《転生者》ですから。
「とりあえず、誤解を招くような発言は控えていただけますか?」
「えぇ~フラウちゃんのことが大好きなのは1000%真実なのにぃ」
「あなたの最推しはリオンでしょう」
「しーーーーーーーーっ! ほ、ほほ本人に聞こえちゃったらどうするのっ」
「大丈夫ですよ。ここ数日ほど風邪で寝込んでいるみたいですから」
「えっ。じゃあ今日は会えないのね……リオンきゅん……」
エリシャが心底残念そうに肩を落とします。
彼女も私も、前世で小説『アストレア帝国記』の愛読者でした。
そしてこの小説世界に転生し、原作と同じように皇太子をめぐって争った末、本来の筋書きを覆して私が婚約者の座を勝ち取った。
が、二人とも皇太子ユリアス推しというわけではなく。
私はお兄様であるノイン様推し。
彼女は私の弟であるリオン推し。
「そんなにリオンのことが好きなら、どうしてユリアスになんか構っていたのですか?」
「……はぇ?」
「私と違って、あなたはいくらでも堂々とリオンに近づけるでしょうに」
推しの妹に転生してしまった私には、血がつながらないとはいえ兄妹という最悪の障壁が立ちはだかっています。
エリシャとリオンの間にも五歳の年の差がありますが、私と比べればそんな障害はないようなもの。私がエリシャの立場だったら迷わず自分の推しに接近するでしょう。
「うん……。でも、私が素直にリオンきゅんのほうに行ったら、フラウちゃんとユリアス様は速攻でくっついちゃうでしょ?」
「何か問題が?」
「大ありよ。それじゃリオンきゅんを救えないもの」
「……どういうことですか?」
彼女は──
私の知らない展開を知っている。
前世の私はノイン様の処刑シーンから先を読んでいません。あまりのショックに本を放り出し、そのままこの世界へ来てしまいましたから。
「教えてください。お兄様が……処刑されたあと。何が起こるのですか?」
「………」
ふいに黙り込み、視線を落として、
「死んじゃうの」
彼女は静かな声で呟きます。
「リオンきゅんも、死んじゃうの」
「……処刑されるのですか?」
「ううん。自殺」
「自殺?」
予想外でした。
自責の念にかられて、ということでしょうか。
実の兄を告発して死に追いやるのですから、そのような展開はありえなくもありません。
しかし、告発はエリシャを助けるため仕方なく行ったこと。
ユリアスとの婚約話が進んでいるエリシャを邪魔に思ったお兄様は、彼女の暗殺を計画します。それを知ったリオンは片思いの女性と実の兄を天秤にかけ、苦渋の決断に至るのです。
「せっかくあなたの命を助けたのに、恋しいあなたを置き去りにして死ぬのですか?」
「違うの」
またぽつりと言って、エリシャは力なく首を振ります。
「リオンきゅんは、私に恋なんかしない」
「え……? だって原作では」
「原作では」
私の言葉にかぶせるように言ったあと、きゅっと唇を噛みしめ、
「彼が本当に好きなのは、あなたよ」
痛みをこらえるような顔で彼女は言いました。
「あなたなのよ。フラウちゃん」




