30.さよならを言いましょう
地下牢には冷たい空気が漂っていました。
羽織ったローブの中で身震いし、ゆっくりと石階段を下りていきます。
どうしてここに来ようと思ったのか、自分でも不思議でした。
あれから数日──
《帝国七血族》の会議は続き、エリシャの処遇についてはいまだ結論が出ていません。寛大な処置を求める教会派と、厳格な処罰を求める皇太子派が真っ向から対立しているのだとか。
このままいけば、私が召喚され意見を求められることもありうるとお兄様はおっしゃっていました。
もしそうなった場合、私の胸の内はほぼ固まっています。
コツンと靴音を響かせて牢の前に立つと、中にいた人物がはっとしたように顔を上げました。
「フラウちゃん……⁉」
乱れてぼさぼさになった紫の髪。薄汚れたドレス。
ああ、なんてみすぼらしい姿でしょうか。
エリシャ=カトリアーヌ。
「ごきげんよう」
ローブのフードを持ち上げてうしろに落とし、さっと銀髪をかき上げながら私は言いました。
「今日はあなたにお別れを言いに来ました」
「お別れ……?」
エリシャはぽかんと呟いたあと、慌てて鉄格子に飛びついてきました。
衛兵に言い含めて二人きりにしてもらっていますから、そのような動きを咎める者はいません。どうせ鉄格子からこちらに来ることはできませんし。
「お願い、信じて! 私、毒なんか入れてない。フラウちゃんを殺そうとなんかしてないっ……」
「ええ。そうですね」
「信じてくれるの⁉ じゃあお願い! みんなを説得してここから──」
必死に懇願する彼女を、私は冷たく見下ろしました。
純粋無垢なヒロイン令嬢。
彼女はまだ、自分が真摯に訴えさえすれば、どうにかなるとでも思っているのでしょうか?
「フラウ……ちゃん……?」
ようやく私の視線の冷たさに気がついたのでしょう。
エリシャの顔から血の気が引いていくのがわかります。
「もしかして……わざと毒を飲んだの……?」
今さら気がついたのですか?
あきれるのを通り越して、哀れにすら思えてきますね。
「どうして?」
紫の瞳に涙をにじませ、エリシャは震える声で言いました。
「どうしてこんなことをするの? 私が何をしたっていうの? 私はただ……あなたと仲良くなりたかった。それだけなのに」
それだけ?
思わず鼻で笑ってしまいそうになりますね。
あなたのそういう偽善たらしいところが嫌いだと、どうしたらわかっていただけるのでしょう?
「まずは私の質問に答えてください」
鋭い声でそう言うと、エリシャは気圧されたように一歩下がりました。
「どうしてお兄様に手紙を送ったのですか?」
「そっ、それは……!」
そう。
私が毒を飲んで倒れる前にした最後の質問。
彼女はそれに答えると言って、私をここに呼び出したのです。
「それは……その、えっと」
にも拘らず、エリシャは口をもごもごさせています。
「な、なんとなく。というか」
「なんとなく?」
は?
ふざけているのでしょうか。
私は彼女を睨みつけます。
「あなたはただなんとなくという理由で、殿方にあのような手紙を送るのですか?」
「ち、違うの! えーっと、なんか、たまたま書いちゃった……みたいな」
「たまたま?」
はぐらかしている?
それとも──
これが彼女の本質なのでしょうか。
思えば原作の彼女も、思いつきで行動する人物でした。それによって多くの男性キャラが振り回されていましたっけ。あるときは皇太子に思いを寄せるそぶりを見せたり、またあるときは別の人物に意味深なことを言ってみたり……。
お兄様への手紙も結局、彼女のそういった気まぐれな行動のひとつだったのかもしれません。
だとしたら──
「救いがたいですね」
「フラウちゃ──」
「ああ、話しかけないでください。もうけっこうです」
これではっきりわかりました。
彼女の存在は──邪魔です。
生かしておけば、また気まぐれにお兄様をそそのかすかもしれません。
地上へ戻ったらその足で会議場へ赴き、皇帝陛下に直訴いたしましょう。
『彼女を死刑にしてください』
と。
この決心を固めるために、私は彼女に会いに来たのかもしれません。
立ち去りかけて、ふともう一度エリシャを見ました。
──どうせこれが最後なら。
目を見開いて呆然としている彼女に向かって、私は静かに言いました。
「あなたは幸せな人ですね。何をしても自分だけは許されると思っている。手に入らないものなどないと思っているんでしょう? だって、あなたはヒロインですもの」
この世界の中心。
望みうるすべてを手に入れるはずだった少女。
──そんな女に。
「だけど、ごめんなさい。あなたの物語はここで終わりです」
好きな人と幸せになってほしいなんて、絶対に言われたくありませんでした。
「さよなら。エリシャ=カトリアーヌ」
私は今度こそ彼女に背を向けました。
「………えっ」
一拍置いてエリシャが声を上げ、続いて背後でガシャンと鉄格子が震えます。
「待って! どうして⁉」
これ以上話すことなどありません。
二度と会うこともないでしょう。
そう思っていました。
「どうして私がヒロインだって知ってるの⁉」
──彼女がその一言を発するまでは。




