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27.昔の夢を見ました




 夢を見ました。

 何年か前の──たぶん十二歳か十三歳くらいのときの夢。

 私は部屋の前に立って、細く開いたドアの隙間からこっそり中を覗き込んでいました。細長く切り取られた視界の先にはお母様がいらっしゃいます。


 ……まだ生きてらっしゃる。


 夢の中の私はぼんやりそう思います。

 窓辺にたたずむお母様は美しく、編んだ銀髪が膝まで垂れています。シルバスティン家の血を濃く受け継ぐ瞳は、まるで凍った月のような《白銀》。その冷たい瞳でお母様は窓の外を眺めています。

 彼女は生前よくそうしていました。

 寂しそうに、恋しがるように。どこか遠くを見つめる彼女を、私は少し怖いと思っていました。

 こっちを向いてほしい。けれど、声をかけられない。話しかければお母様は白昼夢から覚めてしまう。それはきっと恐ろしいことなのだと、昔からなんとなく思っていました。

 そんなお母様の近くに誰かが立っていることに気がつきます。

 視界に滲む鮮やかな赤。


 ………お兄様。


 今より少し若いお兄様が、お母様に向かって何か話しています。

 お母様はその話に耳を傾け、時折軽くうなずきます。しかし瞳は窓の外からそらすことなく、じっと遠くを見つめたまま。

 二人を眺めているうちにふつふつと不安が湧き上がってきました。

 血のつながらない母と息子。

 二人は一体何を話しているのでしょう?

 不安の中には嫉妬も混じっています。白昼夢にひたるお母様に平然と話しかけるお兄様。そして、大好きなお兄様の話を聞くともなしに聞いているお母様に。

 会話が終わったのか、お兄様がこちらに向かってきました。


 どうしよう。隠れなきゃ……。


 そう思うのですが、夢の中の私は身動きができません。全身が強ばり、はぁはぁと呼吸が浅くなります。

 ドアが開いてお兄様が目の前に現れました。

 私は何か言おうと口を開きかけ、声が出せないことに気づきます。

 そんな私をお兄様は冷たい目で見下ろしました。まるでお母様の銀の瞳の冷たさが、そのままお兄様の紅の瞳に移ったかのように。


 ──変わってしまった。


 唐突に私は思います。

 いつからか、お兄様は変わってしまった。以前はこれほど冷たい目をすることはなかった。私に微笑みかけてくださり、やさしく声をかけてくださることもあったのに。

 しかし目の前にいるお兄様は、やがて《悪役公爵》となる冷酷さの片鱗をすでに見せはじめていました。

 あたたかな微笑みは影を潜め、私が初めてこの屋敷にやって来た日に「雪の妖精みたいだね」と話しかけてくれた少年の面影も、もうありません。

 お兄様は無言で私の横をすり抜け、暗い廊下を足早に進んでいきます。


 ……待って。


 私は口をぱくぱくさせながら手を伸ばしました。


 待ってください、お兄様。

 行かないで。

 置いていかないで。

 お願いです。

 あなたさえいれば──

 私はどんなことだって──

 だから。

 どこにも──

 行かな、い、で。






「お兄…………様……!」



 かすれた声を上げながら、私は目を覚ましました。

 見慣れた天蓋付きのベッド。

 そして、私を取り囲む人々の顔が見えます。



「姉様!」


「お嬢様……!」


「目を覚まされましたか!」



 リオン。

 ミア。

 じい。

 三人とも目を潤ませてこちらを見下ろしています。

 うしろに控えていた侍医が近づいてきて、私の脈を測りました。薬湯の用意をするよう言われたミアが、顔をごしごしこすりながら部屋の外へ走っていきます。



「私は……どのくらい眠っていたの……?」


「およそ丸一日でございますね」



 侍医が淡々と答えます。



「そう……そんなに眠っていたのね」


「お気分はいかがですか?」


「お腹がズキズキ痛くて、少し吐き気がする……けれど……そんなにひどくないわ」


「それはようございます。毒の量が少なかったのがせめてもの救いでした」



 侍医がカルテに書き込みをしていると、今度はリオンが私の手を握りしめました。



「姉様、よかった……! 本当にっ……」



 ずっと泣いていたのでしょう。両方の瞼がほとんどたんこぶと言っていいほど真っ赤に腫れあがり、今もぼろぼろと大粒の涙をこぼしています。

 泣きじゃくる弟をぼうっと眺めたあと、じいに視線を移します。シルバスティン家の時代から母に仕えていたじいは、心底ほっとしたように目を細めました。



「本当にようございました。あなた様にもしものことがあれば、フィオナ様になんと申し上げればよいか……」



 フィオナ。

 死んだお母様の名前を久しぶりに聞いて、先ほどの夢がよみがえってきます。



「夢を……見ました。お母様の夢」


「左様でございましたか。きっとフィオナ様も、神の御国からあなた様を心配なさっていたのでしょう」



 いいえ。

 私は心の中で首を左右に振ります。

 夢の中のお母様はずっと、窓の外を見ていました。

 そしてお兄様は──



「お兄様は?」


「それが……昨晩は我々と共に付き添っていらっしゃったのですが、皇帝陛下からのお召しを受けまして。おそらくカトリアーヌ家の処遇に関することで……何しろ事が事……でございますから」


「………そう」


「あっ、そうだ!」



 ぐずぐず鼻を鳴らていたリオンが急にぱっと顔を上げました。



「兄上から姉様に伝言があるんでした」


「伝言?」


「はい、ええと……一言だけ」



 少しためらうような間を置いて、言います。



「『なぜ』と」



 その言葉に、私は心臓が凍りつくのを感じました。

 夢の中でお兄様に見下ろされた、あのときと同じように。


 ───────お兄様は。

 気づいておられる。




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