36.言うことを聞かないから
バタバタと周囲の者たちが動きはじめました。
ユリアスが会議場に戻ると言い出したので、今日の予定を調整するのでしょう。
召使いが黄金の髪を櫛で梳き、衣服にブラシを当てて整える中、彼はちらりと私のほうを見ました。
「先ほどの瓶だが、そこの騎士に預けるとよい。こちらで検分する。できれば、姉の部屋から持ち出したものだという証拠もあればよいのだが」
「それでしたら、これを」
「ん?」
私が差し出した一枚の紙をユリアスが覗き込みます。
「瓶と一緒にしまわれていたものです。姉の署名がございます」
「これは……詩か?」
「はい。姉が書いたポエムですわ」
紙を覗くユリアスの視線が動くにつれ、その頬がほんのり赤くなります。
やがて、彼はこほんと咳払いしました。
「な、なるほど。これも渡しておくといい」
「ありがとうございます。殿下」
まあ、恥ずかしくもなるでしょう。何しろ『黄金の君』に宛てた熱烈な恋愛詩ですものね?
とにかくこれで、私が姉の私物をこっそり持ち出したということはご納得いただけたと思います。
……アシュリー。
私の言うことを聞かず、執拗に殺そうとするから。
こういうことになるのですよ。
「ところで、フラウ」
ふと私を見るユリアスの視線が鋭くなりました。
「先ほどのそなたの振る舞いだが」
……ええ。
やはり避けられないでしょうね。
覚悟を決めて唇を結びます。
『黙りなさい、ユリアス=アストレア!』
皇族の名を敬称もつけずに呼び、その発言を強引にさえぎった。まず間違いなく不敬罪。
私の身分であればいきなり首をはねるということはないでしょうが、悪ければエリシャのように投獄、よくて自宅謹慎というところでしょう。
そして──婚約破棄。
頭に浮かんだその言葉に、これまでの努力が水泡に帰するのを感じますが。
致し方ありません。
お兄様のお役に立てないのは大変残念ですが、もっとも優先すべきはお兄様の命。
そのためにはエリシャの知識が必要です。悔いはありません。
できれば軽い罰で済むとありがたいのですが……。
「─────気に入った」
と。
不意打ちのように腰を抱かれ、私は顔を上げました。
鋭い目で私を見下ろすユリアスの口元に、ふわりと笑みが広がっていきます。
「私にあんな口をきいたのは、そなたが初めてだ」
「…………は」
はぁ。
ぽかんとした私を面白がるように見つめ、彼は断言しました。
「決めた。私は、絶対にそなたを手に入れるぞ」
執務室から退出し、廊下に出た私はまだ困惑していました。
あのような反応をされるとは……思っていませんでした……。
喜んでいいものか首をかしげていると、同じタイミングで部屋を出てきたらしい長身の騎士に気がつきます。
向こうも私の視線に気がついたのかこちらを見ました。
「………やあ。久しぶりだな、お嬢さん」
軽く右手を挙げる騎士。
漆黒の髪。漆黒の瞳。ぐっと見上げるほどの長身。
いつかの夜会で一度だけ言葉を交わしたことのある──
「アイゼン様?」
アイゼン=ブラックウィンド。
近衛騎士団の副団長を務める彼が、今の今まで同じ部屋にいたことに気がつきませんでした。そういえばユリアスに詰め寄ったとき、やたら圧迫感のある影が背後に迫っていたような気がしましたが。
「ヒヤヒヤさせてくれるね。大した度胸だ」
「……申し訳ありません」
苦々しく詫びの言葉を口にします。
騎士にとって、主人を侮辱されるのは耐え難いこと。
しかし、アイゼンは幅の広い肩をすくめただけでした。
「いや正直、殿下を止めてくれて感謝してるよ。あの方は突っ走るとなかなか止められないところがあって」
「はぁ」
あのとき、騎士たちは私を即刻部屋からつまみ出そうとしていたようでしたが。
もしやこの方が制してくださったのでしょうか。
「あ、今のは殿下に内緒で頼む」
「……わかりました」
うなずくと、アイゼンはにかっと白い歯を見せて笑いました。
「付き添いの従者はいないのか?」
「表に待たせてあります」
「じゃ、そこまで送ろう」
「いえ。アイゼン様にご迷惑をおかけしたくありませんので」
「一人で行かせるわけにいかんだろ。お、適任者がいたぞ」
アイゼンが廊下の先にいる騎士に向かって手を振りました。
「ちょっといいか。こちらのお嬢さんのお見送りを頼む」
ほっそりした騎士がこちらを振り向くのを見て、私は息を止めました。
アイゼンと同じ──
鴉のように黒い髪。黒い瞳。
「ちょうどよかった。あいつ、社交界にはほとんど顔を出さないんでね」
引き締まったしなやかな四肢。
こちらへ進んでくる隙のない足取り。
ぴたりと定まった視線。
そのすべてから──
目が離せなくなります。
「紹介するよ。妹のアイラだ」




