35.嘘つきのお時間です
まずユリアスの顔に現れたのは、純粋な驚きでした。
面と向かって叱責されることも、名を呼び捨てにされることも、彼にとっては初めての経験なのでしょう。
ろくに大人に叱られたこともないなんて……。
まあ、前世にもそういう人はいましたが。
「落ち着いて話を聞くこともできないのですか? いずれ帝国万民を統べる王となるあなたが、臣下の声に耳を傾けずしてどうするのです」
そう言うと、ユリアスはようやく我を取り戻したのか、私の背後に向かってさっと腕を振りました。すぐそばまで迫っていた騎士たちが無言で壁のほうへ下がっていきます。
向き直ったユリアスの瞳は、ピリピリとした苛立ちにくすぶっていました。
「……よかろう。話を聞こうではないか」
「では、改めて申し上げます。エリシャは私の飲み物に毒を入れておりません」
「ならば、誰がそなたに毒を盛ったというのだ? 自ら飲んだとでも?」
……ふう。
静かに息を吐き、私は小さくうなずきます。
「ある意味では、そうです。これを覚えていますか?」
言いながら、私は小さな瓶を取り出しました。
ユリアスはぴくりと眉を動かしてそれを見ます。
「それは……確か」
記憶を手繰り寄せるように彼は言いました。
「はちみつの瓶だな?」
「その通りです。よく覚えておいででしたね」
「子爵邸での茶会のあと、そなたに壺で送ってもらったからな。紅茶に入れてよく飲んでいるよ」
バラの花びらで香りをつけたはちみつ。
オーリア=ゼインのお茶会で披露し、ユリアスを含めその場にいた全員が絶賛した当家オリジナルの調味料です。みなさまに後日同じものをお贈りしましたので、きっと記憶に残っているだろうと思っていました。
「あの日、エリシャのお茶会でもこれをカップに垂らして飲みました。けれどはちみつだと思っていた中身が──違ったのです」
「どういうことだ?」
「お茶会の前日、ちょうどはちみつを切らしていることに気がつきました。侍女に新しいものを持ってこさせようと思ったのですが、あいにくつかまらなくて、それで」
「それで?」
首をかしげるユリアスに、私は困ったように眉根を寄せます。
「姉の部屋に忍び込んで拝借しました」
「姉……? ああ。そなたには赤髪の姉がいるのだったな」
「はい。アシュリーというのですけれど」
アシュリー。
哀れな噛ませ犬。
「彼女の部屋に入った私はこの瓶を見つけ、はちみつに違いないと思い、そのまま黙って持ち出したのです」
「その中身が……?」
「はい。はちみつではなく、毒だったようで」
私はしゅんと頭を垂れます。
我ながら、なんともあほらしい作り話ですね。背筋を冷や汗が伝うのがわかります。
しかしお兄様に迷惑をかけることなくエリシャを救うには、こんな嘘しか思いつきませんでした。
まあ、アシュリーが私を殺すために用意した毒を拝借したのは事実ですけれど。
「つまり、こういうことか? そなたは姉の部屋から持ち出した毒薬をはちみつだと思い込み、あのお茶会で自分の紅茶に入れて飲んだ」
「はい。あのときは紅茶ではなく、ハーブティーでしたが」
「だが、そなたの姉はなぜ毒など持っていたのだ?」
「さあ……護身用か、あるいは研究用かもしれません。姉は薬学を学んでいますから」
「ふむ」
ユリアスが腕組みして考え込みます。
「だが、エリシャの部屋からも毒瓶が見つかったのだぞ?」
……そうでした。
エリシャに罪を着せるのに好都合だと思っていた証拠ですが、結局は裏目になりましたね。
「そなたが誤飲したのかもしれぬが、彼女が毒を入れた可能性も捨てきれないのではないか?」
まったく──
やはり噛ませ犬は役に立ちません。
「ええ。確かにそうですね」
私は神妙にうなずき、
「ですがその場合、私はこの世にいないでしょう」
きっぱりと言い切ります。
「エリシャの部屋から見つかったもの。そして、姉の部屋から私が拝借したもの。それらは同じクロユリソウという植物から精製する毒薬だそうです。非常に毒性が強く、たった数滴で死に至るとか」
「………そうか」
はっとしたようにユリアスが呟きました。
「そなたがはちみつだと思って垂らしたうえ、さらに毒を盛っていたとすれば」
「はい。間違いなく死んでいたでしょう。つまり、私が生きているということは……」
「エリシャは毒を入れていない」
ほぅと息を漏らすユリアス。
私は微笑んでうなずき、舌先で唇を舐めました。
──そこについた嘘の味を、こっそりぬぐうように。




